【読了】どうしても生きてる/朝井リョウ 著
わたしは、自分を嫌な女だと思う。
たとえば。
勇気を出してわたしのデスクまで相談に来てくれた子の話を聞くとき、時計を見てしまった。
ああ、また新幹線、最終かも。
新大阪から大阪駅へ乗り換えて、そこから帰る道と時間を計算する。ああ、長いな。
予定がどんどん押して、タスクがどんどん溜まって、全然消化できていなくても、でも、勇気を出して相談に来てくれた子の話を聞くときは、やっぱりちゃんと向き合いたい。
どういう背景があって、どういう事実があり、誰がどう言い、今どうなっているか、そして自分がどうしたいのか、そういうことを丁寧にじっくり、根気強く聞くのに、5分や10分で話が終わるはずがない。
それに、わたしが彼女の力になりたいと思った気持ちは、紛れもなく事実だったから、だから。
ちゃんと眠れてる?と聞く。
「わたしは睡眠薬をてきとうに処方してもらって、いろいろ支障でないようにうまいことやってるよ」とは言わない。
頼れる人はいる?と聞く。
彼氏が毎日そばにいてくれます、という彼女に
「わたしは帰って死んだように眠って土日は出張の洗濯物を全部してあとはまた疲れて眠るだけ」とは言わない。
さめざめと泣く彼女の目元は粉雪をまぶしたみたいにきめ細やかで、15,000円のフェイスパウダーと15,000円のアイクリームを買っても全然綺麗じゃない自分の目元を思う。
彼女の抱える悩みや不安に対して、過度なアドバイスはしない。こういうときは、聞いて欲しいのが人間だから。
「そんなに気負わなくていいよ」「もう十分がんばっているよ」「今までつらかったね」「我慢しなくていいからね」「責任持ってやり遂げて本当にすごいよ」「あなたみたいな優秀な人がいてうれしいよ」
そしてポツポツとかける言葉を発しながら自分で気が付いた。ああ、これは、自分が誰かに言って欲しい言葉なんだろうな、と。
それでなんか、無性に自分を嫌な女だと思った。
本当に思っているから言った、それは本当。彼女の力になりたいと思った、それも本当。
でも、自分がかけてもらいたい言葉を、声に出して誰かに言うことで、自分が言われているかのような錯覚に陥りたかったのかもしれない、と、自分の浅薄さに呆れた。
わたしにそんな言葉をかけてくれる人はいない、わたしはもう目元のぴかぴかした若いお嬢さんではないのだから。
わたしは新卒で入った会社の、立ち上げの部署に、女一人配属された。だから「女性の先輩」というものを持ったことがない。ので、たぶん、わたしが彼女にかけた言葉は、今の自分、そしてかつて一人だった若い自分、が先輩からかけられたかった言葉なのかなと、そんなことを思った。
朝井リョウはわたしを赦してくれない。
理解ある先輩ぶったわたし。本当は、早く帰りたいと痛烈に思ったわたし。夜中1時過ぎに自宅についたとき、仕事ではない部分の猛烈な疲労を感じたわたし。若くて綺麗な女の子に嫉妬したわたし。でもその土俵でもう闘わなくていいことに安堵しているわたし。家に誰かが待っているぴかぴかした彼女と、こんな疲れた状態のボロボロにブスな顔の自分を家で誰も待っていないことにも安堵しているわたし。全部わたし。
彼女の相談相手は別にわたしじゃなくたってよかった。わたしが尊敬されているとか、憧れられているとか、そういうんじゃないってことは、わたしにも分かっていたし、彼女だって分かっていたはずだ。
正しく情報を享受せねば、遅れを取らないように、人に迷惑をかけないように、調和を乱さないように。溢れかえる情報の渦に、ライフハックに、美容に、資産運用に、人間関係に、窒息させられそうになる。
「これからでも間に合う婚活!」「女性は年齢、男性は年収!」何様だよ、と思う。
「子どものお迎えで」「つわりがひどくて」「運動会で」「発表会で」「新婚旅行で」「帰省で」「産休育休」「時短勤務」……。
数々の人々の、数々の人生の「用事」は、自分に関係のないものばかりで、じゃあなんとなく引き受けた方がいいなとか、なんとなくやった方がいいなとか「お互い様だから」と言われると、そうだよなって思って、思って……。
特に既婚女性の場合は(いつ自分も妊娠するか分からない)という状況にある場合、一言も、何も言い出せない光景をよく見る。
一言でも何か言ってしまえば、態度に出てしまえば「自分だって妊娠するかもしれないくせに」「もしかして不妊治療中なのかな?」などという憶測を呼ぶ。
わたしのような独身1人暮らしにおいては「妬みかな?」「そんなんだから独り身なんだろうね」などと、言われている。ような気持ちになる。実際は誰にも何も言われていなかったとしても。でもわたし以外の誰かがそんなふうに言われているのを聞いたことがある。だからきっと、自分も同じことをすれば言われるのだろうなと思う。
多分、わたしのプライドが高すぎるんだろうな。誰からも何も、一言も文句のつけようのない態度でいようとしてしまう。そんなの無理に決まってるのに。
「そんなんだから独身なんだよ」っていうカード、強すぎない?何様だよ。
「女の敵は女だ」って叩かれる。それで言うなら、わたしは自分以外の誰のことも味方だなんて思っていない。一歩外に出れば、それは全員敵だ。
そんなの本当は痛いに決まってるんだよな。
用事がなくたって休みたいことだってあるし、出張だって出社だって、リスクを負うのは同じくらいこわいんだって、でも言えないんだよ。
女だから我慢しろ、女のくせに生意気だ。都合のいい時だけ女だと言うな。どれが本当なんだろう。
わたしなんて全然素人で、趣味で小説を少し書いている程度で、それでも、本当に稀に、ごくごく稀に、「好きです」と言ってもらえることがある。
顔も、本名も、職業も、何も知らないわたしの、その創作物だけを見て「あなたのことが好きです」と言ってもらえることがある。(本当に本当にたまに)
それで、この間、それがあった。
年下の女性で、可愛らしい人だった。「本当に好きなんです!」と彼女は純粋に言ってくれて、「ファンになりました」と笑ってくれた。
うれしい、と思うセンサーが鈍っていたわたしは「ありがとうございます」というような反応をしただけで、気の利いたことも、本当にうれしいと思っていることも、うまく伝えられなかった。
それで、その翌日、朝早くにオフィスで。
全く関係のない仕事のメールを打っているとき。
まだほとんど誰も出社していない、朝陽が弱く射し込み、からからの風が外を通るのが見えた朝。
何故だか急に涙が溢れてきた。悲しいとか、つらいとかではもちろんなくて、どうしようもないような大きカタマリに襲われた。そのときに「ああわたし、昨日、うれしかったんだ」「ありがたい気持ちになったんだ」と気付いた。うれしくて、なにもかもすべてが報われたような気持ちにさえなった。
飲み込んだり、我慢したり、嘘ばかりついていたら、「うれしいこと」を「うれしい」と、「ありがとう」と瞬発的に言えなくなっていた。
だけどちゃんと、次の日に、うれしかったのだと思った。またがんばろう、あの人がわたしの、少なくとも創作物だけでも、好きだと言ってくれるなら、またやろう、と思った。
朝井リョウの作品は、わたしの本音を、見ないように蓋をしてきた体中の澱を、見逃させてくれない。赦してくれない。どんどん溢れてくる。なんで、こんなの見たくないのに、もうやめて、見たくない、という感情を、これでもかと抉り出させてくる。
そして本を閉じたあと、
赦してくれないことに、赦されてしまう。
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