外国語学部生が考える英語勉強法と言語習得のプロセス
こんにちは。
長らく書いていなかったけれど、少しずつ再開しようと思う。
今回は、新しい語学を学び始めるにあたって、私が考えたことや言語習得のプロセスについて思ったことを書いていこうと思う。
私自身、英語がなんで上達しないんだろう、と何万回も思ったことがある。
英語だけでなく、大学から始めたフランス語とインドネシア語も思うように振るわず、言語習得の難しさや困難を今もなお実感しているところだ。
それでも、「なぜ、そこで諦めずに外国語を習得しようと思ったのか」というと、「好奇心と憧れ」があったから、のように感じる。
この記事では、あくまでも私個人が「何をどう考えているのか?」という思考のプロセスを中心に今回は記事を書いていこうと思う。また、「日常会話ができるようになる語学の勉強法」についても言及していきたいと考えているので、興味があれば是非。
ネイティブと外国語話者の違い
ここから、私(ねこぬ)の視点から、ネイティブと非ネイティブ(外国語話者)の違いを考えてみようと思う。
ネイティブの定義は?と思うかもしれないが、私の中での定義は「幼少期・小学生時代に学校で使っていた言語を操る人達」である。(あくまで私の考えです)
詳しくは、前の記事を参考にしていただけると幸いです。
まず、外国語話者で1か国語を幼少期に使ってきた&あとになってから外国語を学び始めた人を考えてみたい。
下の絵のように、デフォルトに1か国語(例:日本語)があり、外国語は日本語の上に上書きされていく、と考える。
時折、上書きされた外国語同士をごちゃごちゃに覚えたり、話したりすることがあるかもしれないが、デフォルト(日本語)と混同するケースはほぼ無いだろう。
例)This morning をThis matin (フランス語でmatinは朝)と言ってしまう等
次に、ある言語を「話せる」という状態を、ネイティブと外国語話者を比べながら説明しようと思う。
「英語が話せる」という言葉は大きな含みを持っている。
なぜなら、「話せる」の定義が、
「単語を繋ぎ合わせて文章を作ることが出来る」なのか
「双方向のコミュニケーションが成立している」なのか
「自然な言い回しと文法をTPOに応じて使い分けられる」なのか
分からないからである。
私の感覚では、「第一言語として操る人と、外国語として操る人のコミュニケーションは成立する、が、前者が、幼少期から培われた言語的センスや感覚、膨大なボキャブラリーなどを持ち合わせている点で外国語話者と違うのではないか」と考える。
その違いをグラフで表してみると、両者が共有する言語的領域が存在し、その範疇で外国語話者は言語を理解する。
下の図の、はみでた黄色の部分は、ネイティブの人がもつ「非言語的コミュニケーション領域(社会生活の中で身に着けるもの)、文学的な表現、言語的センスや感覚」などがあると思っていて、外国語話者も限りなく第一言語話者に近づくことはできると考える。しかしながら、多くの労力と時間が必要となるだろう。
言語習得のプロセスについて
次に、新しい言語を学ぶ際の習得プロセスについて意見を述べていこうと思う。もちろん、全く0の状態では、会話はおろか理解をすることができない。
複数言語を学んで感じたのは「まずはサバイバル語彙を身に着けろ」である。サバイバル語彙ってなんやねん、と思われるかもしれないが、基本的な動詞、名詞、形容詞をここでは指している。赤ちゃんがまず覚える言葉、であったり、明日外国に一人で放り込まれるとなったら詰め込んでおきたい言葉、、、などである。(たとえが分かりにくくてごめんなさい、へへっ)
参考までに下の図を見て頂きたい。
また、言語は「意思疎通の手段として意味をもつ音」でもあることを忘れてはいけない。書き言葉でさえも、読む際は音として頭の中で認識されている。発音のわからない、どうやって読むかわからない単語だけれども、なんとなく意味が分かる言葉もあるかもしれない(漢字だと特に、形や部首を見て、読めないけれど意味がつかめるものがあるかもしれない)が、相当視覚情報の記憶力に長けていない限り、言語そのものを理解することは難しいだろう。
逆に、音さえ分かれば、人とコミュニケーションを取ることができる。
日本語を覚え始めた赤ちゃんや幼児が、ひらがなやカタカナを書いたり読んだりできなくても、親や先生と会話ができるのは、音の情報が人とコミュニケーションを取る上で非常に大切だからだと考える。
まず、新しい言語を学ぶ際は、分からなくてもいいので、「どんな音なのか」調べてみたり、会話のスキットに耳を傾けたりして、「その言語を聞いて自分はどう思ったのか」という気持ちを大切にしてもらいたいと思う。
言語学習の3つのハードル
①暗記が多く、得意・不得意が分かれる
②学習成果をなかなか感じられない→途中でやめたくなる
③学んだ言語を使い続けられる環境がない
①に関して、言語学習を突き詰めれば、インプット(暗記)とアウトプット(会話など)の反復になってくる。
本来的に暗記が得意という方であれば、アドバンテージが大きいと思うし、そうでなくても「反復学習が習慣化」している人であれば有利である。一度覚えた事をすぐ忘れてしまっても、何回も反復して見返せば、脳が「重要な情報」だと感じて覚えてくれるからである。
②に関して、短期的に大きな成果を得たい!という人に、語学学習は最適ではないかもしれない、と私は考える。長期的に向き合っていけるかどうか?ずっとその言語に触れたり、言語を通して得る何か(人脈、知識、経験等)が楽しいものかどうか?といった視点が重要になってくるのではと個人的には思う。
③は、特に大人になってから、趣味などで外国語を学び始める人(私もそう)には至難の業である。学んだ言語を生かし続ける環境に自身が置かれていない場合、自分で環境を作るしかないからだ。せっかく一度、話せるようになった言語も、全く使うことがなければ徐々に忘れて行ってしまう。だから、自分から積極的に行動する、という姿勢が大切になってくる。
次のチャプターでは、マインドセットとともに、これらの課題を解決する糸口を見つけていきたいと思う。
言語を学ぶ上で大切な5つのマインド
①明確な目標を持つ!
②最初から上手く出来なくて当たり前!不完全のままでも話す!
③まわりに新しい言語を学び始めたと宣言する!
④わからない、知らない自分を受け入れる!
⑤長期目線でのんびり、でも着実に進む!
1つずつ見ていこう。
①明確な目標を持つ!
なんとなく将来に役立ちそうだから。といった曖昧な動機ではなく、
この言語を習得して、○○(例:来年の夏)までに、旅行に行きたい!色んな人と話したい!技術を学びたい!恋人を作りたい??!などといった
明確な目標が先にあって、その目標を達成するためにこの言語を学びたい!といった動機があればベストだと感じている。
なぜなら言語学習はあくまでも手段だと私は考えているからだ。
とはいえ、私もフランス語を習い始めた時、明確な目標など無かったし、
なかには大学の授業や出張などで嫌々、好きでもない言語を習わなければ
いけない状態にいる方だっていると思う。
そんな時は、無理して目標を作らなくてもいい、と感じている。
え、今さっき言ってたことと全く逆やんけ、と思ったかもしれないが、
「無理して」苦しみながら学んでも、成果はついてこないと感じるからである。
そんな場合は、目標に縛られて、苦しくなるよりもむしろ、学びながら目標を探していけばいいんじゃないか、と思う。
私が新しい言語を学び始める時に考えることと少し似ているけれど、
「多言語を話せるかっこいい人になりたい!」という。なんともまあ曖昧な動機から始まって、学んでいくうちに「こうしたい!」という具体的な目標が定まった。それが見えたら、あとは目標に向かって走るのみ!
②最初から上手く出来なくて当たり前!不完全のままでも話す!
これはめちゃくちゃ大事なことだと個人的には思っている。
不完全な状態のまま、人と話すのは勇気がいる、でもそこで
恥を捨てて、練習しよう!もっと上手くなろう!と行動に移せる人が
結果的に言語を上手く操ることができるようになっていくと
私は確信している。
新しい言語を学び始めても、すぐに話せるようになれるとは限らない。
しかし、だからといって、完璧になるまで、ネイティブと話したくない!という気持ちでいると、いつまで経っても話せないままになってしまう。
なぜなら、どうがんばっても、いきなりネイティブにはなれないんだから。
分からなくても、話す、聞くっていうことを繰り返して、少しずつ理解していけば、ある日ある瞬間に、音の連続が意味のある言葉として認識できる「ブレイクスルー」がやってくる。私の場合、英語がそうだった。
結局、言語学習とは、インプット・アウトプットの反復という
泥臭いことの積み重ねである。
④のわからない、知らない自分を受け入れる!にも通じるが、
プライドを捨てて、「話せない」という自分を常に自覚して受け入れながら、「分からない」ことを正直に「分かりません」と言える人が、
最終的に伸びていくと思う。
私がなぜ、そう思うようになったのか?というと、留学や大学の国際交流の
経験が大きい。
私が日本語学習者と話す時、彼ら・彼女らに日本人と同じようにスラスラ話すことを期待しないのと同じように、英語のネイティブからだって、英語を外国語として身に着けたこちらが、「ネイティブと全く同じように」話すことを期待されていないのである。
だから、完璧に話せないから失望された、友達になれなかった、上手くいかなかったと自分を責めないでほしい。どこかに違う別の原因があるかもしれない。
もし、からかわれたり、笑われたりしても、へこむ必要は全くない。
そんな人はこちらから願い下げである。むしろ、人間関係が進む前に、
その人の弱い立場の人を鼻で笑ったり、平気で見下したりできる本性や気心が知れて良かったと思うぐらいである。
また、外国語を話すときは、「意見を伝えたい!」「この人と話したい!」という気持ちを常に持つことができるかどうかのほうが大切なんじゃないかと思う。一生懸命話そうとする姿勢や熱意は案外相手には伝わっているもんである。どうか諦めないでほしい。
③まわりに新しい言語を学び始めたと宣言する!
これも見逃しがちだが、大切な事だと私は思う。
周りに宣言することは、少し、恥ずかしいかもしれないが、
意外と協力的な人が情報をくれたり、会話するきっかけを作れたりなど
語学上達の近道となる可能性が高まる。
私もインドネシア語を勉強し始めてから、周りにそれを伝えていくと、
インドネシア語で話しかけてくれるようになった人がいたり、インドネシア語でメッセージを送ってくれたりする人がいたりして、結果的に学びになった。
母国語が聞こえる所は本当に居心地がいいし、悪いわけでもないけれど
恥を捨てて、コンフォートゾーンを抜け出してみてもいいかもしれない。
わからない言葉だらけの環境は怖いかもしれないが、1度飛び込んでしまえば、後は必死にもがけば実力がついてくる。
と思った今日この頃。(我ながら、締め方雑やなー)
④わからない、知らない自分を受け入れる!
言語学習は精神的な面でも、自己成長につながるのではないかと思う。
わからないことをわからない、と言うのは案外難しい。しかし、わからないまま進み続けることの方が、もっと危険ではなかろうか。
言語学習において、「完璧主義は禁物である」と声を大にして言いたい。
完璧を目指すのではなく、まず現在地を確認して、階段を上るようにステップアップしていくような感覚を持つと分かりやすいかもしれない。
⑤長期目線でのんびり、でも着実に進む!
先ほども述べたが、語学学習は長期マラソンみたいなものだと思う。
短期間で結果が出なくても、焦らずステップ•バイ•ステップで進んでいけたらいいな!といった余裕を持っておくと、気持ちが楽になるだろう。
具体的な学習方法
ここでお断りをしておく。
勉強方法は目標や目的によって全然違ってくるものだと思っている。
私は「色んな人と日常会話ができるようになりたくて、新しい言語を学んでいる」ので、仮に、ビジネス会話目的であったり、文学を極めて読むことを重視したいという方だったりには私の勉強方法は向いていないと思うので、ご了承ください。
①とにかく聞く
言語習得のプロセスについて、の所でも述べたが「言葉を聞くこと」は
新しい言葉を学ぶ上で大切だと私は考える。
実際、インドネシア語を学ぶ際にも50曲ぐらいインドネシア語(あるいは似ているマレー語)の曲を聞いた。
歌詞の意味が分からなくても、メロディーが好きな曲であれば、自然と何回も繰り返し聞いていて、たくさん歌詞にでてくる単語の音をなんとなく頭で記憶している状態になる。
(例えば、恋愛ソングばかり聞いていると、cinta とかasmaraとかたくさん出てくる)
そして、いざインドネシア語を習い始めたときに「あれ、アスマラ?(asmara) この単語、どこかで聞いたことがあるな」というような発見があり、意味を知りたくなってくる。そうすると、言語学習が一層楽しくなってくる。
人間、一度見たことがある、聞いたことがある、と感じたものに親近感を抱いたり、好きになったりすることがある。その原理を言語学習で私は活用している次第である。
②単語は、後で使えるように覚える
これは、単語を覚える時に注意していることだが、意味を丸暗記するのではなく、覚えた単語をどのような場面で、どういう風に使えばいいのか?まで理解して覚える、という事を心がけている。
新しく覚えた単語を使って、文章を作ってみたり、画像検索してみたり、例文を複数検索したりして、どのような場面(ネガティブなのかポジティブなのか)でどういう風に文の中で組み立てて使うのか考える。
例えば、terima(インドネシア語=受け取る)という動詞は、
Terima kasih (慣用表現=ありがとう)であったり、
Aku terima berita dari mu (私はニュースをあなたから受け取った)
という風に使えばいいのだなーと確認する。
③言語は空間的→だから人と話す機会をたくさん作る!
言語学習を通して、私が気づいたことは「言語は空間的である」ということである。
どういうことかというと、「人の話す言葉は、置かれた状況やシチュエーション、話している相手との関係性、指し示すものとの距離などに密接にむすびついている」ということである。
例えば、日本語であれば友達とはタメ口ではなすけれど、先輩や先生とは敬語で話す、近くの物は「これ」といい、遠いところにあるものは「あれ」と言って指し示す、などが当てはまる。
赤ちゃんだって、自分の置かれた空間と言語の結びつきを通して言語を学習していく。親や周りの人が話している場面をみたり、彼らと自分のかかわりの中で、「こういう場面のときはこういう言葉を使う」といったパターンを蓄積していっているんだと思う。
だから、私は言語学習において「色んな人と実際に話す機会を作る」ということが大切だと考える。オンラインでも対面でもいい。人と話すことによって、その人や置かれた空間との関わりから言語を学び、場面場面で言葉を使い分けられるようになっていくと考えるからだ。
最後に
色々ダラダラと語り続けてきたが、
つまるところ、自分が楽しいと思える方法で継続できればいいと思うので、
自分が楽しいと思えるベストな勉強法を見つけられたら幸いである。
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