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児童・生徒指導59★生徒指導提要から考える その12(「児童の権利に関する条約」)

今回も「生徒指導提要」を読んで、考察をしてみたいと思います。あくまでも、読んで感じたことや考えたことなどの、個人の一見解です。また、読み進めながら書いていくため、全体像を見通した内容になっていなかったり、解釈の仕方が変わっていったりする可能性もあります。

「生徒指導の取組上の留意点」について読み、考えをまとめていきます。ここでは、「児童生徒の権利の理解」「ICT の活用」「幼児教育との接続」「社会的自立に向けた取組」の4つの留意点について述べられています。今回は、「児童生徒の権利の理解」に焦点を当てていきます。


「児童の権利に関する条約」4つの原則


まず、「児童の権利に関する条約」の4つの原則が取り上げられています。ここでは、4つの原則として「生徒指導提要」に取り上げられている部分を、「児童の権利に関する条約」から引用します。

・締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。(第2条第1項)
・児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。(第3条第1項)
・締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。(第6条第1項)
・締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する。(第6条第2項)
・締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。(第12条第1項)

「児童の権利に関する条約」

この条文から考えられることは、「生命の安全が確保されていること」「差別をされないこと」「意思を表明できること」は学級に不可欠な要素であり、また、それらを満たすために「ひとりひとりの最善を求めて行動していく」ことが学級における共通のテーマになるのではないかということです。

このような条文を知っておく意味

まず、このような条文を知っておく意味について考えてみたいと思います。

いち学級レベル・いち教師レベルにおとして考えた場合でも、「生命の安全が確保されていること」「差別をされないこと」「意思を表明できること」は、多くの現場において大切なこととして取り上げられ、指導がなされていることであると思います。(今回は、ひとつひとつをかみ砕いて捉え直していくことはしませんが、このような価値について改めて考えてみたり、あえて疑うところから思考を始めてみることは、それらの新たな価値に気付くことにつながり、重要な営みであるとも思っています。)

しかし、学校現場ではときに、これらの人間にとって基本的な権利がないがしろにされてしまうことが起こります。そのときに、教師がどの程度の重要度をもってそのことに対応できるかが互いを大切にし合う学級づくりの鍵となるのではないでしょうか。

子どもは日々起こる、学級の出来事や自分たちの言動に対する教師の反応・対応をよく見ています。日々を繰り返す中で、教師が重きを置いていることや、そうでもないことを理解し、それを自分たちの行動にも当てはめていこうとすることは少なからずあるのではないでしょうか。ヒドゥンカリキュラム的に、教師の態度や「言葉を発しない」という行為からも伝わっていくことがあります。「生命の安全が確保されていること」「差別をされないこと」「意思を表明できること」のような、全員に確保されるべき基本的な権利に関わることであっても、ささいなことであると見逃してしまったり、数々起こる出来事の中に埋没してしまったりすることがあります。

このような条約の存在を理解しておくことは、目の前で指導の必要性のある出来事が起こったときに、その重要度を念頭に置きながら指導に当たることができるということにつながると考えられます。(もちろん必要以上にナイーブになったり、危機感を覚えすぎたりする必要はないと思っています。ナイーブになりすぎることによって、指導の仕方が不適切ものになってしまうこともあると思います。すぐに対応すべきなのか、様子を見るのかということについても、その都度の状況によって考えるべきものです。しかし、目の前で起こった出来事が、このような基本的な権利に関わるものであると自覚できているかどうかという点は大きいと思います。)

ひとりひとりの最善を求めて行動する

さて、第3条に掲げられていることは、もちろん、「大人-子ども」「社会-子ども」などの図式レベルのことを述べているものではありますが、いち学級レベルにおとしたときにも、「いつでもひとりひとりの最善を求めて行動していく」ことが基本的な権利を大切にしていくための共通テーマになるのではないでしょうか。

権利が確保されればよいのは自分だけではなく、学級の全員に当てはまることですが、私たちはつい自分の権利のみを主張し、そこに相手の権利が存在していることを失念してしまいます。

ひとりひとりにとって最善の状態を構築するためには、自分の権利のみがいつでも100%満たされるわけではありません。他者のために気を遣うことも、自分の行動をコントロールすることも必要になります。しかし、そこで生活する人々が互いにそのような意識で生活することによって、包括的に見ると全員の権利を大切にすることにつながり、不当なもめごとを減らし、全体的な満足度を高めることにつながります。

また、「ひとりひとりにとって最善の状態」は、その言葉の意味通りには実現することはできないものかもしれません。ひとりひとりが自分の望むままに満たされることが「最善」であるのなら、他者との関係性の中で一定の制限を加える必要のある「善」は「最善」ではないかもしれないからです。しかし、他者との関係性の中で生きていく人間として、実現可能である最大限のよりよい状態として、「『最善』を『求めて』いく」意識が大切であると思います。



ここまでお読みいただきありがとうございました。