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里見先生のようになりたい


こんにちは!エルザスです。


普段は約1年の育休で経験したこと、そこから学んだことについて書いています。


しかし今回は普段とはまったく毛色の違う話です。

ずばり、ドラマ『白い巨塔』についてです。


白い巨塔』(しろいきょとう)は、山崎豊子長編小説浪速大学に勤務する財前五郎里見脩二という対照的な人物を通し、医局制度の問題点や医学界の腐敗を鋭く追及した社会派小説である。山崎豊子作品の中でも特に傑作と名高く、1966年の映画化以来、何度も映像化された。

Wikipediaより


私が取り上げるのは、2003年にフジテレビの開局45周年記念ドラマとして放映されたいわゆる唐沢版です。

唐沢寿明、江口洋介、黒木瞳、水野真紀、上川隆也、伊武雅刀、石坂浩二、西田敏行ほか超々豪華キャストで綴られた、まさに傑作でした。
それが先日再放送されていて、ついつい全部見てしまいました。初めて見たのは子供の頃。その後何度か再放送があってそのたびに見ていますが、見るたび、自分が歳を重ねてきたぶん新しい発見があります。

今回の再放送を見て特に感じ入ったのが、最終回、主人公である財前先生(外科医)と親友の里見先生(内科医)が2人で話すシーンです。




以下、ネタバレ注意!!

(20年以上前のドラマですが一応)




実は、財前先生は癌の専門医でありながら自らも癌に冒されていました。しかも、それが発覚したときには癌の進行度はステージ4。
もはや回復の見込みはなく、余命わずか2か月ほど……

財前先生を診療した医師たち(財前先生が勤める大学病院の同僚医でもある)は、その事実をひた隠しにしてステージ1との診断を下します。しかし、財前先生は癌の専門医。明らかにおかしいと思い、別の病院に勤める里見先生のもとを訪れて診療を受けたのでした。

里見先生は診察のうえ、すべてを財前先生に告知します。それは、財前先生が自ら下した所見と完全に一致していました。余命わずか2か月という見立ても……

そこから展開されたのがこちらのシーンです↓


「君を助けたいんだ」
「僕は助からんよ」
「俺は君を助けたいんだ!
 それが無理なら……
 せめて君の不安を受け止めたいんだ。
 俺が受け止めたいんだ…!」

何度みても泣けるシーンです。

私はこのシーンを見て、コロナ禍の1年目で読んだ『感染症は世界史を動かす』という本の冒頭を思い出しました。

この本の冒頭は、ドイツでハンセン病患者の救済に尽力した聖女エリーザベトの逸話から始まります。
教会のステンドグラスに描かれたエリーザベトが、ハンセン病患者の胸に手をあて、その腕をしっかりと握る姿をみて、筆者の岡田晴恵さんは「ああ、手当てとはこのようなことであったのか」と得心しました。ハンセン病の完治が望めなかった時代、患者に当てた手から伝わる愛情といたわりだけが治療行為でした。そしてそれが実際に患者を癒やしたのでしょう。
中世、ハンセン病患者は健常者から遠ざけられるのが常でした。それなのにエリーザべトは患者にしっかりと向き合い、手で触ってさえくれた。患者にとってまさに聖女に見えたことでしょう。
これこそ医学を志す者の真髄、いや、人間が持つべきまっすぐで優しい心そのものではないでしょうか。

白い巨塔の話に戻りますが、このシーンの里見先生を医者の姿勢として素晴らしいと思う気持ちは、以前からありました。しかし今回みた時の感想は今までと違いました。
こう思ったのです。

里見先生のような心は、医学を志す者だけでなく誰もが持たなければならない。俺も里見先生のように、人の気持ちを真っ向から受け止められる心を持ちたい

結婚し、子どもを育て始めたからこそ、こう思えるようになった気がします。たぶんこれからの人生で、妻や子どもが解決策の無い課題に悩んでいる姿を見ることが何度となくあるでしょう。そんなとき、里見先生のようにただただそばに寄り添い、その苦しみを一緒に受け止めたいと思える人間になりたいのです。


里見先生のような心を、ドラマの中だけの美談にとどめず、自分の中に実装したい。


せっかくnoteを始めたので、ささやかな所信表明をここに書き記しておきたいと思います。


ではまた!



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