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脳の検索エンジン

"現実を見る勇気はあるか"

どこかのドラマでいわれていそうなセリフ

ふと頭に浮かんだ。
真実、事実、現実。

見ているようで見ていないのかもしれないのが真実や現実なのかもしれない。
なぜなら、私の脳がとらえたい世界が、私の見ている世界だからだ。

心理学や自己啓発のような話の中でよく目にする例えがある。

講義中、唐突(とうとつ)に講師に言われる。
「目を閉じてください。さて、部屋の中にあった赤いものを思い出してください。5個以上見つかりましたか?」

赤いものを探すのが常日頃趣味の人を例外に、ほとんどの人は5つも思い浮かばないかもしれない。

ところが、目を開けると、一気に部屋の中にある赤いものに注意が向く。

そして青いものことは、意識の外にはずれていく。

脳は情報を取捨選択していく。
だから私たちは目的に沿った行動ができる。
見たいものを見ることができる。
それは反対に、見たくないものは見ない事もできる。
そしてややこしいことに、黄色い像のことは考えたくないと考えると、黄色い像の姿が頭から離れなくなる。

脳科学によると、脳は否定形を理解できないらしい。
だから、ピンク色の像のことを考えたい、と思えばそれは頭に浮かぶ。

私の脳が世界を認識している。
私は頭が悪いと思えば、その証拠を探し始めるのが脳だ。

少しでも、証明できそうなら、あたかも真実のようにただの出来事を関連付ける。テストで78点を取った。頭が悪いと思えばそれは、れっきとした頭が悪い証拠になる。78点しか取れなかった。頭が悪いからだ。

私は学習能力があると思えばどうだろう。もしかすると脳は、78点も取れた。あと22点分、改善の余地がある、私には伸びしろがあるととらえるかもしれない。

脳に何を検索させるのかが重要だ。
そして脳が見たいものだけを見るという真実を知っておくこと。
私の考え方の癖、捉え方の癖によって、現実の物事のとらえ方は変わる。

上司が挨拶を返してくれなかったのは、気づかなかったのか、不機嫌なのか、考え事をしていたのか、私のことが嫌いなのか。

現実、事実は、上司が挨拶を返してくれなかった。
もっと言うと、上司は挨拶をしなかった。上司の耳に挨拶が入らなかった。それだけ。

真実はあるかもしれない。それは上司のみぞ知る。

上司が挨拶を返してくれなかった、私に怒っているのかも。
そう意味づけるのは、私だ。そして時に、観衆だ。
唯一知れる真実がある。私が上司を苦手だと思っているという可能性。私がどう感じているかという真実だけ、自分と向き合えば確実に知れる真実。

できるだけフラットに、現実を見ることができたら、私のココロの真実を受け入れられたら、もっと心穏やかに生きられるのかもしれない。
姿勢がゆがむように、足を組む癖があるように、認知(考え方、捉え方)にも歪みや癖がある。

「それって、本当?」
フラットな思考に立ち止まって考えてみる。

そして、自分の本当に欲しい未来を考える。

脳みそに検索をかける。

私はなりたい自分になれる。私には可能性がある。未来を切り開く力がある。
私は、自分で決断する力がある。私は行動することができる。
私は魅力的だ。

さぁ、脳みそ、さっそく検索!🔎

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