No more Spiritual(7)−見える世界と見えない世界のはざまで−
(前回のあらすじ)疲弊し、未来を描けなかった私が始めたのが「コーチング」。しかし、講師である「コーチ」が、なんと目に見えない世界を再び私の元へと運んできたのだった。
7. 見えない世界と平凡な人間
勾玉のプログラムを受ける少し前から、私は異変を感じていました。コーチングで頭を整理するために、ノートに筆を走らせていた、ある日。
突然、手がこう書いたのです。
「私は、宇宙とつながっている」
「宇宙がメッセージを送っている」
「それを言葉にして、たくさんの人に届ける」
「それが私の使命」
手が勝手に動いた、というには語弊があります。私の意識ははっきりしていて、最初にこう始めたのです。
「最近、YouTubeでスピリチュアル系のものをやたらと見ちゃうな。」
日記のように、書くつもりでした。
その時、右側の後頭部から、別の何かが言葉を発するのを感じたのです。それを書き留めたのが、先の言葉たちでした。
そのうちに、主語が「わたし」から「あなた」になっていきました。
私に話しかけているような口調なのです。
このように書くと、ストレスで頭がおかしくなったんじゃない?と思われるかもしれません。
その通り。
私も、ついに自分はおかしくなってしまったのだ、と震えました。
これは、誰にも言えない。
でもノートを開くと、その声を書き留めずにはいられない。
私は一体、何をしているのだろう。
そんな中でも、私は日本人としての誇りと、落ち着きを取り戻していきました。
そしてある時、気づいたのです。
「私は今日まで、守られてきたのだな」
日本神話の神々から始まった「日本人」として、この時代に生まれた自分。
先祖代々つながってきた、私という命。
祖父母と両親に愛されてきた自分。
夫と子供に愛されてきた自分。
今日まで生きている、自分。
このことが、とてつもない奇跡であることに気づいたのです。
これを今まで、普通のことだと思って生きてきた。
でも、生きてきた、のではなく、「生かされてきた」のだとしたら?
今日まで私が生きるように、
周りの人々がしっかりと守ってきたのだとしたら?
今日まで守られ、生かされてきた自分には、
やるべきことがあるのではないか?
そのやるべきことのために、
今日まで生かされてきたのではないか?
このような考えが、頭の中に突然浮かんだのです。そして、
「ああ、そうだったのか」
と、腑に落ちた感覚が広がりました。
私は、平凡な人間だと思っていた。
大金を稼げるような突出した才能があるわけでもない。
壮絶な過去を乗り越えてきたわけでもない。
幸せな家庭に育ち、幸せな家庭を作ってきた。
悩みはいつもあるけれど、生きていけないほどの悩みではない。
その平凡な私が、今日まで生かされている。
その意味とは?
にわか哲学者よろしく、私の脳は、私の心は、一問一答を繰り返しました。そして、ある感情が押し寄せてきたのです。
「ありがたい。今日まで守ってもらって、ありがたい」
子供の送り迎えの車の中で、突然湧き出てくる感謝に、涙が止まりませんでした。
運転中はサングラスをしていることにも、感謝。
おかげで、後ろの席で音楽に合わせて大きな声で歌っている子供に、涙を流しているのを悟られずに済みました。
私には、生かされてきた意味がある。
第8回 見えない世界からのサイン に続く
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