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#13. 頑張っても頑張らなくても、あなたはすでに最高の存在だ!

 10代でうつを経験してから、心の不安定な自分の生き方を模索してきました。今回はその経験から学んだ「頑張る」ということについてお話ししたいと思います。

 これは私の個人的な経験をもとに書いている個人的な意見です。うつに対する専門的な知識や情報を提供するものではありません。あくまでも、こういう見方もあるのだという参考程度にしていただければ幸いです。


◆頑張るって何だろう。

 「頑張る」の意味を調べてみました。

頑張る(weblio より)
1.困難にめげないで我慢してやり抜く。
2.自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。
3.ある場所を占めて動かないでいる。

 普段は1の意味としての使う場合が多いと思いますが、「めげないで我慢してやり抜く」という表現には自然と拒否反応が出てきますね(笑)

 だってさ、

 困難にはめげても良いし(だって困難なんだもん)、
 我慢する必要もないし(そもそも我慢って何さ)、
 やり抜く必要だってない(逃げて別の道を選んでなにが悪い)、

 ですよね。


◆「頑張れ」と言わない方が良いのか。

心が疲れている人、特にうつの人へは「頑張れ」という言葉は禁句である。

 そう聞いたことがある人は多いと思います。

 実際、私もうつ状態にどっぷりはまっていた頃に「頑張らなくてもいい」と言われたときは心の底から安心しました。なぜなら、自分には我慢や忍耐が一切足りておらず、他の誰と比べても、全く頑張っていないと信じて疑わなかったからです。

 行きたいのは山々だけど、なぜか行くことができなかった学校ーー。

 当時、「頑張って学校に来い」と言ってきた先生に抱いた憎しみは今でも覚えています(今も憎んでいるわけではありません)。そして、「明日からは頑張って学校に行かなくてもいい」と親に言われたときはそれまでの緊張がすべて解け、もう何も気にすることなく眠ることができるのだと、体中に染み渡るようにして安堵が広がっていったのを覚えています。

 そう考えると、やはり心が疲れてうつになっている人に「頑張れ」という言葉は極力言わない方がいいのだと思います。


◆もし頑張ることがあるとすれば、自分が持つ幻想に気づき、思考パターンを変えること

 ただし、これはただ単に「頑張れ」という言葉を使うか使わないかという問題ではありません。

 言葉というのはある意味使いようで「頑張って仕事しろ」「頑張って学校に行け」と言われると疲労感や焦燥感ばかりを覚えますが、疲れているときに「今だけは頑張って休め」と言われると、ほっとします。それどころか、少し元気になる気すらしてきます。

 「休む=悪」と思い込み、休むことに対して罪悪感のようなものを抱いてはいませんか。少なくとも私はそうでした。そのため、「頑張って休め」と他人に言われると、休んでも良いんだという安心感が生まれるのです。

 そう。「頑張れ」の言葉に追い詰められた心の裏側には、このような心理が隠されていたのです。


 つまり「休む=辛抱・忍耐が足りない」「ゆっくりと休み休みやる=頑張っていない」「休んで何もしていない自分よりも社会で一生懸命バリバリと働いている人の方が人の役に立つ、価値のある人間だ」というような無意識のうちに作られた幻想から目覚めることが何よりも重要なのです。


 ここに気づかない限りは充分な休養を取って回復しても、ふたたび自分を追い詰めて疲弊させてしまう負のループからは抜け出せません

 だからこそ、もし頑張るべきことがあるとするならば、意識の変化なのです(ただし、しっかりと休んで心に余裕ができたときに限ります)。

 自分に対して焦燥感や不安感を煽り、自分の行動で自分の価値が決まってしまうと思っているような思考のままでは、自分を苦しめる習慣は変わりません。


 大学時代に一度だけ大学のカウンセリング室に行ったことがあり、そこでこう言われました。

You can change your perception.
物事の捉え方や感じ方は、変えられる。

 心が不安定でうつになりやすい自分を変えるためには、じっくりと自分の思考パターンを見つめ、自分を卑下したり否定したりするような意識があれば、それを変えていくことが大切なのです。

 行動は、意識が変われば、おのずと変化します。

 なので、頑張るべきことがあるとするなら、まずは意識の変化なのです。


◆何もしなくても、あなたはすでに価値ある尊い存在である

 最近よく感じることがあります。

人のために生きるより、自分のために生きる方が案外難しい。

 自分のために、自分が幸せを感じる方法で、愛ある人生を生きましょう。

あなたの価値はあなたの行動では決まらないし、
存在しているというだたそれだけで、
あなたはすでに尊く、
唯一無二の価値ある最高の存在です。

 信じられないと思っても、これだけは頑張って信じてみてください。

 上の「あなた」を「私」に替えて、まずは10回ほど繰り返して言ってみましょう。それをさらに数日間繰り返すと、不思議とそんな気がしてきます。ほんと不思議。シンプルっちゃーシンプル(笑)

 理屈ではなくそう思えるようになれば、自然と心は軽くなります。


 「頑張る」の2番目の意味は「自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る」だそうです。

 もし頑張るのであれば、どうか自分は尊い最高の存在であることを信じ、自分を大切にしながら、生きていってください。


◆今のあなたは、あなたが知っている過去のあなたとは違う

 ここでもうひとつ、頑張るということで伝えたいことがあります。

 心が疲弊したとしても、自分を大切にして生きていれば、消耗していた「生命力」はふたたび湧き出てきます。すると、必然的に何かしたいと思うときが来るはずです。それは、10日ぶりに外出することかもしれませんし、久しぶりに友達に逢うことかもしれませんし、1年ぶりに復職することかもしれません。

 しかし、一歩を踏み出そうとすると、必ずといっていいほど決まって恐怖と不安が押し寄せてきます。うまくいくだろうか、失敗するかもしれない、それどころか、二度と立ち直れなくなるくらい傷ついてしまうかもしれないーー。

 ここで、頑張って、覚えていてほしいことがあります。

 それは、何かを始めるときに不安や恐怖を抱くのは至って正常なことで、決して、やめた方が良いということではないということです。これは、絶対にやめるべきでないと言っているのではありません。ただ、不安と恐怖が襲ってくるのは人としては当たり前の反応なので、それに対して過剰に意味を持たせる必要はないということです。

 何かを新しく始めるとき、過去の自分が今の自分に対して「そんなことはせずに引き帰して来い」と必死に訴えてくることがあります。しかし、そう語り掛けてくる自分の声には、落ち着いて、こう答えましょう。

ありがとう。本当にありがとう。
つらくしんどいときにはいつも必ず側にいて、今もこうして私のために不安や恐怖を感じて、危険から回避するように助言してくれている。

 そして、こう続けます。

でも、一歩踏み出そうとしている今の私は、あのときの私とは違う。今は、何が起きても、私は尊く唯一無二の価値ある最高の存在であると知っているし、それは一歩踏み出したことで失敗したとしても変わらない。そもそも、失敗なんてものは最初から存在しないということを、今の私は知っている。だから、もう大丈夫。

 最後に、感謝の気持ちとともに、不安や恐怖には手を振って、さよならを言いましょう。


 バイバイ、不安と恐怖。

 いらっしゃい。これから、永遠によろしくね、最高の自分。


◆◆◆


 頑張りたいと思ったら、精一杯、納得いくまで頑張りましょう。

 でも、そう感じないのであれば、頑張る必要はないと思います。

 しかし、それでも、もし、頑張る必要があるとするならば、いつもどんなときも変わらず尊い最高の自分を信じる思考に変換することなのだと思います。

 行動は、それからでも遅くはありません。ってか、十分。


 ではでは😊

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