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“あなた”がふと空を見上げたくなるメッセージを届け続けたい

わたしは今、その人の生き方を深掘りするインタビュー記事を中心に、ライターの仕事をしています。

ご依頼をいただく仕事のほかに、高校生の娘が3歳の頃から一緒につくっている「友だちにお手紙を書くようなフリーペーパー えんを描く」を気ままに発行したり、お手紙を書く時間を楽しむ会「おてがみぃと」を主宰したり、お手紙がある暮らしを書き綴るコラム「おてがみじかん」を連載したり、自らの視点で主体的に発信していく場を持つことも大切にしています。

このnoteもその場の一つです。

今回、noteのサイトで「#未来のためにできること」というお題を見つけました。それは私がいつも取材で誰かと出会うたび、「自分には何ができるだろう?」と考え続けてきたこととつながっているような気がして。これまでずっと、心の中で考えてきたことを、言葉にするいいタイミングだと思い、勢いで書き始めました。

自分には何ができるだろう?

今、わたしの中にある、その問いへの答えは、タイトルにも付けた「“あなた”がふと空を見上げたくなるメッセージを届け続けたい」ということです。わたしがライターとして、取材をしたり原稿を書いたりしている時に大切にしていることなのだと、こうして書きながら再確認しました。

話は長くなりますが、「わたしと、書くことの原点」から遡って話をさせてください。高校生の頃に「書くことで誰かの役に立ちたい」と思ったことがはじまりにあります。


“書くこと”で、自分と向き合う

小学生の頃、たまたま小・中学生向けの恋愛小説にはまり、「自分も書いてみたい!」と小説家に憧れ、小説や詩を書くようになったことが、そもそものはじまりにあります。

最初は“恋”をテーマにこちょこちょ書いていたものの、住んでいる地域では大気汚染という環境問題が身近だったため、授業などで学ぶ中で関心を持ち、「どうして、こうなったんだろう?」「人間は学ばない。なんて愚かなんだ」・・・と、今思うと「自分も同じ人間なのに、何目線なの! 偉そうに!」と突っ込みたくなりますが、当時は怒りに近い感覚から環境問題をテーマに物語を書くようになりました。

高校から大学時代に書いた創作物が記録されたフロッピーディスク

「書くこと」の意味が大きく変わってきたのは、自分自身が「書くこと」で心が救われた経験をしたことです。

いつの頃からか、中学校の美術部の顧問の先生に、詩や物語などを書いては読んでもらうようになっていました。何がきっかけでそうなったのかは思い出せません。おそらく、美術部の友だちと絵本をつくるなどしていたから、その流れから書いた物語を読んでいただくようになったんだと思います。

中学校を卒業してからも読んでいただく日々は続き、高校時代のある日、その恩師から「自分のこれまでのこと、今抱えている気持ちを、文章に書いてみたらどう?」とすすめられたんです。だんだんと書いている内容に、わたし自身のしんどさや心の小さな叫びみたいなものがあらわれていて、恩師が感じ取ってくれたのだと思います。

高校生、16歳という多感な時期です。それに加えて、小学4年生の時に母を病気で亡くしたこと、父子家庭で育ってきた中での世間の目や近所の声などもあり、生きづらさのようなものを抱えていたように思います。

「どうして生きているのか?」「自分は一体何者なのか?」「この世界に、どんな未来があるのか?」といった問いを抱え、それらの問いに対して「生きている意味はない」「自分は価値のない人間」「未来には絶望しかない」といった答えが浮かんでいたように思います。

架空の物語を創作することによって、間接的に自分が抱えている生きづらさを表現していたのでしょう。恩師のその提案をきっかけに、自分の物語を詩やエッセイという形で表現するようになりました。

亡くなった母のことや、それ以降の人間関係・環境の変化、“いい子”であろうとしていたこと、学校のこと、友だちのこと、世の中のこと、人間のこと。

すんなりと、自分の気持ちや想いを素直に表現することは難しいものです。だから、最初のうちは、他者の目を気にした綺麗事しか書けませんでした。自分は嫌な人間じゃないとか、いい人でありたいとか、印象をよくしたいとか、そんな気持ちが邪魔をしていたんです。それを恩師には見破られ、「本当にこんなことを思ってるん?」「かっこつけてない?」と一つひとつ突っ込まれて、そこでの気づきをもとに書き直して、また読んでいただいて・・・という、やりとりを積み重ねていきました。

そんな日々の積み重ねによって「本当はこう感じている、こう思っている」というものを、だんだんと出せるようになっていきました。時には、自分が「醜いなあ」「めちゃくちゃ、嫌やなぁ」「ひどい!」と思う自分とも向き合うことにもなり、つらく、しんどい作業でした。

しかし、自分に正直に書いたことを、先生には否定されず、受け止めてもらえたことで、「こう思ってはいけないと思っていたけど、思うことは仕方ない」「そう感じている、思っている自分がいるんだ」と、自分でも自分を受け止め、いったんは認めることができるようにもなっていきました。

そうすると、「わたしはあの時、こう思ったんだ」「本当はこうしたかったんだ」と、置き去りにしていた自分の気持ちも取り戻していくことができたんです。

“書くこと”を通して、他者とつながる

「どうして生きているのか?」「自分は一体何者なのか?」「この世界に、どんな未来があるのか?」と悶々としていた頃は、「わたしのこんな気持ち、誰にもわかってもらえるはずがない」「みんな、幸せそうでいいなぁ。わたしだけが不幸」と思い込んでいました。唯一話せたのが、似たような経験、痛み、つらさなどを抱えていた恩師だけだったんです。

しかし、心の中にあるものを文章として手放せたことで、だんだんと他の誰かにも知ってもらいたくなってきました。初めは“公募”というカタチで遠くの誰かへ届け、そのうち身近な誰かにも知ってもらいたくなって、高校1年生の終わり頃に休部状態だった新聞部を復活させて、校内新聞のコラムでエッセイなどを掲載し始めました。

すると、「私もこんなことを思っていたよ」「こんな経験があるよ」と話してくれる人たちが現れたんです。

経験談を語ってくれたり、感じていることや考えていることなどの内面的なことを話してくれたり。私自身を、文章でさらけ出すことで出会えた人の反応。当たり前ですが、さまざまな人が、いろんな環境の中で、いろんな価値観を持って生きていることを感じました。

他者とつながり、人間関係を再構築することもできたんです。これは自ら「生きたい」と思えた、第二の人生の幕開けとも言える、大きな出来事でした。

すると、いつのまにか、自分の物語をもとに創作することができなくなっていたんです。以前なら、自分の中から書きたいものが溢れ出てきていたのが、まったく出てきません。自分の中にあったものを昇華することができたのだと思います。

しかし、書くことをやめようとは思いませんでした。

書くことを通して、自分と向き合え、他者とつながることができました。それは私の生き方を変える大きな力となったから。これまでは自分のために書くことを続けてきましたが、これからは書くことで誰かの役に立ちたいと、書くことを仕事にすることを志しました。

“書くこと”を仕事にした覚悟

大学時代は新聞社でインターンシップするなどもしましたが、アルバイト情報誌で学生スタッフをしていた頃に「フリーライター」の仕事をしている方と出会いました。いきいきと仕事をしておられるその方を見て、「その方のようにライターになりたい」と思い、1年間のフリーター期間(自分で自由にフリーペーパーをつくりたくて1年限定でフリーターに)を経て、編集プロダクションに就職。

実はこの後、ライターの仕事をやめて、別の職種に転職しなければならないかもしれない・・・と諦めかけたことがあります。25歳で未婚のシングルマザーとなることになり、子どもを育てながらライターの仕事は続けられない・・・ライターとして仕事をし始めたばかりで経験も知識も技術も不十分でしたし、残業や徹夜、休日出勤などが当たり前でしたから。ですが、子育てをしながら編集者・ライターの仕事を続けてこられた方に声をかけていただいたおかげで、今があります。

話は戻って・・・取材先では、さまざまな思いを持って、生きて働く人たちとの出会いがありました。

日々ニュースなどを見ていると、世の中ではさまざまな出来事が起こっていて、つらくなったりかなしくなったり・・・どうして、こんなことが起こるんだろうと思うことが多々あります。失望することも多いです。

そんな中でも、よりよい未来につながるようにと行動を起こし、懸命になっている人たちがいます。そんな方々の姿や言葉、メッセージに、わたし自身が励まされ、心を動かされることが多くありました。この方々のメッセージを多くの人に届けたいと思いました。メッセージを届けることで、少し、また少しと、自分の目の前から世界がよりよくなっていったらいいなぁというイメージを抱きながら、ライターの仕事をするようになっていたんです。

また少し、話は逸れますが、今もなお、心に残り続けるエピソードがあります。

ある市が発行する人権に関する啓発冊子の制作に関わった時、差別問題の課題解決に取り組むグループを取材しました。その時に、会っていきなり「小森さんは、これまでに差別を受けたと感じたことはありますか? それはどんなことですか?」と聞かれました。

なぜ、そんな質問をされたのか。

それはその方々が取材を受けて、顔も、名前も出して、自分たちのメッセージを語るということは、それだけリスクがあるからです。市が発行する啓発冊子であっても、それを見て、さらに差別を受けるかもしれません。取材を受けてくださるということは、覚悟を持って臨んでくださるということ。取材する側も、その覚悟を持たなければならないと意識しました。同時に、そんな覚悟を持って、わたしにメッセージを託してくださるのだから、このメッセージを必要とする人たちに大切に届けたいとの思いをより強くしたんです。

ただ、当時の仕事では、そういったメッセージをそこまで表現できないものが多かったので、自らの視点で主体的に発信していく場として、フリーペーパーをつくり始めました。それが「えんを描く」です。

コンセプトは「日々の出会いや出来事、経験を通して、感じたり思ったり考えたりして、『こういうことを大切にしていきたいなあ』と思ったことを、まるでともだちにお手紙を書くように書き綴る」。

現在24通目まで発行中

“書くこと”で、目の前から少しずつ

仕事と、フリーペーパーなど自らの視点で主体的に発信していく場を通して、明確になってきたのは、自分にはこの現実を変えるほどのことはできなくても、たとえば「近所の人にあいさつをする」「エレベーターで乗り合わせた人と天気の話をする」「最近、連絡をとっていないともだちにメールしてみる」「お店のレジで『ありがとうございます』と言う時もちゃんと気持ちを込めて目を見て伝えよう」「しんどそうかなと思う人を見かけたら気持ちが楽になるような声をかけてみよう」など日常のささやかなことから行動を起こしていく、そんな気持ちの持ち方ができるメッセージをそっと忍ばせたいということです。

日々報道されるさまざまなニュースを見聞きする中で、その渦中にいる人の身近に、ひと声かけてくれる誰かがいたら、自分が大切に思われていることに気づけていたら、もしかしたら心が救われたのではないかなと考えることがあります。たった一言、されど一言。“気にかけてもらえる”こと、それを実感できることによって、心が救われることもあるのではないでしょうか。

わたしの日常でも、近所の人にあいさつを続けていたら、おじいさんから「あんたがあいさつをしてくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をおすそわけしてもらったり、おばあさんから「家の電灯をかえられへんから手伝ってくれへん?」と頼まれたり。

わたしもそうです。未婚で娘を出産することを決めた時、応援してくださる方々もいましたが、なかなか傷つくことを言われる場面も多々あり、「この子が生まれてくることは祝福されないのか」と落ち込んでいたことがありました。そんな時、たまたま道ですれ違っただけの、知らない人から「もうすぐかしら。楽しみね」と声をかけてもらって、心が救われたことがあります。

ほんの一瞬、道ですれ違っただけでも、誰かを救うことがあるんです。

自分が大切に思われていることに気づけたり、相手に「あなたを大切に思っているよ」というメッセージを送れたりする、心の余裕を持つきっかけになれるような、ほんのり優しい気持ちになれるような、また誰かへの想像力を持てるようになれるような、そんなメッセージを届けることができたらいいなあと思うようになりました。

「誰かが、誰かのことを想っていて。 それが、つながって。 誰もが、誰かに想われていたら いいなあと願いました」。年賀状にも願いをこめる

どこかで私の何かを読んでくださった誰かが、ふと空を見上げるきっかけになって。「あの人に連絡してみよう」とか、目の前の人に声をかけてみようとか、まわりにあるちいさなやさしさに気づけたりとか。そんな気持ちになれるメッセージを紡いでいきたいです。

どんな仕事をする時も、いつもそのことが心にあります。やがて未来につながっていけばと願いながら。

正直、私はできればひとりで黙々とすることのほうが好きです。人と接することも、その場での即興的なコミュニケーションも、すごく苦手で、すごく頑張らないとできなくて(できてもいなくて、相手に申し訳ないと思うことばかり)、取材時は年中問わず滝のような汗が流れます。約20年近く、何度も経験しても、変わりません。自分でも時々、「なんで、この仕事をしているんだろう?」、むしろ相手にも申し訳なく「していてもいいのだろうか?」と思うこともあります。

しかし、やっぱり“書くこと”を通して、今はライターとして・・・と原点に戻ってくる自分がいます。また、心を新たにして「“あなた”がふと空を見上げたくなるメッセージを届け続けたい」という思いを胸に、1日、また1日と積み重ねていきます。

#未来のためにできること

「これでいいのかな」「大丈夫かな?」と不安いっぱいで、ドキドキしながら、書き綴っています。だから、リアクションやサポートをしていただけると、とても嬉しく! 舞い上がります。励みになります。