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雑感記録(10)

noteの投稿10回目を迎えました。

三日坊主の性質を持つ僕でも好きなことのためなら続けられるんだな…

としみじみしております。

ということで今日は遅ればせながら

「自己紹介がてらの10冊」

今更感半端ないですが…やってみましょうかね!


という訳で早速行ってみましょう。

1、中野重治『春さきの風』

僕は「人生の中でどの作家が1番好きか?」と問われたら「中野重治」と答えます。

最初の出会いは大学の授業でした。その時に『雨の降る品川駅』を取り扱ったんですよね。

最初は本当に単純に「過激なやつだな~」ぐらいの感覚で小説のほかに詩も書くのかという感じでした。

試しに読んでみるかと思って授業終わりにそのまま図書館へ向かって『中野重治全集第1巻』を借りて読んで衝撃が走った。

詩も良かったんだけど、収録されている短編が凄くよくて、『交番前』を読んだときは言葉が出なかった。

後に僕はこの『春さきの風』を卒論のテーマにしたんだけれども読めば読むほどのめり込んでいきました。

個人的に小説も勿論面白いのだけれども、中野重治の中で1番面白いのは何だかんだで批評ですね。

有名なところで行けば『芸術に関する走書的覚書』ですかね。

僕はどちらかというと戦後の批評がものすごく好きなのだけれども…。ぜひ読んでほしい作家です。


2、吉岡実『吉岡実全詩集』

これは今でもよく読み返すんだけど

僕が大学を卒業する際に、自分自身への卒業記念として三鷹にある水中書店で購入した想い出深い1冊。

初めて出会ったのはこれまた大学の図書館。

それこそ『中野重治詩集』を探している時に詩集のコーナーをジーっと眺めていました。

そこに1冊もうボロボロで修復のテープが幾重にも張られている詩集。

それが『吉岡実詩集』でした。

試しに読んでみるかと思って、席について読み始めて衝撃。

「なんじゃこりゃ!!!!!!!!」

初めての日本語体験とでも言えばいいのでしょうか?言葉1つ1つのつながりが嚙み合わないが噛み合っている。

吉岡実というとみんな『僧侶』をいい作品として挙げがちなのだが、僕は個人的に『告白』という詩が非常に好きです。


3、柄谷行人『マルクス その可能性の中心』

大学在学中、文芸批評の授業を取っていた時によく「柄谷行人を読めないのはやばいぞ」と言われていました。

実際に柄谷行人の『日本近代文学の起源』を読む授業ってものもあったぐらいですから。(ちなみに僕はこの授業を取っていました。)

今では『近代文学の終り』という作品を書いて文芸批評からは隔たったところへ行ってしまった訳ですが…。

この1冊と出会ったお陰で「そうだ、マルクスを読もう」と思えたし、「文学を分析すること」という点で非常に勉強になりました。

最近の著作も非常に面白くて、『世界史の構造』は今でも何回も読み返す作品の1つです。


4、篠山紀信 中平卓馬『決闘写真論』

これも大学の時に授業で少し触れてから興味を持って読んでみたというところが始まりでした。

篠山紀信が凄いのも勿論ですが、ここでは中平卓馬の鋭さが一段と輝いているように思えました。

特にリカルドゥーを引用しているあたりには非常に興奮を覚えましたし、当時の写真家の幅広さに驚きました。

この本がキッカケで写真家に興味が湧いて、後に森山大道との衝撃的な出会いを果たしたのですがそれはまた追々綴ることとしましょう。

いずれにしろ、この本は写真に納まらず小説などにも通用するところが非常に優れていると思います。


5、ル・クレジオ『物質的恍惚』

これは以前紹介したので、過去の雑感記録を参照していただければと思います。


6、ニーチェ『善悪の彼岸 道徳の系譜』

これも大学生の時ですね。文芸批評の授業で紹介されて読み始めたというのがキッカケで、今もニーチェは僕の愛読書です。

この『善悪の彼岸 道徳の系譜』はニーチェの著作の中でも比較的読みやすく、ある種の入門的な立ち位置にいます。

確かに読みやすいですが、正直難しいことには変わりないのかなあというのが思うところです。

『善悪の彼岸』最初は痛烈ですよね。「今までの哲学者はみーんな馬鹿!」って言ってるようなもんですからね…。

そこを声を大にして言えるニーチェは凄い。人生を掛けて読み通したい作家のうちの1人です。


7、古井由吉『木犀の日 古井由吉自選短編集』

この作家の書く日本語は今まで触れてきた日本語の中で1番美しいと僕は思っています。多分、もう出会えないかもしれない。

大学時代の友人が古井由吉が大好きで、オススメされて読み始めたのが最初でした。

僕は彼の作品を「まどろみの文学」だと思っていて、非常に気持ちの良い言語体験ができます。

もうどの作品が面白いとかという次元ではなく、作品全部が最高の言語芸術だと少なくとも僕は感じています。

これもまた書きたいことが山のようにあるので、綴るのは追々ということで。


8、有島武郎『小さき者へ』

これを読んだ当時、僕は病気と文学の関係性に非常に興味を持っていたころで、その関連で読んだのがキッカケでした。

その当時はどこかの身体の部位を食べたいというような小説が一世風靡し、映画化される事態にまで発展しました。

僕も読んでみて、正直「なんだこれ!?」と非常に悪い意味で衝撃を受けました。その作品にも病気を抱えた、しかも女性の、ヒロイン……。

こんな感じで辟易としている中で、この作品を読みました。しかし、何という慈愛に満ちた作品であったことでしょう。

表層的な悲しみや同情などを通り越した、美しく新しい深みのあるセンチメンタルがそこには流れていました。

この病気と文学の関係性については、これも書きたいことが沢山あるのでまた後日、追々綴ることにいたします。


9、ロラン・バルト『文学の記号学』

ロラン・バルトも大学の時に授業で非常によく出てきたので、それがキッカケで読むようになりました。

その時は『零度のエクリチュール』を取扱ったんですが、それも非常に面白かったです。

授業では実際に新聞の記事なんか使って、「さあ、コノテーション分析をしてみよう。」なんて言って悪戦苦闘したのを覚えています。

僕は『モードの体系』を読むのに必死でしたね、当時は。それこそ最初の最初にコノテーション分析の話も出てたりしました。

単純にこれを選んだのは、まあ比較的読みやすいですし、何よりこの当時フーコーを読んでいた僕にとってつながるところがあったからです。

所謂、「言葉と権力」に於ける問題ですかね。それを考えていた僕にはほんの少しではありますが、役に立った本です。


10、保坂和志『小説の自由』『小説の誕生』『小説、世界の奏でる音楽』

これらは俗に「小説3部作」みたいなことを言われているのですが、非常に示唆に富んでいる作品です。

僕は保坂和志の作品が好きなのですが、小説よりもこういった、何て言うんでしょうか批評と小説の中間的な作品が大好きなんですね。

保坂和志自身は「これも小説です。」というように言っていますが、それでも批評との中間的な立ち位置にあると思います。

個人的に本当に尊敬できる方だなあと思っています。僕は何か長編作品に挑戦するときや、久方ぶりに本を本気で読む時に必ず保坂和志を挟んでから読むようにしています。

本に向き合う姿勢、どこに着目して読むべきか、そして何を考え広げていくべきなのかを再確認するという意味で非常に読み直しています。

ところが、結構弊害もあって、面白いが故に長編作品に挑戦する前に満足してしまって挑戦せずに終わることもよくあります(笑)


以上が、まあ僕なりの「自己紹介がてらの本10冊」でしょうか。

厳密にいえば13冊なんですが、まあそこはご愛敬ということで許してください。

本当なら10冊では収まりきらないのですが、無理矢理10冊程度にまとめてみました(笑)

これからも、自分の思考の整理の場として色々と考えたこと、思ったことを言語化していきたいと思っております。

稚拙な文章で退屈かとは存じますが、ぜひよしなに。


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