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かわいいか、かわいくないか

何かを判断するときに、「かわいいか、かわいくないか」を
基準にする人は、どのくらいいるのでしょう。

最近、自分は少数派らしいと気づき始めたので
他の人はどうなんだろなぁと考えるようにしています。

とはいえ、他の人の考えは想像の範囲(しかも、ものさしが自分だから)
を超えていかないので、それぞれなんだろうなぁという結論にしかならないのですが。

よかったら教えてもらえると嬉しいです。

ちなみに少数派だと気づいたときの感想はこんな

さて、「かわいいか、かわいくないか」について。

わたしは、おそらくかなり多めに気にする方でした。
1年前くらいに、あるUMIカウンセラーさんと話していて、
「自分のこと、かわいくないんですよって何度も言いますね」と
言われて気づきました。

わたしは繊細な方で、だからアダルトチルドレンとうか、
『自分に気づく心理学』の加藤諦三先生による神経症気味というか、
まあ、自分を愛することが苦手なのですけども。
(自己判断ですが、HSP、AD、INFP、タイプ4ウィング5です)

かわいくないが口癖と指摘されて、思い出したのがネックレスにまつわる話です。

小学校に上がる前に、4つ上の兄と共同で母の日にプレゼントを選びました。
ネックレスでした。
子どもの買うものですから、お安かったとは思いますが
喜んでくれるといいな、いつも自分に手をかけてない母が少しでも
かわいらしくなるといいなと、精一杯選びました。

母が喜んだ記憶はなく、付けたところも一度も見ていません。

そして、大人になる頃に祖母にプレゼントをもらいました。
ネックレスでした。
困った時には売れるようにとの思いか(^^;
G18のごつい喜平で。
二十歳になりかけたころの女子にいかついゴールドはいまいちで。

もともと自分の気持ちを言葉にするのが得意でないわたしにとって
さらに感じたことと違うことを話すことは至難の業です。
でも、せっかく喜ぶだろうと選んでプレゼントしてもらったのだから
喜んでみせないわけにいかない、と頑張りました。
恐らく、子どもの頃に深く傷ついたせいもあるでしょう。

精一杯喜んだ雰囲気で受け取りました。
「わー、ありがとう!!大人っぽいね」とかなんとか。

祖母が帰った後、母にネックレスを預けながら
「あんまりかわいくないね」と正直な気持ちを言葉にしました。

「なんてかわいくないことをいうの」と変なものを見るような顔で言われました。

その時に「ああ、わたしは正直に自分の気持ちをいうとかわいくないんだな」と知りました。
ついでに「お母さんだって、全く喜ばなかったじゃないの」とも、少し思いました。

頑張ったのにな。
でも、かわいくないんだな。

それ以前から、子どもの頃の話を聞けば、
お隣の〇〇ちゃんはぺちゃぺちゃとよくしゃべったけど
この子は全然しゃべらないで、でも何か話すとはっきり喋った、
と母がときおり話しており、その都度、
子どもらしいかわいさがなかった子なんだな、と
常にどこかで気にしていたのだと思います。

母親に「かわいくない」といわれるってことは
もう決定打なんですよね。

そして、夫になる人に始めてもらったプレゼントのネックレスが
やっぱり好みでなくて、
やっぱり喜んだふりをしたけれど、いまいちだなぁと思った自分を
やっぱりかわいくないねって、思ったり。
ついでに、喜んだふりをするあざとさも自分で許せなかったり。

というわけで、「わたしの性根はかわいくない」、
でも、「かわいい方がきっとかわいいよな(語彙!)」と
かわいいってどんな?のサーチ機能が高まって
この判断はかわいいの?かわいくないの?のジャッジが厳しくなって
結果、「正直でいるとかわいくない」のレッテルを自分に貼りまくって
生きることになりました。

小さなことでも喜んでニコニコする子はかわいいなと憧れました。

、、、なんか、日常、喜ぶことって、ほとんどないよな
どうしてこんなにかわいくないのかなって考え込んだり、

友だちにどんな時に気分が上がる?と聞いて、
「ショッピング!特に気に入ったものがあったとき!」とか
「週末にコンビニでブリトー買ってもらうとき」
「ドーナツを食べるとき、嬉しくてナイフとフォーク用意しちゃう」
うわー、そんな些細なことで(失礼千万!)喜んじゃうって、
ほんとう、かわいいなぁって、愕然としたり。

、、、そんな日々を過ごしていたのですが、
最近気づいたんです。

わたし、理想が高いんじゃない?

人生で一番大切なことは?と聞かれて悩んだ末に「成長」と答えたり。
サビアン占星術で「はしごレベルの切り立った壁を上る人生」と言われたり。
水星、金星、太陽、海王星がいて座にいたり。

そっか、理想が高すぎるから、ちょっとやそっとじゃ喜ばないんだ。
そして、たぶん、本質とか、そういうところが大事すぎるんだわ。

ほんとうに、ほんっとうに魂が喜ぶことをしたいんだわ。

そして、何で喜ぶとか、人に「かわいいか、かわいくないかって
いわれるのって、どうでもよくないか?」と思い至りました。

何十年も引きずってきましたけれども。

そんなところに落ち着きました。

もしも、「わたし、かわいくないなー」って自分のこと思う人がいたら、
同じかどうかはわかりませんが、ご参考になると幸いです。

なお、プレゼントを贈ってもらえるときは
自分で選びたいと正直に言うのが吉かと今のわたしは思います。
きっと贈ってくれる人だって、喜んでもらった方が嬉しいでしょうから。
(これも、少数派のわたしのものさしですけども)

あ、ちなみに、自分が喜べば何でもいいんです。
そのときに自分にとって最高のものを得たいという、
ちょっとめんどくさいタイプなんだなと認識しただけです。

どおりで、昼ご飯に何食べようかなと迷って
銀座を子供載せ自転車で1時間半もうろうろしてしまうわけです。

気づいたら、ちょっと楽になりました(^^

余談ですが、わたしは胎内でへその緒が首に巻き付いていた
なかなかの難産の生まれです。
そういう子は、首に巻くものが苦手な子が多いだそうです。
当時は知りませんでしたが、ネックレスについては
ひとより深い意味を持ってしまうのかも。

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