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Webライター、ひたすらに継続中

頭は使うよね…やっぱり

 新年もそろそろ1カ月が過ぎようとしています。巷では10年に一度の寒波襲来!と大騒ぎしておりますが、私は居住地がそもそも雪国なので、普段の冬とあまり変わりの無い毎日を送っています。
 雪の量は昨年の方が多かったなぁなどと、割と呑気に構えていたところ、先日、水道管の接続部分が老朽化で水漏れを起こし、運悪く土日にかかってしまって業者が対応できず、二日間に渡って洗面所の壁の向こうから水しぶきの音が聞こえてたというのがありました。無事に修理は終わったのだけど、その時の大量の水が地面に浸み込み切らないうちに冷え込んでしまったのか、周辺の水道と排水溝が凍ってしまったのでした。
 まあ、とりあえず不便は感じておりませんが…

11月末頃の写真。今はもっと下まで白いし、道路は圧雪でツルツルです。

閑話休題
 年末年始の二日間を除いて、ただひたすらライティングに勤しんでおりました。昨年8月末にこのnoteで文章を書き散らし始めてからというもの、10月にはご縁あってWebライターとしての活動もすることになり、今に至ります。寝ているとき以外は、常に頭使っているような感じですね。
 妻からは「少し休め」と言われますが、仕方ないんですよね。時間で区切れないのですよ。うまい具合に日中の8時間ぐらいでアイディアが浮かんで形に出来ればいいんですが、これがいつになるのか予想がつかない訳で。
 頭を抱えて転げ回っても、ダメなときはダメ。思いついて書き始めて、終わったときには朝方…とか(笑)不健康だわね、こりゃ。若くないんだから、無理は利かんよ。大病から生還した身でもあるしね、とりあえず体は酷使しないように注意せねば。
 別にこれをやりたかったということじゃないんだけど、いわゆる「スカッと系」の動画のシナリオライティングを続けております。労力の割に単価が安いのが困りものなのだけど、依頼が切れないことは有難いことだし、最近はある種の使命感みたいなものを感じていたりしますな。
 
 最初のディレクターの下で16本、今のディレクターに変わってから19本目を手掛けているところです。
 合わせて35本、4カ月での執筆数として多いのか少ないのかはわかりません。週に2~3本ペースってところでしょうか?速いときは2日で1本、少し時間がかかるときで4日で1本ですね。書きやすい内容のときもあれば、なかなかストーリーがまとまらないものもあるって感じです。
 自分でこんなふうに好き勝手なことを書き綴るんなら、そんなに苦労しないのです。同じようにスラスラ頭に浮かぶこともありますけど、それは凄く調子の良いときで、大概はどこかで詰まります。「よっしゃ!書いたぞ」と思っても、指定字数に足りなかったりすることも、しばしばですね。その辺りは、なんとか辻褄合わせて増やします。増やしているうちに面白い流れが浮かんだりもするので、それもそんなに悪いことじゃないなと感じています。

 それにしても日本人て(ちょっと括りが大きい気がするけど)「水戸黄門」と「シンデレラ」、好きよね。ホントそう思う。だいたいは、それらの類型でしかないの。様式美っていうのかな?安心するワンパターンとか(笑)
 この場合の「シンデレラ」も、いわゆる絵本とかディズニーで親しまれてるイメージのヤツね。オリジナルの原文の日本語訳なんて、絶対に子どもには読み聞かせられないもん。けっこう残酷だよ。まあ「桃太郎」も「かぐや姫」も、国産おとぎ話だってその傾向はあるんだけどさ。
 で、困ってしまうのは「この構成で、このサムネに合わせてお願いします」って言われたときに、元に示された要素があまり使えない場合があることなんです。
 例えばね、「水戸黄門みたいなストーリーを、現代日本でリアリティを持って描く」って、大変じゃね?〝印籠〟に当たる権威って何さ?下手すると「うるせぇよ、ジジイ!(バーン)」とか、撃たれて山に埋められちゃうパターンならありそうだけど、それじゃ「水戸黄門」っぽくならないのよ。
 これが江戸時代で将軍様がお忍びで町人に交じって…となれば、これ「暴れんぼう将軍」になる訳で、そんなに違和感無かったりする。
 金田一耕助シリーズも、現代社会に起きた事件として置き換えると穴だらけなのだよ。あれは「戦後の混乱期」とか「山間の旧家に伝わる血縁」みたいな要素が無いと成り立たん。まあ「金田一少年の事件簿」は、コミック作品だから成立してるんだな。フィクションだし。
 「現実にありそうな体験談」という前提でストーリーを組み立てると、ファクターが一つ変わっても、それに付随して変わる要素があり過ぎて、そのままアウトラインは使えない。
 シンデレラストーリーって言葉も、よく聞かれるけど、あれは「虐げられている主人公が、ある出来事がきっかけで幸運を掴む」というアウトラインに乗っければ大概は何とかなる。ただ、この「出来事」を何にするのか、シチュエーションを入れ替えるとどうなるのか、主人公の人間関係とか、年齢とか性格、その辺りを一つ変えると全部を組み替えないと矛盾だらけになってしまうのですよ。どこまでそのファクターを活かすかってのは、ストーリーテラーの腕の見せどころなんだろうな…それでも現代社会で起こり得ることだとの前提に立つと、法律とか仕組みを無視した話は作れないのです。
 このライティングを始めてから、参考動画として示されるものとか、近似的な話の動画を視聴する機会も増えたのだけど、びっくりするぐらい無知な人が書いてるとしか思えない話もあったりする。それでそれなりの視聴回数を稼いでいるんで、これ視聴している人ってどういう人たちなのかと思ってしまうのよ。
 もちろん細かくて面倒なことは嫌いなのはわかる。でも、「それを無視しちゃいかんだろ?」みたいなシナリオも存在するのね。視聴している人が、そのウソを含めてフィクションを楽しんでいるなら問題無いんだけどねぇ…
 あ、それから皆さん「エリート」とか「タワマン」とか「医者」とか「公務員」とか以下略(笑)…よっぽど嫌いなんだなと思う。そんなに恨んでどうする?みたいな。いや、嫌いとか恨んでるとか、そういうのは個人の自由だからいいのよ(良くないけど)「タワマンの部屋の前でインターホン押す」とか平気で書いてたりするの。いや、ああいう建物ってセキュリティの関係上、そもそも居住者の許可が無いと建物にすら入れなかったりするのだが…  
 あと、医学部に入っただけじゃ医者にはなれません。医学部に入る人は、ほとんどが医者になるけど、医学部に入ったからって国家試験には合格しませんぜ。それに医学部は6年だし、卒業してすぐに医療現場で活躍はできません。
 他にも、「義父が実子である息子を飛び越して、その配偶者に遺産相続する」とか、「孫の配偶者に相続する」とか、そういうのが平気で書いてあったりする。
 なんかね、モヤモヤするんですよ。絶対に無いでしょ?だから、そんな感じのを書くときは「弁護士を通す」「遺書を残す」「家庭裁判所を絡める」などで、なるべくリアリティのある話にしたいんだけど、面倒な人はそれを聴きたくない訳ね。「そんなのどうでもいいからスッキリさせろや」みたいな…
 使命感ってのは、そこなんです。
 なるべく聴きやすく面白いストーリーで、正しい知識を盛り込むってことですね。それで視聴者が「ああ!そういうことがあるんだ」って気づいてくれたらいいなと。
 フィクションは創作ではあっても、出鱈目じゃないからね。

 今はこんなふうにWebライターの活動に時間を費やしておりますが、実のところ他にもやらなければならないことは山のようにあります。
 一応フリーランスだから確定申告の準備もしなきゃならんしね。
 事業計画を組んだり、土地建物を譲り受けるための書類作成とか、資格申請とか、事業所の確保とかね。あ、法人の設立申請もしなきゃならん…大丈夫なのか、俺?
 人生は長いようで短い。楽しんだもの勝ちだよね。
 さて、来月は映像関係の撮影助手の依頼も受けたから、それも楽しみ。

 先日アップした、滅多に書かない創作も、よろしければお読みいただけるとありがたいです。

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