No more Spiritual(5)−見える世界と見えない世界のはざまで−
(前回のあらすじ)見えない力で他人からお金をいただくこと、人の命をどうこうできると信じさせること。それが「悪」であることを、頭に叩きこんだ私であった。
5. 見えない世界の消滅
2010年、二度目の海外駐在は中国の上海でした。
語学学校に通っているうちに、1人の友人ができました。タイからの留学生です。留学生と言っても、大学教員の仕事を休職して来ている、とても素敵な女性でした。
彼女が留学期間を終え、母国に戻った後、私はタイにいる彼女を訪ねました。色々なところに連れて行ってもらう中で、「すごく当たるから」と、カフェでタイ人の占い師と会う機会があったのです。
私はあれ以来、スピリチュアルの世界をかじったことがあるとは、誰にも言っていません。それは、「悪いこと」として、心の奥深いところに封印していたからです。
ですから、その占いをしてもらった時も、「そうなんだ。」と思うほかは、見えない世界について心が動くことはありませんでした。
一方で、私は「シータヒーリング」の手法を使って、大きな存在と対話することは続けていたのです。
と言っても、これはほとんど無意識です。
私は無宗教ですが、通っていた幼稚園がたまたまクリスチャンスクールでした。そのため、幼い頃から寝る前には、神様に1日の感謝を伝えて「アーメン」と祈る癖がついています。
大きくなるにつれ、それは布団の中で目を閉じて、頭の中で行うようになりましたが、私にとってお祈りすることは、無意識の習性に近いものでした。
その流れで、悩みを頭の中でつぶやいて、その答えを聞くというシータヒーリングの作業も、お祈りの一部になっていたのです。
しかし、その答えを聞いて、人生の大きな決断をするということはなく、ただ安心して眠る、という感じでした。
そうこうしているうちに、2013年。待望の子供が生まれます。
2016年、夫が中国からアメリカに転勤になりました。
2018年、2人目を授かります。子育てに髪を振り乱していると、コロナが世界を襲いました。
私は、毎日をやり過ごすことに精一杯になり、自分の感情にフタをするようになります。
1日心身をすり減らして、子供を寝付かせるためにベッドに横になったら最後。次に目が覚めるのは、翌朝です。
そしてまた、1日が始まる…。
そんな生活で、私はもう、神に祈ることも、大きな存在に尋ねることもしなくなっていました。
目に見える世界の私は、本当に、ほとほと疲れ果てていたのです。
第6回 見えない世界との再会 に続く
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