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セックスで恋人の夢をみる

鎖骨がひんやりと冷たい。

24℃に設定したエアコンで、布団からはみ出た肌が痛んだ。すやすやと聞こえてくる寝息を恨めしく思っていると、23時を3分過ぎたばかりの街から話し声が聞こえてきて、まだ誰かの今日が続いていることに安堵する。だんだん電車が近づいてくるのを片耳に、大きな音で起こして欲しいと願ったけれど、何事もなく通り過ぎてしまった。

8畳の寝室に置いてきぼりにされた私は、じんじんと熱い瞼を閉じるのを諦める。

ぶかぶかのTシャツをベッドの下に脱ぎ捨てて、隣で眠っている男の上に下着姿で跨がり、閉じている瞼にキスを落とす。うすらと瞳が開くのを確認してから耳元まで唇を這わせると、「したいの?」と寝ぼけた声が聞こえてきたので、頷く代わりに耳を噛んだ。

視線がまっすぐに重なり、彼の顔にゆっくりと近づく。いまにも触れそうな距離で吐息を確かめた後で軽やかな音を響かせ、そのままお互いの体液が同化するほどにキスをしながら、指で首元やら腰やらをなぞり合う。体ごとでろでろに溶けてしまいそうで、奥のほうが潤いだすのを感じる。彼の上に馬乗りになったまま隅から隅まで舌で触れると、股のあたりが熱を帯びて膨らんでいるのが伝わってきた。なんだか嬉しくなって、歯を立てたり喉の奥を使ったりしながら刺激を走らせた後、ふたりの体を結んだ。




彼からしたら、私は性に対する欲求が強い女でしかない。いつでも身体をゆるし、元気なときは果てるまで応えつづけ、疲れているときは積極的に癒やすような、「都合の良い女」のうちのひとりでしかない。

でも正直なところ、セックスという行為そのものは、たいして好きじゃない。

それよりも、セックスしている瞬間の愛おしい空気が、どうしようもなく好きなのだ。

すべてを求めて、すべてで返す。他のことは何も考えられないし、他の人は誰も入り込めない。そこには絶対的なふたりだけの世界がある。

素肌がひとつになっている瞬間だけは、まるで恋人になったかのような気分が味わえる。だからつい、その空気に浸かりたくなってしまうのだ。



***



「もう、会うのやめにしよう」

22時40分。電気を消したばかりの部屋で、彼の横顔に告げた。

「私さ、やっぱり、会いたいときに会いたいって言えて、駆け引きなんてしないで済んで、他の女の子と遊んだら怒ってもよくて、好きだって大声で叫べるみたいな、そんな恋愛がしたいんだよ。ちゃんとした恋愛」

彼は目を瞑っている。時折言葉につまると目をあけてこちらを確認するから、寝ているわけではないらしい。

「でもさ、そういうの嫌いでしょ?あなたは。普通じゃ物足りないんだよね?私、一緒にいると期待するのがやめられないから、だから、もう会うのはこれで最後にしたいと思うんだけど、」

どう思う?と意見を求めたが、反応が無い。腕を軽くつついてみると、彼は瞼をゆっくりと持ち上げて、とろんとした瞳で「聞いてるよ」と答えた。

「しなきゃいいじゃん。駆け引きとか、嫉妬とか、期待とか」

「どういうことよ」

「考え過ぎなんだよ。俺のこと、好きなんでしょ?じゃあ、会おうよ。今のままでいいじゃん」

「・・・・・・・・」

「今日、マジで疲れてんのよ、俺。明日も7時に出社だし、もう寝ていい?」

冗談じゃない、と思った。私の感情をなんだと思っているのか。いくら疲れていたって、最後まで話を聞いてくれたっていいのに。怒りのような悲しみのようなものが渦巻いて返す言葉を見つけられずにいると、本当にふざけた話だが、彼は眠ってしまった。

その瞬間に、涙腺がぶちんと切れた。

嗚咽が漏れないようにしながら、ぼたぼたとシーツにしみをつくる。「私がどんな気持ちで・・・」と大声で泣き喚きたかったけど、それはやめた。この期に及んでも嫌われるのが一番辛い。

伝えても伝えても受け取ってもらえず、泣いても泣いても涙を止めてはもらえず。いっそ疲れるまで泣こうと思っていたのに、私はいつのまにか服を脱いで、彼と体温を混じり合わせていた。



***



シャワーで汗を流して寝室に戻ったのは、今日が昨日になる頃。彼はセミダブルのベットに大の字で寝ている。口元からは一定のリズムで寝息が聞こえてきた。「寝た?」と声をかけても返答はない。

なんとも暢気な男だな。

半ば呆れた気持ちでベットの脇に腰をかけ、覆い被さったままのコンドームを丁寧に外した。枕元からティッシュを3枚取り出し、残ったものを軽く拭いてから、舌でやさしく絡め取る。寝息のリズムは変わらない。

私の感情なんて、使用済みのコンドームみたいなもんだ。どんなに多くを放ったところで、私が処理をする羽目になる。彼のおかげで生まれた感情なのに、彼に触れてもらうことさえ叶わない。ついさっきまで彼の一部だった液体を、どこにも零れないようにきゅっと蓋をして、ゴミ箱に落とした。




また、ひとり、夜に放り出されてしまった。

窓から差し込む月明かりを見つめていると、意気地のなさと覚悟のなさがせめぎ合いはじめる。

彼女になれたと錯覚できる行為をするたび、恋人になりたいと願う私が色濃くなる。でもそれは実らないことだから、勘違いでも味わい続けたい。

悲しみを感じる細胞が変異してしまったのか。心が押しつぶされるような苦しみとか、愛してもらえない人に尽くし続ける惨めさとか、存在意義を感じることができない虚しさとか、どんな悲しみを感じたとして、彼の隣で泣けるならまだ少しだけましだと思ってしまう。

今私がしているのは、幸せになることを追い求めているようで、幸せになることを放り捨てていることも分かっている。

性格が合わないことはもうとっくに気づいていたし、顔だってもともと好みじゃない。ただ、あの日、出会ったばかりのあの日、好きだと気づいたあの日、未来を描いていたあの日、私が素直に感じていた幸せの記憶をまた味わいたいがために、自らの首を絞め続けている。

きっと恋人になれたところで、欲しかったものはもう腐っていると気づくんだろうな。冷静に考えていれば離れられる気もしてくるけれど、実際に離れてしまったら、それこそ首を吊って死ぬみたいなもんだ。




なんだか、愛しさが憎しみに変わり果ててしまいそうで、怖い。

どうしたって手に入れることができないのなら、この夜を手にかけてしまいたい。殺すのは死ねと言うより、愛があるような気がするから。




いびきが五月蠅いな。

つやりと汗がにじんでいる彼の首元に、親指と人差し指を当てた。カンカンカンカン、と、踏切が閉まる音が聞こえてくる。やってくる電車の音がどんどん大きくなるのに任せて、指に力をこめる。ほんの5秒、電車が通り過ぎるまでの5秒。呼吸の邪魔をした。

彼はすこしだけ苦しげに息を吸って、なんともない様子で吐きだした。あたりが急に静けさを取り戻す。私は首元に添えていた指を上にずらし、ほっぺをつまんだ。

視線を天井に移して仰向けになると、泣きはらした瞼が重みを増す。

彼の部屋で彼の隣で眠るなんて、これ以上の幸せは無いはずなのに、彼の恋人ではないという事実のおかげで、これ以上の不幸せは無いように感じる。

私は「愛してるよ」と左の寝顔に語りかけ、腕に唇を押しつけた。

すると無意識か故意かは分からないけれど、彼は私を抱き寄せた。変な姿勢で固定され、半ば寝苦しさを感じつつも、情けないくらいの嬉しさを噛みしめてしまう。



このまま夜が崩れてしまえばいいのにな。

まだ見えない朝日を睨んで、重い視界を閉じた。





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