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創作大賞2024 |黄金をめぐる冒険㉜

黄金を巡る冒険①


それからの一カ月はたんまりと本を読む生活が待っていた。
毎日、十四時間たっぷりと。

十四時間本を読んで、そのあと一時間の散歩をする。結びに九時間の睡眠で一日が過ぎた。幸い、食事を摂らなくてもいい体だったので、その分を本を読む時間に回すことができた。程よい休憩以外は全神経を読書に集中させて一生懸命に本を読んだ。

僕はこの図書館にある全ての本を読まなければならない。短白髪の管理人はそう言っていた。ここに貯蔵されている本を読むことで、全ての言葉を知ることができるらしい。その中には忘れさられた言葉もあるのだと言う。

「全ての言葉と一つの偶然が鍵となり”誉れ”は開かれる」
管理人は最後にそう付け加えた。また”誉れ”だ。それは一体どんな力なのだろうか。それと一つの偶然という言葉も気になった。これから僕に何が起こるのだろう。確かなことは、彼女を救わなければならないということだけだった。

***

目が覚めた。天井には仰々しい絵が描かれていた。羽の生えた天使のような子供たちが何かを運んでいる。その天使たちの下には何人かの女性と、這いつくばる男性が描かれている。綺麗な絵だが、暗喩の影が不気味さを漂わせていた。
まるでボッティチェリの絵のようだなと思う。だが、この世界にボッティチェリは存在しない。謎は深まるばかりで、期待も前進の兆しも全く無かった。

本を読む、散歩をする、寝て”闇”が明けるのを待つ。この繰り返しを行う単調な毎日だった。僕がその日に読むべき本は既に準備されていて、それを受付で借りて読む。読み終わったら返して、次の本を読む。
これを十四時間繰り返すと、ちょうどその日の準備分が無くなった。管理人は僕の本を読むスピード、休憩時間、そしてその日の調子等を完璧に把握しているようだ。

受付で彼女から本を渡される。相変わらず表情と言葉は無かった。彼女に読み終わった本を渡すと、何も言わなくても当たり前のように次に読む本を貸してくれた。その度に僕がありがとうと言うと、彼女はきょとんとして僕を見た。
一日に何回、何十回も僕の心は痛んだ。潤いを奪われ、乾燥による肌の赤切れのような痛みだった。小さなひびが少しずつ入っていく。

本の内容は、世界に存在する言葉とそれを説明する文字がただ書かれているだけだった。小さい頃に広げた広辞苑を思い出す。本はきちんと索引もされており、本当に広辞苑なんじゃないかと錯覚するほどの具合だった。
単語とその読み方、そして説明という簡素な構成だが、中々の文字量がある。だが、その言葉の羅列は僕の頭の中に高速で読み込まれ、あっという間に1ページが脳に格納された。コンピュータがデータを読み込むように、僕の脳も目を媒介にして文字がどんどん読み込まれていく。

それは読む、というよりは感じる、という情報処理に近かった。読み込みと書き込みの反復が人間の処理速度を超えている。これは人が行う読むという作業の領域を超えて、フラッシュのような一瞬の知覚反応だった。

十四時間もあると、一日で読む量は相当になり、あっという間に図書館の半分の情報を脳に格納した。その期間、おおよそ二週間。一カ月もあれば読み切れる計算だ。

本の情報のほとんどは知っている単語だった。たまに聞き覚えのない言葉があったが、意味は理解できた。その中で稀に意味すら理解できない単語があった。例えば、彼女の言っていた『戦争』という言葉だったり、『ノルタルジー』というよく分からない片仮名とかだ。
これがおそらく失われた感覚なのだろう。

その言葉たちを読むのだけは幾らか時間を有した。それはらはしっかりと自分の中に知識として格納しなければならない。感覚として確実に着々と。
全ての言葉を知るという作業は、この失われた感覚を取り戻していくことなのだと理解した。

その後、様々な消えていった言葉と出会った。
『自殺』、『強姦』『孤児』、『嫉妬』...…
とてもじゃないが、これが人の抱く感覚であっていいのかと身の毛がよだち、ゾッとした。過去に実在したことすら信じられなかった。

これらの言葉は消えるべくして消えたのではない。明確な意図を持ってこの世界から消されている。これらの言葉を消滅させることは、おそらく世界のためなのだろうと納得はできたが、『森鴎外』、『宮沢賢治』、『太宰治』など人々が覚えていなければならない、偉人と呼ばれる固有名詞さえも消滅していた。そこには意図が全く感じられない。

彼女は最初の電話で言っていた。
「我々は事象の干渉による副作用の可能性が高いと推測していおります」と。
副作用。それは有意義な言葉すらも消し去り、あるべきはずの文化を衰退させる力と成り得る。
よく見ると、消滅した単語の説明末尾には「消滅年:」という記載があった。百年前の年が記されていることもあれば、数年前と書かれている言葉もあり、年代は多岐にわたる。「消滅年:」の表記には二種類あった。

・表記1 消滅年(主):
・表記2 消滅年(副):

おそらく(副)と表記されているのが副作用による消失なのだろう。
試しに僕は今までの消えた言葉を書き出し、消滅年と単語を紐付けて纏めてみた。するとどうだろうか、ここ数年で相当数の感覚が失われていた。
しかも(主)による数は十年以上前からぱったりと無くなり、その代わり(副)の数が飛躍的に伸びていた。その数は年を重ねるごとに指数関数的に増えており、このまま消滅が続けば莫大な数の言葉が消えてしまう可能性がある。
その結末は、おそらく人々の破滅だ。それが彼女たち『炒飯』(正しくは”プルースト”)の危惧していたことなのだろう。

副作用として消えた言葉の中には、どうでもいい感覚もあれば、あって然るべきという感覚もあり、それは全くのランダムで選出されているようだった。
『怒髪天を衝く』、『かりんとう』、『茉莉花』、『鰯』、『お粥』……

その中に『炒飯』という言葉も、もちろんあった。
『炒飯』の説明を読んでみる。

<炒飯>
卵(玉子の説明は頁****参照、消滅年:xxxx年)を溶いて炊き上がった米飯を、油で共に炒めたもの。中国発祥の中華料理のひとつであり、始まりは「砕金飯(金のかけらのようなご飯の意)」と呼ばれる料理だったと言う。大衆に広く好まれ、~(中略)~ 以上のことから、まるで黄金のような輝きも持つと言われている。とある地域では「黄金飯」とも呼ばれてたが、今では使われることはない。

とある本から引用

やはりそれは黄金なのだ。幼い時の記憶が過去から浮かび上がるのを感じる。そうだ、初めて彼女に振舞った料理も黄金のような色をしていた。幼き頃の僕は、彼女に黄金を見せて笑顔になって欲しかった。なぜ黄金を見せると喜ぶと思ったのかまでは思い出せない。

『炒飯』は僕の中で、彼女との大切な記憶の一部としてしっかりと根を生やしていた。彼女はそれを覚えている。だからこそ組織のことを『炒飯』と僕に言ったのかもしれない。きっとその思い出を忘れないために。


第三十二部(完)
Mr.羊

黄金を巡る冒険㉝


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