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誕生会は吹雪の中で

 どちらかというと自身はパーティー好きである。しかし、それはパーティーの参加者がある程度、関心を示してくれる場合であり、まったくあからさまに無関心を強調されると、さすがにこちらも白ける。

 昨年、招待された誕生会の一つがその一例であった。ビール醸造所を借り切った誕生パーティーにはかなり大人数の客が招待されていた。よって、主役の少年時代からの知り合い、というような関係の客も多く、私とは何一つ接点が無かった。

 



 パーティーに招待して下さった方には申し訳ないが、三時間が非常に長く感じられた一晩であった。

 
 というわけで、今年も同じ方に招待を頂いた時、真っ先に想起したことは、「どのような理由で辞退しようか」、ということであった。しかし、正当な辞退理由も見つからないままに、ついに当日になってしまった。


 前の晩から降り出した雪は、その猛威をさらに増していた。

 スウェーデンにおいては、(奇妙なことであるが)大雪になると交通機関が機能しなくなることが頻繁に発生する。

 「この雪ではキャンセルになるかもしれない」、と私はぬか喜びをした、のも束の間、一緒に乗り合わせて行く予定だった人達の車が私のマンションの前に到着したので早く降りてくるように、との連絡を受けた。

  私は腹を決めた。

 親しくない人達とも会話をしないと会話術は劣化する。
  
 今回はビール醸造所ではなく、自宅においての開催であるという。よって招待客も昨年よりは少人数であるはずであった。

 その自宅とは郊外の一軒屋であると聞いていたため、荒野に佇む教会の横にポツリと建っているような一軒家を想像していた。

  
 吹雪の中で車に揺られていると往々に眠くなる。その夢見心地で同乗者の話を聞いていた。

 「カタリーナのお姉さまが、三週間前に病気で亡くなったんだって」

 同乗者の一人がそう言った。カタリーナとは誕生会の主役エディの奥方であった。

 妻の家族が数週間前に亡くなっても誕生会を強行する。葬の直後に祭を催す、私にはこの素早い翻身を咀嚼することが難しい。

 


 車が停まった。

 果して私の想像は外れ、その一軒家の周りには、多くの家が連なっていた。その地区は郊外の集落/一自治体のようであった。こちらの地方都市には時々見られるパターンかもしれない。

 家のドアが開いて、誕生会の主役エディが出て来た。
 私はエディにプレゼントのシャンパンを渡すと、奥方のカタリーナへお悔やみの詞を述べた。

 80年代ファッションのような黒い水玉のドレスを纏った華やかな女性は、多少目尻を下げて、「有難う」と述べた。



 カタリーナは二十年前に、弟を交通事故にて亡くしている。そして今回は姉、いずれの失命も平均寿命からは程遠い。パーティーには彼女の母親も招待されていた。私は、母親の方にも、娘の一人を失ったことに関するお悔やみを述べるべきか迷ったが、結局止めた。悲報をご丁寧に思い出させる必要もないであろう。


 カタリーナの母親がパーティー等に招待される際には、常にその先夫、現夫の両方が招待されている。

 先夫の方は、滅多に声を発しない。常に穏やかな表情にて、もと妻を見守っている。現夫の方は、黒皮のベストに上半身を包み、葉巻をふかしている。他人が選ぶ男性に意見を述べる権利もないが、どちらかというと、私には無口の前者のほうにより好感が持てる。

 彼女がこの静かな男性と離婚したのは、ご子息を亡くした直後ではなかったのか、という疑問が湧いた。

 喪失の深い悲しみを昇華するために、二人で支え合っていかなければならない時に、配偶者から十分な慰めが得られない。そのため、相手の不甲斐なさに失望し離婚する、というシナリオは可能である。

 
 その日のパーティー客の中に、もう一組、私を複雑な心情に陥らせる再婚夫婦があった。



 
 その知人が離縁した先妻は、何に対しても恐怖感を抱いており、飛行機に乗ることも怖れていたという。旅行好きの知人としては、一緒に旅行をしたり、行動をすることが難しくなったため彼女を離縁。一方、新しく結婚した女性は、スポーツ万能、雄弁で何事にも物怖じしない、すなわち先妻とは反対の性格であった。

 さらに、新しい方の女性はファンタジー映画から抜け出て来たような秀麗な兄妹を連れ子としていた。私には、彼女を取り巻く環境の全てが輝いているように感じられた。

 暗い所よりも明るい所を好むのは大多数の性であり、先妻を離縁した知人を責めるつもりは皆目ないが、先妻の心情を鑑みると複雑な心境にもなる。


   誕生会の主役エディが家の案内をしてくれることになった。



 二階建てのこの家は、大きくもなく、小さくもないという規模であり、誕生会は庭に突き出して増築されたサンルームにて開催された。

 二階で彼と二人きりになった時、私は彼に訊ねた。

 「カタリーナのお姉様が亡くなったそうだけど、彼女は気落ちしてない?大丈夫?」

 パンデミックに起因する理由であると察するが、病院を盥回しにされていた間に癌がかなり進行してしまっていたとのこと。残念であるが、最近、巷では頻繁に耳にする話である。

 「ずっと一方通行だったよ」、とエディは続ける。

 彼らの方からは何度何度も招待状あるいは挨拶状を送っていたが、彼女が彼らのイベントに参加することは皆無であったという。病気になる直前には返答さえも来なかったと言う。

 いくら血をわけた姉妹とは言え、夫の定例誕生会をキャンセルしなければならないほどの付きあいはなかった、ということであろうか。姉の方にはお会いしたこともないので私には事情は不明である。

 「戴いたプレゼントを開かなきゃな」、とエディは階下へ降りて行った。私は、二階のバスルームの写真を撮らせて頂くことにした。階下からは乳児の泣き声が響いて来た。彼らの二番目の孫の声である。



 
 
 エディの定例誕生会に参加させて頂いたことは二回目であるが、パンデミック最盛期以外は毎年開催していたということである。おそらく彼はプレゼント目的にて誕生会を開催しているのではないであろう。

 寒く暗い北欧の冬、家族、友人を集めて、近況報告を行い、お互いの健康を確かめ合い、家族に不幸があれば、そのことをオープンに語り、新しい命の誕生があればそれを皆で祝う。

 そのような場所と機会を、彼は誕生会という大義名分を以て提供しているのではないか。



 吹雪の午後、蝋燭の灯りに淡く幻想的に照らされる人々の表情。一年後には、それは新しいどなたかの表情に代替されているかもしれない。どなたかが新しいパートナーを連れて参加している可能性もあるからである。

 そして私は再度、「前の人の方が好感が持てた」、などと余計な感想を垂れているかもしれない。また、この日参加していた子供の何人かは私よりも身長が高くなっているであろう。

 果して、来年も私は招待されているであろうか。

 

 吹雪は、晩に掛けてその勢いを多少弱め始めていたが、中庭では、雪がその純白さを保持していた。



ご訪問を下さり有難う御座いました。

こちらは数週間前に書き始めた記事でしたが途中、インフルエンザに臥し、皆様のところへもご無沙汰してしまいました。これから徐々に皆様の玉稿を拝読させて頂くために参ります。

皆様もどうぞご自愛なさって下さいませ。

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