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何のために書き、何のために発信するのか。

私が「書くこと」を始めたのは、中学1年生のとき。

あるとき母親が日記帳を買ってくれて、その日から私は「書くこと」を始めたのでした。

日記は私にとって、自分の本音をさらけ出せる安全な場所であり、誰にも見せないもの。ただ、書く。それだけで満足でした。

大人になるとブログやSNSで発信する人が周囲に増えていきましたが、私は、「自分が感じていることや考えていることは発信する意味なんてないし、発信したいとも思わない」と、ずっとそう思っていました。

それが今、こうして私は自分の体験や考えをnoteに書き、誰かに届けようと公開しています。

何のために書くのか

私は自分の考えを口頭で他者に伝えたり、喜怒哀楽を表に出すことが得意ではなく、時々自分の中にいろんな感情が渦巻いている状態になることがあります。

日々のちょっとした感情の動きや違和感を日記に書くことで、自分の気持ちはすっきりする。その心地良さに魅了され、私は約20年間も日記を書き続けているのだと思います。

そしてもう一つは、自分を俯瞰するため。

書いた文章をゆっくりと読み返してみる。そうすると、「あぁ、自分はここに違和感があって、怒りを感じていたんだ」と、自分の感情を丁寧に感じることができます。

1年前の自分の日記を読み返したとき、「変わったこと」と「変わらなかったこと」があることに気づきます。自分の成長と自分の軸を、日記を介して知ることができるのです。

何のために発信するのか

発信することには強い抵抗がありました。それでも発信への興味が湧いてきたのは、自分が経験してきた教育の世界に対して思うことがたくさんあったからなのだと思います。

それを、誰かに伝えてみたくなった。誰かに伝えてみたら、もしかしたら私の思いに共感してくれる人がいるかもしれない。そんな淡い期待もあって、恐る恐る発信を始めたのでした。

当時読んだ本に書いてあった言葉にも、影響を受けました。

もしきみがみんなのためになるような、よい考えをもっていたとする。でも、きみにそれを発言する勇気がないとする。そうしたら、そのよい考えはけっしてみんなに知られることもなく、闇にうもれてしまうよ。きみの恐怖心のせいでね…。ほんとうはきみに賛成する人だっているかもしれないのに。(『アミ 3度目の約束』より)


noteでの発信を始めてから3年がたちました。今、「何のために発信するのか」と聞かれたら、答えは一つ。

「自分の夢を実現するため」と答えます。

自分が見た世界を、自分というフィルターを通して相手に伝える。
自分が大切にしている価値観を、言葉にして丁寧に相手に伝える。

そうすることで、私の発信をキャッチした人は、私という人間がどんな価値観を持ち、何をしたい人なのかを知ることができます。

すると自然と同じ思いを持った者同士が出会うものなのです。この出会いによって、自分の夢は実現に向かって大きく進むと私は思っています。

実際にそんな体験を、この3年間で何度もしてきました。

発信することはエネルギーがいることであり、恐怖心も伴う。それでも誰かに伝えたい何かがあるのなら、そのための時間を割くことは無駄ではありません。

あなたの発信に勇気づけられる人は必ずいる。

自分にもそう言い聞かせながら、明日も発信を続けます。

最後までお読みいただきありがとうございます(*´-`) また覗きに来てください。