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【他伝:ラクダさん②】「行かない」という選択肢

私のページを訪れてくれた皆様、ありがとうございます。
そして、ようこそ!

どうも、LOLerです!
読みはローラーを想定しています。一応。

私の記事の表紙となる写真についてお話ししましょう。

※それほど気になっていない方は、目次以降の本編から読んでくださいね!

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、
私の記事についている写真のほとんどは
レストランの外観と、お料理の写真です。

実は、これらのお店は
対面での取材をさせていただいた時に撮影しているものです。

私の取材パターンは大体

1回目:食事をしながらの対面取材
2回目以降:zoomなどを使ったオンライン取材

です。

取材慣れしていない1回目は、できるだけ話しやすい空間を作りたいという思いで
食事をしながらの対面取材にしています!

しかし、今回のラクダさんの取材は少し特殊。

1回目:食事をしながらの対面取材
2回目:2人で行った旅行中の宿で対面取材
3回目以降:電話やテキストでの取材

要するに、写真の素材がいっぱいな訳です。

※旅行中に取材してんの!?......はい。しかも彼の誕生日を祝う旅行中に。2時間。

えー、と、いうわけで。

今回、記事につく写真は様々ですが、このような背景があることを思って見てみてくださいね!

ちなみに今回は、レストランの外観を撮影し忘れました。申し訳ありません。

“アティックルーム新宿”というお店です


さて、そろそろ本題へ。

本日は、ラクダさんが学校へ通わなくなった起源に迫ってまいります。


「行かない」という選択肢


ラクダさんは
“不登校児”になる軽さと、
そこから抜け出す大変さを以下のように語ります。

以下、ラクダさんにテキストでご返答いただいたものを、
そのまま掲載しております。

小1の夏の、ある平日。母が「今日は学校いいからプールに行こう」と言い出した。ちょっとしたちゃめっけだ。その日がどれほど暑かったのか、どこのプールに行ったのか。覚えていることはほとんどない。ただ、その日、私が「ズル休み」という手札を得たことは確かだ。

それ以降、「眠いから」、「ゲームをしたいから」、「漫画を読みたいから」という、些細な理由で学校を休むようになった。親の小言は布団をかぶってやりすごした。その後に訪れる平穏かつ自由な時間のことを思えば、親の出社時刻まで耐えることなどわけなかった。

学校に行くより、ゲームをしたり漫画を読んだりテレビを観たりする方が楽しかった。それらは学校と違い、人を楽しませるために作られているから当然ではある。ただ、うつつを抜かすことの代償は大きかった。

私はいつの間にか学校に行けなくなっていた。腫れ物に触るような目。先生の気遣いによって生まれた温かさ。勉強についてゆけずに恥をかくこと。なにもかもが恐ろしかった。それらから逃れる手段は、学校に行かないことを除いて他になかった。

いじめにあうことも、強い思想に殉ずることもなく、実に気軽に不登校になったものの、そこから抜け出すことは極めて困難だった。不登校の入り口は広く、出口は狭い。まるでガリバートンネルだ。トンネルを抜けた先の世界はあまりにも大きく、身の丈に合わないもので満ち溢れていた。

しかし、小さくなければ見えないものもあるに違いない。あるいは、巨人の声で鼓膜が破れそうになっている小人のそばに行って、内緒話などもできるかもしれない。

結局のところ、そのようにして生き残ってゆくしかないのだし、そのような生き方は嫌いではないのだ。

ラクダさんがはじめて“ズル休み”を覚えたのは
小学1年生の夏のことでした。

学校のある平日に、母親からの誘いでプールへ行ったそうです。

※私も両親の仕事が土日休みではなかったから、ディズニーに行くためにズル休みしてたな笑

しかし、この出来事は
日常の些細なご褒美にはとどまらず、
「行かない」という選択肢
ラクダさんに与えるきっかけになったといいます。

私を含め、多くの方は

「学校へ行く」

ということを当たり前に感じ、

「行かない」という選択肢を知らない
知っていても、それを選択することに違和感を感じるのではないでしょうか。

さらに、ラクダさんは1人時間を過ごす天才
これが、「行かない」の選択肢をより魅力的にみせた要因かもしれません。

取材時、“学校好きな私”“学校嫌いな彼”とで
どこに違いがあるのか話し合ってみました。

私は、3歳下に妹がおり、両親の職場は店舗兼住居のレストラン。
家にいて、静かな時間はなく、常に人の存在を近くに感じていました。

そんな幼少期を過ごしたからか、私は1人の時間があまり好きではなく
誰かと一緒にいたい“寂しがりやさん”です

一方のラクダさんはというと、ひとりっ子で、同居する母親は会社員、おばあちゃんは週4日ほどパートをしていました。

比較的、1人の時間を過ごすことが多く
当時は漫画やゲームにどっぷりハマっていたそうです。

そんな彼は、1人の時間が必要なタイプでもあります。

幼少期の環境が“不登校”を生み出すというわけではありません。
しかし、その後の人格形成に大いに関わっているのではないかと感じます。

※寂しがりやの私と、1人の時間が必要な彼。
※いつか同棲なんかがはじまったら、どうしようか?あとでLINEして笑

さて、本題に戻ります。

“ズル休み”を覚え、「行かない」を選択肢としてもったラクダさん。

今度は、“行かない理由”を増やしていきます。

とはいえ、小学生が学校へ行かない理由です。
「ゲームがしたい」「漫画の続きが気になる」「眠たい」
その程度のことなのです。

“いじめ”を受けていたわけでもありませんでした。
その証拠に、学校へ行かない日も、
放課後には友達がラクダさんの家に遊びに来ていたといいます。

小学5年生のある日。
ラクダさんは、4日間連続で学校を休みます

連続して学校を休むこと、
それが不登校への大きな第一歩でした。

母と祖母から、応援要請を受けたであろう
親戚のおじさんからこっぴどく叱られ
次の日はなんとか学校へ行くも、
しばらくすれば、行かない日が続きます。

たまに学校へ行っても、勉強にはついていけず、
優しいクラスメイトと話すだけ。

しかし、ある男の子の一言により、
そんなクラスメイトの優しさすらも信じられなくなってしまいます

「なんで学校に来ないんだよ」

とラクダさんを嘲笑するクラスメイトの男の子。
その嫌味ったらしさに、ラクダさんもつい

「そんなことしてると嫌われるぞ」

と言い返してしまいます。
売り言葉に買い言葉。

返ってきた言葉は、

「お前だって嫌われてんじゃん」

小学5年生の小さな体では受け止めきれない
重く、冷たい言葉です。

この頃から、ラクダさんは“人の優しさを信じない”ことで
自分を守ろうとしてきました。

「俺は学校に行ってなかったから、そうならなかっただけで、
もし通っていたら、いじめられていたのかもしれない」

こうした積み重ねによって、
「学校に行かない」
「学校に行けない」に変わっていくのかもしれません。


ベストフレンド!ミノムシさん!!


前のテーマはなかなかヘビーでしたね。
皆さんの心にも、ズンと重しが乗ってしまったかもしれません。

このテーマはタイトルからもわかる通り、
ポップで明るいお話です!

さ!最後まで読んで気持ちを上向きにしてからページを閉じましょうね!

※もちろん、スキのボタンも押し忘れなきように!

さて、不登校のまま小学校を卒業し、
ラクダさんは中学生になりました。

繊細な心を持っているラクダさんですが、
ちょっとしたことでテンションが爆上がりします。

※テンションが上がると街中とかでステップ踏み始めます
※突然のことなので未だ動画に収めることはできていませんが、いつか必ず。

小学生の頃は何もしてこなかったと反省し、
中学生からは自分から動き出してみようと意気込むラクダさん。

入学式の日、初めて袖を通す“制服のブレザー”にテンションが爆上がり。

ブレザーの胸の辺りにある内ポケットに
手を出し入れしながら

「ここ、拳銃入れるとこだよね!!」

と、急に!急に、後ろの席の男の子に話しかけます。

※大事なことだから3回言います。急に!
※こういう急なとこも、ラクダさんらしさではあります

※以下、その男の子を“ミノムシさん”と呼ばせていただきます
※ラクダさんに命名していただきました。クレームはラクダさんへ

そんな突拍子もない会話のサーブを投げ込まれたミノムシさん。
ラクダさんは、「笑い返してくれたよ」と言っていましたが
それが何笑いだったのか、気になるところではあります。笑

しかし、2人は今でも長期お泊まり会を開催するほどのベストフレンド!
出会った当時は、毎晩電話していたそうです。

中学校でも変わらず、学校を休みがちだったラクダさんですが
“友情”に触れる経験をしました。

ラクダさんはミノムシさんについて以下のように語っています。

「おそらく世界一優しい人間」


次回予告


今回の記事はいかがでしたか?

以前取材させていただいた
オウムさんの人生とはまた違う、“不登校”のはじまり

皆さんの感想をぜひ、コメント欄などで教えてください!
お待ちしております!

さて、次回の記事は

ラクダさん、高校を辞める!?

ぜひ、覗きに来てください

最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
では、また!

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