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創作大賞2024 |黄金をめぐる冒険㉖

黄金を巡る冒険①


地獄の夜はとても長い。
粗雑な説明だが、そう形容する以外に最適な言葉は見当たらない。

小屋を出る直前、僕は玄関でここ(おそらく地獄の道)に関する”パンフレットらしきもの”を見つけた。紙切れ一枚の説明書。白い紙に黒い線がぎっしりと引かれていて、おそらく文字なのだろうが、暗さのせいで文字という点は、連なってぎこちない線を成していた。

僕は何とか文字が読めないかと目を凝らしてみたが、やはりそれはただの黒い線にしか見えなかった。だが、説明線の一番下にある黒はどうにか点としてのかたちを保っており、それは何となく読み取れそうだったので、目を細めて読んでみた(よく人はそういうときに目を細める)。

この説明書をしっかりと丸めて飲み込んでください

しっかりと丸めて飲み込んでください?
僕は暗さで読み間違えたのだと思い、もう一度それを読んでみることにした。次は目を細めずにしっかりと。
「この説明書をしっかりと丸めて飲み込んでください」

結果は変わらなかった。なぜ飲み込まなければならないのだろう? 飲み込んだら、何も分からずに僕と”パンフレットらしきもの”の関係が終わってしまうではないか。僕はこいつともっと良好な関係を築いて、この場所の情報を一つでも多く知らなければならない。

だが、この暗さでは僕の希望的観測は無意味で、その願望としての煩悩こそ、丸めて誰かに飲み込んでもらってしまえばいいと思った。それならば、この紙切れも同じで丸めて飲み込んでしまっても良いような気がした。そして僕は”パンフレットらしきもの”を丸めて口に入れてみた。

丸めたときにくしゃくしゃと音を立てて球体としての密度を高めていったので、僕は勝手にある程度の硬さを含んだチクチクした食感なのだと思い込んでいたが、存外それは柔らかかった。
口に入れた第一印象は、マシュマロのように、少しざらざらなとした表面にふにふにの弾力で、柔らかさを舌で感じた。舌と硬口蓋こうこうがいで”マシュマロらしきもの”を挟んで力を加えてみると、それはゆっくりと潰れて楕円形へと変わっていき、ある程度押しつぶすと、それ以上の湾曲を拒むように舌と硬口蓋に僅かな反発を加える。口の力を抜くと、楕円形は元の球形へと戻っていった。

その動作を何回か反復したあと、舌でそれを転がし右の奥歯でゆっくりと噛んでみた。球形が楕円形へと変形し、ある程度の密度で僕の口の咬合こうごう力が負け始めた。それはもう少し力を加えれば噛み砕けるような、まるでラムネのような硬さだった。
僕は限界強度を超える力で、思いっきりその”ラムネらしきもの”を噛んだ。すると、”ラムネらしきもの”の密度は飽和を迎え、弾けた。カリっという音が口の中で響いた。同時にカチッという音が頭の中で鳴り響いた。

僕はその瞬間、このパンフレットのような、マシュマロのような、ラムネらしきものが”座標”を示すことを理解した。僕が立っているこの場所、これまで登ってきた道、彼女と出会った小屋、門番のいる入口、そしてこれから僕が向かうべき場所、それらが僕の頭の中で一つの全体として、全ての一つとしての地図を成し、僕を導く”座標”となった。

僕はその不思議な体験に恍惚とし、やはり僕の希望的観測を丸めて誰かに飲み込んでもらえばいいのだと、さっぱりした気持ちになった。
いつも間違えるのは僕のほうで、正すのは世界のほうだ。そんなものだ。

”座標”は次のようなことも教えてくれた。

―「”地獄の道”における夜という時間は昼の三倍程度あり、時間が経つに連れて暗さは増していき、朝が近づくと次第にその暗さが薄れていく。そしてその時間の三分の二程度は、”闇”と呼ばれる最も深く暗い時間が続く。闇はとても恐ろしい。地獄の道で過ごす者は、大抵その闇を恐れてその時間が到来する前に床に就く(七合目の宿泊者たちも既に寝ていのはそのためだ)。
闇の中では闇鳥やみどりが活発になり、闇にずる者を食らい尽くすという。それぞれの深い夜は出ずる者の情報を鳥へと伝達し、それぞれの鳥が同族に共有することにより、出ずる者に一気に襲い掛かる。出ずる者の体は闇鳥の食料えさになり、心は闇のえさとなる。

※忠告:夜はぐっすりと眠り、闇の時間に起きることは無いようにすべきである」―

だから誰も”闇”に出て行くことなんか絶対にしないらしい。闇の恐怖はいつだって最高密度で存在していて、闇鳥は狡猾さの象徴として空を飛んでいる。そんなところへ誰が好き好んでいくのだろうか? なのになぜ、ご婦人は「日が昇る前に八合目を抜けなさい」なんて僕に言ったのだろう?

僕はため息をついた。おそらく今僕を覆っている黒は”闇”だ。僕の存在は既に闇を媒介として闇鳥に知られていて、隙や油断を見せれば奴らは一斉に襲い掛かってきて僕を闇へと引きずり来むのだろう。なんて恐ろしいんだ。

思考の純度を上げ続けなければいけない。僕は考えるのを止めたとき、肉体と心を失う。だが幸い、僕の思考は全く止まりそうに無かった。

***

空を見上げると、知らない類の暗黒、静謐、冷気が入り交ざる世界があった。そこでは何かが動いているように見えるが、何も動いていないようにも見えた。何かが呻く声が聞きこえる気もするし、何も聞こえないような気ももした。とてもあやふやな空だ。
地上では、完全な暗闇に隠された月に向かって誰かが吠えている気がした。

僕の目は、僕を助けてはくれない。
僕の声は、誰にも届かない。
僕の肌は、僕の感覚を麻痺させる。
この”闇”の中では、僕の存在は誰かに丸められて飲まれそうなほど、儚い。

僕は目の前が何も分からないまま、深い闇の中を一歩、また一歩と足を運び続けた。いつの間にか砂は浅くなり、僕の足を食って後退させることは無くなっていた。その代わり、足のすくむような恐怖が僕を後退させようと誘惑していた。

きっといつかこの恐怖に負けるかもしれない。
「私がそばに付いております」
すぐにでも鳥が僕の体をついばむかもしれない。
「あなたなら大丈夫です」
”闇”が心を覆い尽くすかもしれない。
「あなたの半分に私は居ます」

『彼女』の声が、匂いがそこにある限り、僕は進み続けられるのだろう。だが、『彼女』が完全に消えたとき、僕はこの完全な暗闇でどうすればいいのだろう? 

僕はそんな諦めと憔悴の中を進んで行く。暫くして、何か”人らしきもの”にぶつかった。

第二十六部(完)
Mr.羊

黄金を巡る冒険㉗


#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門



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