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いつだって どこだって なんだってあげる ぜんぶ持って行っていいよ
3月になりました。
わたしは、3月生まれです。
それで、3月が好きです。
なんか3月生まれって、自分っぽいなあと思います。学年の一番最後に誕生日を迎えるので、スタートダッシュに全然間に合わない。でもそれもふくめて、まるっと3月が好きです。
3月って、まだすごく寒い日があったりするのに、日中は陽射しがやわらかくなってきて、それでも油断しないでね、っていう感じがして、よーし、これから春だなあ、とい
明日のわたしにできること 今日のわたしが眠ってしまっても
「失う」ことがこわい。
突き詰めて考えてみると、わたしの人生はずっとそうだったなと思う。
「失うこと」がこわかった。
「失う」という言葉を打っただけで喉が締め付けられる。手に汗が滲む。とても、こわい。
何を失うのがこわいのだろう?
「失わないため」の努力をずっとして生きてきたと思う。
ライフラインに関わることから、人間関係、自分自身、物理的なこと、状態、すべてのことにおいて。
のらりくらり
車窓の夜は わたしだけのもの
わたしは大阪で生まれ、大阪で育ちました。
職場もずっと大阪で、つまり大阪から出て暮らしたことがありません。
大阪の中で前から憧れていたエリアがあったのですが、今回縁あってそのエリアに引っ越してくることができました。
(縁あって、というか、自分でそこを選んで引っ越したんだけど)
めちゃくちゃうれしい。
まさか住める日が来るとは思わなかったなあ。
家賃高いけど。でもうれしい。
毎日「わたしの家、
ひかりもの/あいみょん
ほんの些細なことで、そんなこと取るに足らないことで、具体的に言うのもばかばかしいくらい、小さなできごとなんだけど。
ある質問をされたことによって、自分にとってはとても大切な出来事だと思っていたことを、相手が全く覚えていなかったり、あやふやだったりすることが分かった。
そんな質問をしてくるってことは、覚えていないってことで、それはその質問者にとってどっちでもどうでもいいことだったんだ、と思うこと
ゆるせなさを胸に抱いて たゆたう
生きていれば、腹の立つことはあるだろうと思う。理解できないことも、分かり合えないことも、分かってもらえないかなしみも。
とんでもなく意地悪なことを言われたり、理不尽なことを言われたとする。だけど立場上自分はそれを言い返せなかったり、飲み込まなければならなかったとする。
そしてその相手がふと見るとお昼休みにのり弁当を食べていたとする。
すると、何故だかほんの少し、許せてしまう。
「うん、のり弁
いつか忘れてしまうから その時まで一緒にいよう
とりとめのない女友達との会話の中で、過去の苦い思い出や、くるしみ、悲しみについてふと話題にすることがあった。
彼女はかつてしていた数年間の結婚期間に起きたことをよく話してくれる。離婚をしようと決めてからも、なかなか相手がそれを了承せず、ずいぶんと長い間、彼女は裁判所に通うこととなった。
結婚期間がスタートしてすぐに、違和感はあったそうだけれど、いろいろな、ほんとうに様々な事情があった。夫婦の数
そんなあなたを、責めたりしないよ 少なくともわたしは
「それって彼が好きなんじゃなくて結婚したいだけなんじゃないの?」
「君は俺が好きなんじゃなくてただ結婚したいだけなんだろ。」
こういうことを言っている人のことも言われている人のことも知っている。
何故だかこのような話を聞くと、そうだよなあ、やっぱり…、と言われた側は罪悪感を持つことになる。無意識のうちにこの言葉を受け入れて、こんな思想を持つ自分だからいけないのだ、とどこかで罪悪感を持ってしまう
フラットシューズの わたしを愛して
「昔はお局さんがこわかったのに、年を重ねるごとに自分も気がきつくなっている」という旨のツイートを見かけた。これは自分が常々思ってきたことで、考えてきたことだったので、激しく同意してしまった。
だからと言って、若者をいびったり、同僚にきつくあたったり、
そういうことは当然だけどしない。若いとき、そういうことをしている人たちを見てとてもこわかったし、こうはなりたくないなと思っていたから。
でも、自
やわらかく着地していく ほどけてゆく あとはだから眠るだけ
なんか知らんが、いっつも悔しがってるな、自分。と気付く昨今。
「あのとき手を抜いたからかもしれない」「あのときいい加減な対応をしたらかもしれない」「あのとき有給とったからかもしれない」「あのとき」「あのとき」「あのとき」
どのときだ。
それは一体、どのときだ。
いいから一旦落ち着け、自分。
全方位に張り巡らせる神経は、振りまく愛想は、自分の無能さの象徴だ。優秀な人はこんなことしない。ちゃ
【読了】どうしても生きてる/朝井リョウ 著
わたしは、自分を嫌な女だと思う。
たとえば。
勇気を出してわたしのデスクまで相談に来てくれた子の話を聞くとき、時計を見てしまった。
ああ、また新幹線、最終かも。
新大阪から大阪駅へ乗り換えて、そこから帰る道と時間を計算する。ああ、長いな。
予定がどんどん押して、タスクがどんどん溜まって、全然消化できていなくても、でも、勇気を出して相談に来てくれた子の話を聞くときは、やっぱりちゃんと向き合
わたしたちは無力感を持つ必要などない 少なくとも今くらいは
例えば。
心の中に絶対に揺らがない芯を持っていれば、どんなことをしたっていいと思っている(もちろん、倫理に反することなどはしませんよ)
言いたくもないことも言うだろうし、ものすごく疲れていたってめちゃくちゃ元気に振る舞うこともできる。偏頭痛も生理痛も、魔法の鎮痛薬を飲めばいい。ありがとう、薬を作ってくれた世の中の偉い人たち、製薬会社、処方してくれる先生たち(でも用法用量は守ろう)
もっと今よ
「己の怠慢問題」とテンションのグラデーション
Twitterは、明らかにいつも「イイネ」をくださる貴重なフォロワー様たちがいて、わたしはその人たちになるべく嫌われたくないのであまり好き放題も書かず、一応考えて投稿するようにしている。
それで、このnoteというのは、こんなどこの誰だかよく分からない人間の長文を読もうなどという奇特な方は少ないだろう、と踏んで、好き放題毎回書いている。そしてそれが何よりストレス発散になっている。
「己の怠慢」