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雑感記録(247)

【文章のTPO】


文章にもTPOは必要だと思う。

「何を当たり前な」と思うかもしれないが、実際問題かなり大切なことである。日本国語大辞典によれば「時と場所がらと場合」と書いてある後に、「それに応じた服装や言葉づかいのつかいわけ」と書いてある。確かに「TPO」という言葉を聞くと連想されるのは服装が主である。事実僕もそうである。だが、この最初の「時と場所がらと場合」というのは何も服装や言葉づかいだけに関係してくることもない。これも当たり前のことをただ書いているに過ぎない。

文章も言ってしまえば「言葉の集積」である訳で、話し言葉に於ける「時と場所がらと場合」があるのであれば、それは書き言葉にも「時と場所がらと場合」というものが存在する訳だ。僕等は何も話す時だけに「言葉」を使用している訳ではない。話し言葉と同様にして書き言葉というものと向き合わなければならない。その比率がどうかという具体的な話は置いておくにしても、とにかく我々は話すことと同時に書くということも考えねばならない。

元を辿ってみると、やはりそれはポケベルあたりから始まるのではないかと思う訳だ。僕は使い方などよく知らない世代なので、詳細なことについては書けないのだが、あれは番号を日本語と対応させているらしい。詳しい人が居らっしゃればぜひご教授頂きたい。だが、僕が着目するのはその使い方ではなくて、「誰が使うのか」ということが問題になってくる。今までは「電話」という音声言語でのコミュニケーションから今度は「文字記号」でのコミュニケーションへと移行している。

しかも、よりパーソナルな部分に於いてである。例えば、昔という表現が正しいのか分からないが、携帯電話もポケベルもなかった時代。黒電話があった時代だ。恋人と連絡を取るのに自宅から連絡をと思ったら固定電話からしなければならない訳だ。今みたいにスマホで「今から電話していい?」と聞ける訳でもない。予め口裏を合わせておかねばなるまい。それが良い事か悪い事かは置いておくとしても、そこに様々なドラマがあった訳である。

幼少期、実は僕の祖母の家はまだこれだった。使い方は分かる。

これは特にだが「親にばれないか」「誰かに聞かれていやしまいか」という不安の中で戦わなければなるまい。要するに、今話していることを誰かに聞かれてしまうという危険な状態が常に存在しているということである。個人がまだ開かれた個人であった。

だが、ポケベルや携帯が発達してくるとよりパーソナルな部分でコミュニケーションを取ることが可能になる。開かれていた個人からどんどんと狭小化する個人が登場するのである。よりパーソナルなものはパーソナルになっていくのである。加えて「文字記号」でのコミュニケーションが出来るようになるのである。「声を出さずともコミュニケーションが図れる」という点に於いては活気的だったはずだろう。僕はその世代を生きていた訳ではないから、これまで書いていること、あるいは書くことは唯の戯言にしか過ぎない訳なのだが…。

どうやって数字を打つんだ…?

それが「メール」と称して数字でのものから実際に日本語を送れるようになる。これがある意味で1番大きい。文字を送れる、つまりは話し言葉を書き言葉に変換でき尚且つそれを24時間いつでも共有できる環境が出来たということにある。要は対面でなくても、この「メール」と言うものを使えばそれなりにコミュニケーションが出来るぞということが分かってしまったということだ。

だが、これは単純にだが、狭小な個人間でのやり取りなら、ほぼ話し言葉のような形で文章のやり取りが可能になる。ところが、これが仕事の相手ともなると大変である。普段話している時とは違った形での対応を求められる。例えばだけれども「拝啓」とか「前略」とか、あるいは「いつもお世話になっております」などの所謂、紋切型の表現である。さらには尊敬語や謙譲語の類である。あれは話し言葉では正直多少の間違いも「ん?間違えて聞こえちゃったかな?」ともなる訳だが、書き言葉ではそういう誤魔化しが効かない。

そう考えてみると、やはり文章にもTPOはある。


ところで、何でこんな話を書き始めたかについて触れておこう。

僕は今、仕事の業務としては顧客管理的な部門に居る。だからと言って大したことをしている訳ではない。毎日朝、出社したら自身のメールをチェックする訳だ。そうすると沢山のメールが来ている。僕の分は僕の分で処理をしていく。そんな中、1通物凄い長文が紛れ込んでいた。どうやらお客様からの問い合わせメールらしい。

まず以て、僕からすると長文のメールなど朝から読みたくもない。これは誰から貰ってもそうだ。特に仕事関係の場合に於いては。だが、このメールはそんなどころではなく、メールの画面一杯に文字が並ぶ。読み進めるのだけれども、やはり朝はどうも良くない。理解力も乏しいし、僕はまだ朝飯も食べていないから、とりあえず朝飯を食べてからメールを見ることにした。

しかし、何度読んでも意味が分からない。

それは文章の意味が分からないということではない。1文1文を読めば別に理解できない訳ではない。だが、まず以て思ったのは「そもそも「お問合せフォーム」で書くべき文章では決してない」ということだった。それは何故か。「お問合せフォームなんだから何書いたっていいだろ」という訳ではない。ここに書かれていたのは、身勝手な自分の論考である。「お問合せフォーム」なのに何故か延々ととある事柄についての論考が語られている。

そもそも、「お問い合わせフォーム」というのは何の為にあるのか。それは僕ら側目線で言えば、例えば「ここの使い勝手が悪い」とか「ここにはこう書いてあるけど、実際にはこうじゃない?」とか「ここの表示までどう行くのか分からない」とかいうことを聞かれることを想定する訳だ。つまりは、僕らの扱う商品の利便性向上であったり、お客に対してより愉しく使っていただく為に改善点を指摘して頂く良い機会でもある。時に厳しい言葉も頂くが、それが僕らの為になると思えば有難いことだ。

だが、今日のそこに書かれたものは「こういうことだ」で終わっており、僕らとしても「だから何が言いたいの?」という文章だった。一生懸命書いておられるようだったが、まず以てこの「お問い合わせフォーム」で書くような文章では決してない。僕のようにSNSやそこらで書けば良い文章だった訳だ。段々読み進めるうちに腹立たしくなってきてしまった。

一応、この場つまりは書く場所には「お問合せフォーム」というある種の題名みたいなものが設定されている訳だ。そもそも「お問合せ」とあるのだから、まず以て前提として使用していて不明瞭な部分があった、あるいはこうして欲しいという要望を書くような場所であることは容易に想像することが出来る。そんな所に「自分はこれについてこう考えている」と僕らの扱う商品とは全く以て関係のないことで声高らかに宣言された所で「はい、そうですか」としか返答のしようがない。

まず、そんなに自分の考えを披露したいならばわざわざ「お問い合わせフォーム」というこんな狭い所ではなく、SNSで書けば良い。それにここでは「どうして欲しいのか?」というのを僕たちが1番聞きたいのに、それが一切何も書かれていない訳だ。ここがこの「お問合せフォーム」の1番の核心であり、ある種それがこの場のお題であるにも関わらず、そこから100キロも逸脱している。この場に於いて、「お問合せフォーム」という場に於いてはそんなもの必要と全くしていないのである。

それで僕はハタと「やっぱり、文章にもTPOって大切だよな」って思ったという次第である。


自分も色々とnoteにのべつ幕なしに書いているから、あまり大仰なことは言えないけれども、本当に今日の問い合わせには参った。こんなTPOが分からん奴が居るのかと。例えがAVっぽくなってしまうんだが、知らない他人のオナニーでの精液をぶっかけられた気分だ。シンプルに気持ちが悪い。

何というか最近そういう文章のTPOを弁えていない人が多いような気がしてならない。「ここにはこういうことを書いてね」と予め指示されているにも関わらず、それが出来ない。だが、それは同時に読む力も衰えていることの証左にしかならないこともまた事実である。

だが、ここまで散々書いておいて何だが、もしかしたら「お問合せフォーム」にこうして自分の論考を披露することで、「お問合せフォーム」という概念を覆そうとしていたのではないかと思える。僕は先程から「お問合せフォームってなってんだから、こう書くんだよ!」と指摘している訳だが、そもそもその根底を疑っていなかったのではないか。ある種ここで「お問い合わせフォーム」という概念を覆すべく……馬鹿らし…。

とにかくだ、文章にもTPOはある。

よしなに。



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