「廃用委縮」。やっていないことは直ぐ衰える。ならば、やり続けていれば衰えない。「経年劣化」は避けられないにしても、「廃用委縮」ならば避けられる。老害にならず、生涯現役めざすなら、動き続けよう。使い続けよう。働き続けよう。
老衰。
年を取って衰えることだ。
人はなぜ衰えるのだろう。
「廃用委縮」という言葉がある。
「廃用性萎縮」とか「廃用症候群」とかも言うようだ。
「用」が「廃れる」と書いて「廃用」。
要するに「用が無くなること」。
使わなくなることだ。
何事につけ、使わなくなるとそれは衰える。
どんなに達人のピアニストでも、毎日何時間も練習しないと、あっという間に力が落ちる。
これも廃用委縮の1例と言えるか。
逆に言えば、使っていれば衰えない。
機能を、能力を、維持するには毎日使い続けるのだ。
もちろん「経年劣化」といって、年月の経過による避けられない衰えがあるから、ある程度の衰えは仕方ない。
だととしても、少なくとも人間の能力に関していえば、続けていれば劣化の速度は遅らせられる。
年を取ると衰えるのは、使わなくなるという要素が大きいだろう。
それまで毎日会社に出勤していた人は、体も心もいろいろなことに使っていた。
それが定年退職し、一気に何も使わなくなった。
すると――
そう、廃用委縮が起きる。
体も心もどんどん衰えていく。
優秀だった人も、すごいスピードで衰える。
達人のピアニストでさえそうなのだ。
凡人ならその衰え速度はおそろしいものだろう。
若者だって廃用委縮は起きる。
病気などで寝たきりになってしまい、手足を動かさないでいると、どんどん筋肉が衰えていく。
使わないからだ。
だから、入院したら、リハビリなり筋トレなどをして、体を動かすのを怠らないようにしなければならない。
ならば、老人なら尚のことだ。
私が今すごいと思っている人の1人に、声優の野沢雅子さんがいる。
1936(昭和11)年生まれだから、今年88歳。
米寿だ。
めでたい。
今でも現役トップランナーの声優である。
野沢雅子さんが演じたアニメキャラクターは、私がここで挙げるまでもなく、読者の皆さんはご存じだろうが、一応いくつか挙げておく。
鬼太郎「ゲゲゲの鬼太郎」
健太「タイガーマスク」
風 大左衛門「いなかっぺ大将」
ドラえもん「ドラえもん」(日テレ版2代目)
えん魔くん「ドロロンえん魔くん」
ひろし「ド根性ガエル」
ガンバ「ガンバの大冒険」
ロペット、オレアナ「超電磁ロボ コン・バトラーV」
星野鉄郎「銀河鉄道999」
怪物太郎「怪物くん」(テレ朝版)
ケン太「まいっちんぐマチ子先生」
猿丸「プロゴルファー猿」
ケンツ・ノートン「銀河漂流バイファム」
Dr.くれは「ONE PIECE」
孫悟空、孫悟飯、孫悟天「ドラゴンボール」
ドラゴンボールシリーズでの孫親子3人の演じ分けは、台詞の重複が無い限りは別録せずに瞬時に切り替えて演じ分けており、それは今でも変わらない。
声を聞くと、昔とほとんど遜色ない。
すごいことだ。
野沢雅子さんご自身の日々の努力もあるのだろうが、やはり声優を続けていることが大きいのであろうと感じる。
人によっては、病気になることもあれば、したくても仕事が無い場合がある。
そうなると、どうしても廃用委縮は起きてしまう。
私は長い間学校管理職として勤めてきた。
管理職になる前は、もちろん担任を持ち、子どもたちの前で授業を行っていた。
管理職になってからは座って仕事をしていることが多くなり、子どもたちの前に立つことはあまりなくなった。
ただ、どこかのクラスの担任教員が休みに入ったときなどは、担任代行として授業を行ったことが何回かある。
長いときには半年以上担任を兼務した。
校長になってから子どもたちの前に立つのは、朝会で話をするときぐらいだ。
授業自体はあまり行っていない。
「あまり」と書いたのは、少しは行ったからだ。
新型コロナウイルス感染症等で出勤できなくなった担任のクラスに入り、授業を行った。
私が一般教員だったころと比べて大きく変わったことがある。
今の子どもたちは1人1台端末を持っているのだ。
学校にはネット環境が整備され、子どもたちはWi-Fiでインターネットにつないだ端末を使って授業に参加する。
だから授業では、国語や算数はもちろん、外に出ての理科の観察や、体育の学習でも端末を使う。
パソコンが苦手な教員には苦しい時代になった。
幸いなことに、私は昔からワープロ専用機やらパソコンやらが大好きだったので、還暦の身ではあるが、こういった機器の使用は苦にならない。
先述の担任代行の授業でも機器を使った。
とはいえ、学級担任としての能力は、もちろん端末を使えることだけではない。
学級経営、子どもたちとの関係づくり、最新の人権感覚、そして授業力など、総合的なものが求められる。
私は管理職時代も単発でちょこちょこ授業をしてはきたが、そういった総合的なものからは遠ざかって久しい。
いわゆる、学級担任としての力量に廃用委縮が起きているだろう。
やっていなかったのだから、これはある意味当然だ。
ピアノの達人だって、1日練習しなかっただけで能力はすぐ劣化するのだ。
ただ、学校現場にはずっといたし、担任としてではないが、子どもたちとはちょこちょこ関わってきた。
学級担任としての廃用委縮は起きているかもしれないが、学校職員としてはずっと仕事を継続してきている。
その点は多少マシかもしれない。
4月から自分がどういう立場で仕事をするのかは分からない。
担任かもしれないし、担任外の立場かもしれない。
何かの主任を任されるかもしれないし、特に何もないかもしれない。
新しい職場で歓迎されるかもしれないし、元校長ということで煙たがられるかもしれない。
実際、自分が校長だったとして、元校長が部下で移動してくるなんて嫌である。
また、一般教員だったとして、元校長と同じ学年を組むなんて嫌である。
だから、異動先の職員にはその点「申し訳ないなあ」とは思う。
せめて老害にならないようにしよう。
昭和の価値観を押し付けたり、人権感覚が古かったり、ハラスメントに無頓着だったりしないようにしよう。
老衰には経年劣化と廃用委縮の両面がある。
経年劣化は避けられないが、廃用委縮は避けられる。
使い続ければいいからだ。
幸い、今は、臨時的任用職員や非常勤講師に年齢制限を設けていない自治体がほとんどだ。
頭がしっかりしている限り、体が動く限り、そして人権感覚がアップデートされ続けている限り、学校現場で教員として働き続けることができる。
理屈上は、60歳、70歳はもちろん、80歳でも90歳でも、あるいは100歳でも教員ができるということだ。
世の中には、働きたくても仕事が無くて働けない人がいる。
それでも何か世の中のためになりたいという人は、無給、あるいは薄給でボランティアなどをしている。
それが、教員は、定年退職後も、正規の人より額は落ちるものの、それなりの給料を得て正規と同じ仕事ができるのである。
文字通り、生涯現役も可能なのである。
恵まれている。
幸せなことだ。
今年の正月の番組で言っていた。
もはや人生は110年時代に突入したそうだ。
こないだまで100年時代だったのに、もう10年延びた。
私が100歳になる頃には、人生は150年時代になっているのではないか?
何歳まで健康に生きられるかは分からないが、亡くなる直前まで元気でいたいものである。
声優の永井一郎さん(「サザエさん」の波平さん)は亡くなる4日前まで収録をしていた。
声優の貴家堂子さん(「サザエさん」のタラちゃん)は亡くなる3日前まで収録をしていた。
自分もそんなふうにありたい。
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