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背中は合わせ鏡――「ルックバック」レビュー&感想

藤本タツキの読切作品を映像化した映画「ルックバック」。短くも鮮烈な印象を残すその背は、いったい何を語っているのだろう?


1.京本の見た背中

小学4年生の藤野は、運動神経も良ければ絵も得意な人気者。学年新聞でも得意の漫画が評判……だったのだが、ある日一緒に掲載された不登校の京本という少女の絵の上手さに藤野は衝撃を受ける。自分より絵の上手い子がいるなんて許せないと猛練習を重ねるも結局追いつくことができず、藤野は漫画からの「卒業」を決意するのだが……

「ファイアパンチ」「チェンソーマン」などで大人気の漫画家・藤本タツキが描いた長編読み切り漫画「ルックバック」。2021年の発表から3年を経てアニメ化された本作は、タイトルが示すように「バック」に目を向けさせる作品だ。登場人物は自分の心情を長々語ったりはしないが、その所作から私達は主人公の藤野や京本が何を考えているかを推し量ることが――「ルックバック」することができる。敵わないと思っていた京本に憧れを告げられた藤野が雨の中、傘も差さずに踊るようにして駆ける場面などはその意味でも前半のハイライトと言えるだろう。

バックを見る。そう、私達は目の前の出来事に様々な背景を見出すものだ。4コマ漫画の合間に起きていることを想像し、並べられた二人の作品に優劣の差を見出し、それを見た同級生の何気ない言葉に実際以上の嘲りを感じる。それは良くも悪くも勝手な心の動きで止めようがなく、藤野は2年間続けた独り相撲の末に「自分は絶対京本に追いつけない」と感じて漫画を描くのをやめてしまったほどだ。だが、彼女にはもう1人別の「バック」を見る者が存在していた。誰あろう、学年新聞で藤野と共に連載をしていた京本である。

京本「藤野先生は絵も話も5年生頃からどんどん上手くなっていって私確信しました……! 藤野先生は漫画の天才です…!」

小学校の卒業式の日、先生に頼まれ証書を届けにいったことで初めて京本と対面した藤野は、彼女から自分の漫画の大ファンなのだと打ち明けられる。画力では圧倒的に勝る京本が藤野のファンなのは不思議に思えるかもしれないが、上述の台詞からすればその理由は明白だろう。京本は確かに絵が巧いが掲載していたのはテーマ別の風景画集に近く、そこにはストーリー性が乏しい。彼女はおそらく藤野の漫画家としての総合的才能に憧れたのであり、それは絵に没頭する藤野を見て家族や同級生が抱いた心配や気持ち悪さよりはるかに正確な「スケッチ」だと言える。藤野は自分がどんな輪郭をしているかを、いや人が通常見ることができない己の「背中」=バックがどんな姿かを教えてもらったに等しく、だから京本の言葉に嬉しくてたまらなくなってしまったのだろう。

2.見失う背中

京本が教えてくれた「背中」=バックに勇気づけられ、「藤野キョウ」として漫画家を志した藤野は若くして頭角を現していく。京本に背景を手伝ってもらい17歳にして読切7本掲載、高校卒業後は連載の打診……担当から話を聞いた時、藤野の頭の中にはバラ色の未来が浮かんでいたことだろう。だが、実際には二人が連載を持つことは無かった。京本が美大へ進学したいと言い出し、連載を手伝えなくなってしまったからだ。

京本の美大進学はけして唐突に明るみに出たわけではない。彼女は藤野に連れられ活動範囲を部屋の外に広げていくが、その中には彼女が1人「背景美術の世界」という本を手にして目を奪われる姿が描かれている。そう、「背景」だ。藤野が京本の手を引く場面は劇中に3度あるが、雪の中持ち込み漫画の審査結果を見に行く1回目、準入選の賞金で街へ繰り出す2回目、取材を兼ねてあちこちへいく3回目では背景の明るさがそれぞれ異なっている。不登校の京本にとって背景とは世界そのものであり、この変化は彼女が世界を好きになっていく視覚的象徴でもあったのだろう。だが、それならば彼女が見ていた「背中」はどうなったというのだろう。

藤野は京本に自分の「背中」を見せてもらった。逆に言えば背中しか見せることができなかった。小学6年生の時に漫画を描くのをやめたのは京本への敗北感からではなく漫画の賞に出すステップアップのため、背景なら京本がいなくなってもアシスタントに任せればいい……そういう強い背中が嘘ではないと証明するように、彼女の漫画「シャークキック」はアニメ化が決定するほどの人気作となった。だが一方、アニメオリジナルの描写として追加された、担当編集にアシスタントについて相談する場面の彼女にはそうした貫禄はない。

難しいのは分かっているが、より実力のあるアシスタントが欲しい。そう訴える藤野の足は貧乏ゆすりをしていて苛立たしげである。ある者は真面目に取り組んでくれるが実力不足、ある者は手は早いが今ひとつ考えが足りない……これは単なる尺稼ぎやリアリティの追加ではない。藤野が感じているのはアシスタントが自分の世界観を十分に読み取り視覚化してくれない不満、すなわち「背景」の力不足だ。そしてそのぐらつきは、直後に最悪の形で具現化することとなる。机の横で流していたテレビから飛び込んできた、故郷の美大が通り魔に襲撃されたというニュース――慌てて京本にかけた電話は通じず、直後に緊急警報のように鳴った母からの電話で藤野は京本の死を知ることとなった。

葬儀を終え、京本の家を訪れた藤野は彼女の部屋の前で絶望する。もし自分が部屋から出さなかったら、京本は死ななかった。卒業証書を届けに行った日、何の気なしに漫画を描いてそれが彼女の部屋に滑り込まなかったら、京本は死ななかった。
彼女がくずおれてしまうのは、自分の輪郭が見えなくなってしまったからだ。京本に見せていた背中が正しいものか分からなくなってしまったからだ。けれどこれは初めての出来事ではない。藤野は小学6年生の時も、京本の圧倒的な画才に自分が描く意味を一度は見失っていたはずだ。そしてその時、「背中」をもう一度見せてくれたのは誰だっただろうか。そう、藤野の背中を描いたあの日、京本は「またね」と言ったはずなのだ。

3.背中は合わせ鏡

途方に暮れていた藤野は、閉ざされた京本の部屋から滑り出た1つの4コマを目にする。その前には京本が部屋から出るきっかけとなった藤野との出会いがなかった場合のもしもの世界が描かれており、4コマはそこから紛れ込んだようにも見えるが、その真偽はおそらくさほど問題ではない。重要なのは、京本が描いたとされるその4コマが「背中を見て」であることだ。

4コマ漫画の中で藤野は襲われる京本を颯爽と助け出すが、その背中には実は犯人の凶器が刺さっている。これは単なるギャグではなく、むしろスケッチ・・・・であろう。きっと京本は、藤野の見せる背中が半分は虚勢であることに気付いていた。自分に見せる姿より本当は弱いのに、せいいっぱい強がろうとするその背中にこそ「藤野先生」を見ていた。

4コマに導かれて京本の部屋に入った藤野は、誰もいないその部屋にしかし彼女の存在を見る。ポスターが貼られ、棚一面に単行本が収められた「シャークキック」。掲載順を上げるため書きかけていたのであろうアンケート葉書……既に述べたように京本はもういないにも関わらず、この部屋は『背景』だけで彼女が何を考えていたのかを雄弁に語っている。そう、これは画力はあっても早くは描けない彼女が、藤野と別れた後でようやく描きあげた「背景美術」だ。とどめとばかりに、ドアの裏側には二人が初めて出会った時に藤野がサインしたどてらがかけられていた。京本がずっと見ていたであろう、藤野の背中がそこにあった。だから藤野は、京本がスケッチしたそれに恥じないようにもう一度机に向かう。彼女に見せていたのと同じ、傷ついても漫画を描く背中を観客に見せていく。

私達は自分で自分の背中を見ることはできない。自分の背中を見られるとしたらそれは、他人を通して――他人の背中を通してだけだ。「ルックバック」……他人の背中を見る時、人は合わせ鏡を見るように自分の背中を見ているのである。

感想

以上、映画「ルックバック」レビューでした。原作は発表当時目を通しましたがその時はまあそれだけで、今回の映像化を通して自分の中で考えを整理することができました。タイトルの意味も当時はあまり考えなかったのですが、京本の遺した部屋が「背景」ではないかという着想から書くことがまとまっていった感じです。

「情報化社会」という言葉ももはや陳腐になりましたが、現代はあらゆる情報に勝手に背景を見出す社会なのだと最近は感じています。私を含め誰もが物事の裏側を見抜いているつもりで偏見で物事を見て、そのフィルターを客観的だの論理的だのと信じて疑わない(こう書くと「そうそう、ツイフェミはただの絵にありもしない妄想を見てる」となる方もいるかと思いますが、基本的には「ポリコレのせいで作品がつまらない」「アニメ版ルックバックでは台詞が修正前に戻った、規制に勝ったんだ(先着特典であるオリジナルストーリーボードを含め、使用されているのは2回の修正を経た単行本版)」みたいな声の氾濫に対して言ってます)。
それはたぶん良くも悪くも人間の性からくるものだし、だから漫画やアニメが成り立ってもいる。どうしたらいいかは分からないけれど、その性は切って捨てられるものではないのだと感じました。

なお、個人的には「犯人」が原作に比して明らかに話の通じなさが減退しているのが印象的でした。あの場面はどうしても台詞にばかり目が行きますが、あの顔つきもまた一種の背景情報なのじゃないでしょうか。
ちっぽけだけど、私もまたアニメレビューという背中を書き記せていければと思います。スタッフの皆様、お疲れ様でした。

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普段はTVアニメのレビューを1話1話ブログに書いています。2024年夏は「負けヒロインが多すぎる!」「しかのこのこのここしたんたん」「真夜中ぱんチ」の3作をレビュー予定。

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