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発酵を知る女

「発酵を知る? なんのことかさっぱりわからない」


うん、そう。わからないの。わからないからいいの。

私は思う。
お酒の蘊蓄を語る前に、できうる限りの想像力で発酵の神秘に想いを馳せること。それがお酒を愉しむ上でのちょっとした礼儀なんじゃないかって。
「わかる」「わからない」じゃない。
「お酒に強い」「弱い」「飲めない」でもない。
少なくとも「お酒なんて酔いをもたらす単なる飲料でしょ?」なんて感想は、あまりにも品性がなさすぎる。

お酒はすべて「発酵」ありきだ。
発酵したお酒を「醸造酒」と呼び、その醸造酒を蒸留させると、ウイスキー、スピリッツ(ラム、ジン、ウォッカなど)の蒸留酒が生まれる。
一般的に、「発酵」とは「酵母・細菌などのもつ酵素によって、糖類のような有機化合物が分解して、アルコール・有機酸・炭酸ガスなどを生ずる現象」という。つまり、お酒をつくるため発酵させるには、まず糖類がないと酵母は働かない。例えばワインはブドウを原料とするので、ブドウの甘さ(糖類)があるから、酵母を添加して発酵できる。そこではじめてブドウジュースではなくなり、アルコールを保有した、香味風味豊かなる飲み物と変容する。

同じ醸造酒でもビールや日本酒はちょいと違う。大麦や米にいくら酵母を加えたところで、糖類が足りないため、アルコールにはなり得ない。そのため、麦芽や麹などで先に「糖化」という工程が必ず必要になる。(日本酒のように、発酵と並行に行なわれたり、ビールのように麦芽を加えて糖化させてから発酵という二つの工程をとる)

この「糖化」を「発酵」とみなさない考え方もあるけれど、私は発酵の一部と認識している。だって姿を変えてるでしょ?

発酵ほど神秘なものはないと思う。
麹や麦芽や酵母が加わるだけで、甘くなったり、複雑な香味が付与されたりするのが発酵だけれども、それは腐敗とギリギリのところで行われてる。納豆やチーズなど食品なら、仮においしくなかったとしても、栄養面で評価されることもあるだろう。だけど、嗜好品であるお酒はそれは受け付けられない。「美しさ(おいしさ)」がそこにないといけない。

ただ、その「美しさ」を突き詰めると、人間が利便性で生み出した言語では表現できるものではないし、倫理や道徳といった枠組みでは決して評価できるものでもない。数値化もできない。「なんとなく」でしか答えられない。
しかも、「発酵」はあまりに初期の段階で、その後の工程の「熟成」を経た産物のお酒を評価するのは非常に難しい。

私が出会った彼女は、発酵を知る女だった。
「神は細部に宿る」というが、彼女は、小さな小さな世界に美しさを発見し、
日常の何気ない風景や人の言葉から、かくれんぼのように美しさを「みーつけた」としている。
彼女の表現でいう「電子の波」のnoteなどでも、あちこちに「みーつけた」としている。偶然、私がどこかで彼女のコメントを「みーつけた」とすると、なんだか幸せな気持ちになるのはなぜだろう。発酵の温度かしら。なんとなく言葉が温かい。砂浜にずっと続く足跡を見つけた時のように、「それはどこにつながるのだろう」とワクワクしてしまうのだ。

うまくいえないけど、やはり彼女自身が「発酵」の要素をもってるのかもしれない。例えば、私は、昔から人を分析することが好きで、比較的得意だといってもいい。「分析」とは「分解」だし、私のそれは精度が高いと自負している。だけどその行為は「姿を変える」という「発酵」ではなく、ただただ「分解」なのだ。

彼女は、誰もが気が付かなかった何かを見つける。それは決して言語化できるものではない。だから、彼女の言葉はどこかスピリチュアルで、不思議で、非言語の領域で、凡人の私たちが簡単に真意をわかるものではない。

彼女はずっとずっと歩き続ける。
足にしっかりとフィットした靴を履き、ずっとずっと海岸線を歩き続ける。
海の音を聞き、
木々や鳥や動物の声を聞き、
そこに何かを見つける。

きっと人間の強い感情の渦みたいなのも、ひどく敏感に感じ取って、日常生活を送る上でしんどくなることもあるような気がする。それらの感情は良いものも悪いものも、高く、強くなりすぎてはいけない。だって、発酵には最適の温度があるから。

彼女から自分のなんらかを褒めてもらった時。
「私の発酵はちゃんと進んでるのだ。腐敗でも発酵不良でもないのだ」ってホッとする。
きっと、そんな気持ちは私だけじゃないはず。

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