No more Spiritual(6)−見える世界と見えない世界のはざまで−
(前回のあらすじ)私の中からスピリチュアルの世界は、完全に消え去った。過去の「悪」を二度と掘り起こさないように。日々に忙殺され、私は現実世界で疲労困憊するのだった。
6. 見えない世界との再会
このままではダメだ、と思い立った40代のある日。
「コーチング」を知ります。コーチングは、本人の理想の姿に向かって行動が起こせるようになるための「対話」を中心とした手法です。
特に海外では、ビジネス面で活躍する「ビジネスコーチ」や、人生全般に対する「ライフコーチ」という職業が浸透していると耳にします。
私は、「これだ!」と思いました。
昔から「言葉」が好きだったし、その言葉を使って人の役に立てる。それが仕事にできるのなら、最高じゃない!
それに、コーチングは
夫も認めている。
うん。胸を張って、お金をいただくことができる。
こうして、私はコーチングを学び始めました。講座を修了し、ライフコーチとしての活動を進めていく間も、ずっと同じコーチに師事していました。
このコーチが、再びあのスピリチュアルの世界を運んでくるとは思いもよりませんでした。
彼女は、コーチングのプロでありながら、多方面の知識を貪欲に学んでいる人でした。エステサロン経営をしていたり、スピリチュアルへの造詣(ぞうけい)が深かったりと、10年前の私を取り巻いていた状況を、一身にまとった人間が、目の前に座っているのです。
その彼女からコーチングを学び、セッションを受けていく中で、時折スピリチュアル的な要素が入ってくることがありました。
頭で考えるだけではだめ。
もっと自分の感情を味わってみて。
ワクワクしてる?
自分を愛してる?
宇宙、集合意識、統合、魔法…
論理的なコーチングにはさまってくる、見えない世界の用語たち。
正直にいうと、初めはその用語を聞くとアレルギー反応のように、頭のシャッターが降りていました。
あ、これは目に見えない世界のことを言っている。
これを信じてはいけない。
悪いことだから。
でも、どうしたって見えない世界の用語たちの方が、心にスッと入ってくるのです。頭でこねくり回していることが、見えない世界の法則に乗せて考えると、素早く理解して行動に移せる。
それに明らかに、以前より気持ちが軽くなって、自分自身が明るくなっていくのを感じていたのです。
私は、そのことを実感してしまう自分が怖くなりました。
また、スピリチュアルの世界に足を踏み込んだら、10年前と同じことが起きる。
だから必死になって、頭で考え、文字にして、言葉にして、左脳をフル回転させて、うんうん唸りながら、少しずつ前進しようとしました。
クライアントさんにも、同じようにすることを求めました。
でも、どうしても、自分のコーチングには何かが足りないと感じてしまうのです。
どこか無理をして、肩に力が入って、どうしたら相手が変われるのだろうか、と気を揉みながら話を聞いている。セッションが終わった後は、どっと疲れて、「あれでよかったのだろうか」と、いつまでも気になってしまうのです。
これは…ワクワクできない。
その頃には、私の海外生活は韓国、中国、アメリカと合計10年を超えていました。
いつまで経っても上達しない外国語。
こんなにも色々なことを考えているのに、何ひとつこの国の人に伝えられない、もどかしさ。
大柄な米国人の中で、何を考えているのか分からない、ただニコニコしている、小柄なジャパニーズ…。そんな風に思われているのではないか。
いや、私という存在自体、認識されていないのではないか。
私は、日本人としての自信を失いつつありました。
そんな折、またあのコーチが見えない世界を私のところに運びこんできたのです。それが「集合意識覚醒プログラム(通称:勾玉セラピー)」でした。多彩なコーチは、そのプログラムの講師でもあったのです。
「勾玉」は日本の古事記に出てくる、三種の神器のひとつです。
「日本人としての自分とは」と悩んでいたところに、なんと古事記がやってきました。
コーチは、私の悩みが、頭で考えて答えが出るものではなく、もっと奥深い感情、あるいは自分のルーツに対する理解や感謝によって解決されるものだ、と見抜いたのです。
私はついに、観念しました。
勾玉を使った集合意識や日本の神話について、学び始めるのです。
私は10年間封じ込めてきた、「見えない世界」への扉を、再び開けることになりました。
第7回 見えない世界と平凡な人間 に続く
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