雑感記録(49)
【志人の詩に思いを寄せる】
昨日、皆既月食とやらで僕は自然の美しさを堪能した。自然に美しさを感じられることに喜びが沸き上がり、若干のゆとりが出来たのではないかと心より嬉しく思っている。月の美しさにやられたいい時間を過ごせた。
今日も仕事から歩いて自宅へ向かう途中、月が見えるかなと思いながら上を向き歩く。しかし、雲がかかっており月の光だけしか捉えることしかできなかった。それはそれで風情があっていいものなのだが、昨日の今日では大分落差があるような気がしてならない。こういう僕らを置き去りにして自身の時間を進んでいく自然がやっぱり最高にクールであり、美しいものなのだと改めて思うのであった。
以前の記録で、最近山下達郎のアルバムを購入したためひたすら聞いているということを書いた。それは今でも変わっていないが、他の曲も当然に聴きたくなってくる。
僕は自身でお気に入りプレイリストを作成している。今日は山下達郎1本から離れて色々と聴いてみようとふと思ったのである。僕はラップが基本メインなのだが、昔の曲を聴くのも好きなのである。例を挙げるとすれば…そうだな、杉山清貴&オメガトライブとか凄く好きだし、1968オメガトライブとか…あとは浜田省吾とか…最近はクリスタルキングとかH2Oあたりを聴いているのだが…。まあ、そういったものもプレイリストに入っている。
それで、色々と曲を聴いていたのだけれども、その中でちょうどこのタイミングにドンピシャな曲が流れてきた。それが志人『満月~La pleine lune~』が僕の頭を、感性の塊を貫いた。
今日は少しラフな形で、この志人の曲について少し思うことをざっくり記録してみたいと思う。いつも堅苦しい内容ばかり書いているような気がしてならないので、今日ぐらいは肩の力を抜いて好きなことについて書いてみようと思う。勿論、殴り書きだ。
まずは1度聴いていただくのがいいだろう。
僕が初めて志人に出会ったのは大学時代。僕が大学時代にバイトしていた時、とてもよくしてくれる先輩が居た。大学卒業の日にも前日に先輩の家へ泊めさせてもらって随分とお世話になった先輩だ。今ではあまり連絡することも無くなってしまって、僕はあの頃の感謝を十分に出来ていないから会いたいなとは思うんだが…。
そんなお世話になった先輩の自宅へ初めて招かれた時の話だ。先輩はミュージシャンとしても活躍していて色々と音楽の部分で影響を受けたところが多かったのだけれども、音楽の話をしている時に「志人っていうラッパーが居るんだけど、凄くいい作品だからアルバム貸してあげるね。」と仰った。その時の話の前後はあまり記憶にないのだけれども、確か僕がMOROHAのライブに行ってきたっていう話をした時だったかな?うん、確かそんなだったような気がする。
それで志人のアルバム『Heaven's 恋文』というアルバムを拝借した。
先輩の家でご飯をごちそうになってから帰宅。早速ウォークマンに取り込み聞く。あの衝撃は未だに忘れられない。まず以て感じたのは「これはラップですか?」というものであった。聞いたことのある人は分かるかもしれないが、志人は歌っているのではなく、どこか朗読している雰囲気すら感じる。自分の詩を読んでいる。なんだろう、うまい表現が見つからないんだけど、凄まじい言語体験だったことをよく覚えている。
このラッパー面白いなと思って色々とアルバムを漁って辿り着いたのがこの『満月~La pleine lune』であった。ちなみに、これが収録されているアルバムは『微生物EP』というアルバムである。(Amazonで検索したがどうやら販売されていないらしい…。)確か僕は新宿のディスクユニオンで購入したという記憶がある。
僕の好きな箇所を少し引用したい。
少しどころじゃなくなってしまったが、僕はこの部分がめちゃくちゃ好きなのだ。なんだろうな壮大な自然というものを僕らの身近に寄せてそれを捉えようとする、言わば和歌と同じような感じが僕にはするのである。
自然を自身の「主観的時間」へと還元しながら、それが言語化出来ないという難しさを前面に押し出されていて清々しい気分になるのである。何というかある種の諦めが僕には感じられるのである。その諦めがあるからこそ独自の時間をこの曲で再構築しようとしているような気もする。
言葉がうまく見当たらないのだが、この曲には言葉を利用し壮大な自然そのものではなく、壮大な自然が作り出す時間を再構築しているのである。自身の言葉で時間を手繰り寄せる感覚とでも言うのだろうか。その肌触りが僕はこの曲を聴いて感じる。
また、僕が志人を好きな理由は他にある。それは詞ではなく詩を書いていることにある。ここが他のラッパーであったり、他の歌とは一線を画している所であると僕は感じてならない。
僕が初めて志人の詩をじっくり読んだとき、非常に浅はかではあるがどこか吉岡実のような雰囲気を感じてしまったのである。おおげさだな…。うん、大げさだ…。それでも当時の僕にはそう感じてしまったのだから仕方がない。
何より曲でなく言葉単体でも世界観を作り上げられている、独自の世界観が構成されていることが志人の大きな強みであるように思える。曲を通して聴いてみると違和感があるのだけれども、詩単体で読んでみると意外と面白かったりする。そういったところで僕は非常に面白いなと思ってしまう。
加えて、ラップ特有の「韻」。これがさらに志人の気持ちよさを引き立てている。よくよく声に出して詩を読んでみるとその韻の気持ちよさに触れることが出来る。声に出して読みたい詩というと何だか変な表現になってしまうのだけれども、それぐらい気持ちいい言語体験が出来る。
ちなみにではあるのだが、志人には凄まじいアルバムが1つある。それが『発酵人間』というアルバムである。これはもはや歌やラップの次元を超越した「語り」のアルバムなのである。ぜひ興味があれば聞いて欲しいと思う。
もはや志人そのものが自然なのかもしれない。最近は本当によく感じる。そんな仕事の帰り道であった。
よしなに。
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