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インド留学で得られる一生モノのスキルとは

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インドに留学を振り返って、今でも十分役立っているなと感じることをお伝えします。

良かったことはたくさんあるのですが、そのなかでも、周りから、「それはどうやって学んだの?」、「私の娘にも同じことを勉強させたい」と、問い合わせを受けた事をまとめ、3点に絞りました。

当然ながら、どのような形でインドへ留学したかで、各々得られるメリットは異なると思います。私の場合は、外国人が少なく、先生も学生も同じ寮に住んでいる全寮制の学校にいました。そこから得た経験に基づいていることをご理解頂ければ幸いです。

1.様々な宗教・文化・州の違いを学び、プロトコール(国際儀礼)が身に付く

どこに留学しても「異文化交流」というのは達成できると思います。とりわけインドは、身を置くだけで、世界中の宗教や文化を一度に学べる素晴らしい場所です。キリスト教はもちろん、ヒンドゥー教、イスラーム教、スィク教、ジャイナ教、ゾロアスター教、ユダヤ教等、様々な教徒の方に出会えます。私は寮に住んでいたので、宗教が生活にどのように溶け込んでいるのかを毎日感じることができましたし、何より友人として宗教行事に参加させてもらえて、どのように振舞うべきか、タブーは何かを教わることができます。そして、最後に「日本はどうなの?」と、聞かれるので、自ずと日本の宗教や文化についても勉強しないといけません。

同様に、インドの各州の違いについても自然と身に付きます。友人がご両親と電話で話しているところを聴くと、「あぁ、故郷の言葉はそんな響きなんだ」と気付きます。良く聞いていると、そのうちいくつかの単語を覚えてしまいます。私の日本語を良く聞いていたインドの友人は、「そっかー」を覚えてしまいました。里帰りしたあとは、食堂で「故郷の味」を各々持ち寄って食べたのは本当に良い経験でした。「あ、タケノコだ。日本でもメジャーな食材だよ!」と、話がはずみます。

最近、SNSやYou Tubeを見ていると、「インド人に○○を食べさせてみた」というテーマが目につきます。中には「牛豚エキス」の入ったスナックを食べさせているシーンがあり、愕然とすることがあります。自分たちの宗教や生活習慣を教えてくれた友人を思い出すと、軽々しく日本の食品を口にさせるべきではないと思えるはずです。服装についても同様です。友人は私を「どこに出しても恥ずかしくないよう」色々と教えてくれたので、服装も気を付けるようにしています。それが、インド社会における自身の品格の良さを保つことに繋がるのではないかなと感じています。

2.定額ではない世界に身をおくことで、自分とモノの相対的価値を考えるようになる

インドを旅行しても困るのが「ボッタクリ」といわれる、過剰請求。これに関しては、未だに頭を悩ませます。悪徳商売に加担するつもりはありませんが、モノやサービスを受けるにあたって、「自分はこれなら払える」と腹をくくらなくてはならない場面が多くあります。

私はインドで学生として、駐在員としての両方の経験があります。そこから言えることとして、同じサービスを得るとしても、支払い金額は「その人次第」という面があるということです。学生の時は、良心的な金額を提示して頂きました。インド政府から奨学金が下りる前のカツカツのときは、オートリキシャや食堂のおじさんにも事情を話し、安くして頂いていました。何より、安くなる方法がないかを自分でも調べるようにしていました。奨学金よりも少ないお金で暮らしている人も、たくさんいるインドなのだから、安い方法がないということはないのではないか…と。駐在員になると、周りの人のお金の使い方も違っていることに気が付きました。道端の貧し人に、無言でサッとお金を渡すし、タクシーも惜しみなく使う。払えるなら、払えばいい。それだけのことでした。

「ボッタクられた!」と、イライラしてしまう人は、次回からは事前にインド人と同等の価格を聞けばよいことで、その時は「日本人として、そのくらいなら払っていいかなと、自分で思ったのだから、まぁいいか」と、自分で納得するしかありません。

ちなみに、駐在員になってお給料が頂けるようになった頃。「出世払い」に母校を訪れたました。歳を取った食堂のおじさんに、「あの時はお世話になりました」と、お金を差し出したところ、おじさんは、お金の入った封筒をそっと押し返して、「出世払いって、皆に言っているんだよ。大丈夫、大丈夫。今、お前には仕事がある。私もまだ元気に仕事をしている。それで十分。さぁ、今日も飯食って、頑張れよ」と、ニコニコとオーダーをとるペンを手にしました。その日、私は料理を豪勢にオーダーしました。

母校の食堂(canteen)を訪ねる

3.英語を学ぶにも最適

日本人の方で、時々「インド人の英語は訛っている」、「アール(r)の発音がウケる」と仰る方がおられます。そのことを否定はしませんが、逆に考えると、「日本人の英語は訛っていないのですか?」、「日本人は、アール(r)とエル(l)の区別はついているのですか?」と、反論したくなってしまいます。

英語習得にあたり、本場イギリスに留学することは最善策だとは思います。しかし、インドに英語習得目的で行くことは、誤りとも思えません。インドは日本に比べて、圧倒的に英語社会だからです。知らず知らずに語彙力が身に付くことは間違いありません。

もうひとつ、インドが英語習得におすすめできるポイントとして、「言葉がわからないことに寛大」という点があります。インドでは、1万人以上が話す言語だけ数えてみても216言語が存在していると言われています。そのため、言葉が通じないということは日常茶飯事です。英語が話せなくても奇異の眼で見られることは一切ありません。ほとんどの人が、辛抱強く、何を伝えたいのか耳を傾けてくれます。正しい英語以外、口にしてはならないというプレッシャーから解き放たれ、伝えたいという気持ちに集中することができます。

これらの経験を積むと、自ずと悪縁を遠ざけ、良縁を引き寄せることができます。

良い縁だって見つかるのがインド

インドにやってきた日本人ということで、手厚い歓迎を受けることが多々あります。すでに1.でお伝えした通り、一通りインドに関する知識をもっていると、話題に困ることはありません。重ねて、インドではありえないマナーで、日本人に話しかけてくるインド人は「怪しい」と、感じ、距離を置くようになります。

他方、日本にいては到底出会えなかったであろう方々に、インドでお会いするという機会にも恵まれます。インドに日本の代表としていらっしゃった著名人や、少数精鋭の日本人駐在員、フィールドワークに訪れる研究者の方。インドで長く住まわれている日本の方。インドにいるだけで、才能あふれる方と、直接、お話しをすることができます。この時も、話題に困ることはありません。今でこそ、インド在留邦人は約1万人ですが、私が学生としてインドに渡った頃は、その半分の5000人にも満たない数しかいませんでした。だからこそ、広いインドで日本人に出会う機会もずっと少なく、まさに「袖振り合うも多生の縁」と、コミュニケーションをとっていたものです。

知識も経験も人脈も。インドでの良い出会いはまさに人生の宝となります。

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