感情と社会 15

「体育」ー ルールの受肉

20世紀をはっきりと特徴づけている、<スポーツ>という新しい風習。今ではこの名前は、じつにいろいろな身体的活動をまとめる、雑多な領域を乱雑にくくっています。健康への執着、他者に見せるものとしての身体、驚異的なスペクタクルという娯楽、大規模な興行と金儲け、身体の制御と道徳性の結びつき、教育的な訓練、規律の涵養、国家を結束させる事業、などなど。じっさい、ぼくたちが何も考えることなく、<スポーツ>と呼んでいるものは、過去の多くの活動が合流している、まさにごった煮です。
スポーツについての歴史的な経緯のいくつかを、フランスの研究から拾ってみると、やはりスポーツが、その成立期から国家と深い結びつきを持っていた様子が見えてきます。


「集団行動や団体活動をかつてなく促進し、教室の空間や時間にかつてなく適した新しい体操は、学校教育のあり得べき変革を暗に示している。その細分化の原則はひとつの教育法を方向づけ、組織した。「基礎的な運動の大部分を同時に実行させるようにするには、軍隊式の規律と指揮を確立することが不可欠だ」。生徒たちに与えられる命令は動作がはっきり定められただけに、より規則正しいものとなり、プログラムは進行が次々に変化するだけに、より明確なものとなった。教室は幾何学的に構成された装置となり、その新たな活用方法を19世紀半ばの教育者たちは推し量った。「一斉に体育を行うことは生徒たちを黙らせるという利点だけでなく、つねに集中し、すぐに命令に従う習慣を身につけさせる利点がある。そうした習慣を生徒たちは教室ではすぐに忘れてしまうのだ」。学校がすぐに体育の実践を採用したわけではないが、少なくとも1830年代にはその内容によく通じていた。1833年のマデールの指導書はそれについて強調して言及しているし、1832年にジェランドが著した『初等教員標準講座』も同様で、「規則正しい行進」や「団体活動と完全なる調和のもとでのさまざまな展開」を忘れずに紹介している。(コルバン編『身体の歴史』Ⅱ、p.384)

生徒たちを黙らせる
つねに集中させる
すぐに命令に従う習慣を身につけさせる
生徒たちはすぐに習慣を忘れるものだ

これはまさしく、日本の学校で、教室を運営するために、日々、行なわれていることです。昨今では大学ですら、こうした教室運営を何も考えずに行なっている教員が大勢を占めるようになりました。ほとんどどこの教室でも、教員は子供たちを、あくまでも集団として、どう管理して、どう制御、つまり支配するかに腐心しています。

明治初期に、日本が陸軍の兵制の模範としてフランスの制度を導入したことは、その後の日本のスポーツ観の形成に、大きな影響を与えたと考えられます。引用が描き出しているように、19世紀中盤のフランスでは、体操は主に集団としての行動、命令への絶対服従を訓練するための手段として考案されていた最中でした。そのフランスに由来する「体操」は、新兵の訓練として幕末から導入され始めていました。明治から大正にかけて、兵式体操、棍棒体操、小隊教練、中隊教練として行われ、やがて第2時世界大戦中の軍事教練として、皇国国家の役に立つ人間(もちろん主に兵員)の育成手段となっていきます。

その<精神>が集団的に内面化されて、それに気がつくことすら困難になってしまった感情が、現在に至るまでほとんど変化していないことは、体育にまつわるあらゆる因習から容易に察することができます。
ぼくは小学生の頃に、1mほどの竹の棒に銀紙を貼ったものを作らされて、校庭に整列すると、それをかざしたり突いたりして、「えいっ! えいっ!」と叫び声を上げるという不思議な体操をさせられていました。昭和40年代です。これはまさに軍事教練としての竹槍訓練そのものでした。小学生ながらぼくはその軍事的な性格を感じ取っていたので、この練習を何度も拒みましたが、体罰を受けるという結末がいつも待っていました。
日本のスポーツ大会では、選手宣誓の折に右手を高く掲げるポーズがまだ見られます。ヨーロッパ、とりわけドイツ語圏からの批判を受けてこれをとりやめるところも出てはきましたが、いったんこれを止めた後でなぜか復活させた競技会も近頃また増えてきたように思えます。このポーズがいわゆるナチス式敬礼との親和性があることは、歴史的に見てもほぼ間違いはありませんが、そうした親和性からくる、ある社会における不快感を無視できる感情が、日本の「体育」に関わるあたりには確実に存在しています。2010年代以降、いったんは<自粛>されていたこの風習が、最近また復活し始めているのもまた、背後にある感情の惰性の根深さを感じさせます。

「体育会系」と呼ばれる人たちに一般的な、先輩への絶対的服従。数年前、大学のアメフトの選手が監督の指示に従わざるを得なかったあの事件は、きっと旧日本軍の日常的な光景でもあったのでしょう。練習の場で、身体能力の向上や心的な快感ではなく、<忍耐力>を至上の価値観とする風習(あの、「頑張る」ですね)。そしてほぼ日常的な光景とも言える身体的暴力とハラスメント。形式的なだけ、つまり形式そのものが目的と化してしまった、空洞同然の規律の重視。個の抑圧というストレス環境にある「体育会系」の人々は、当然、その倒錯してしまった感情を表します。競技に勝っても、競技に敗れても、彼らは歓喜するよりも、むしろ泣くのです。合理化しきれない、もつれにもつれた内面が噴き出す瞬間。

大手のテレビニュースがスポーツコーナーに大きな時間を割いているのも、日本の特徴です。そこでは、「体育会系」的なメンタリティーが大々的に宣伝されて、選手たちには美談の嵐。不倫などの<ルール違反>には、とりわけその選手が<国家>や<国民>を代表していると感じられる場合には、体育会系が道徳的規範であることを証すかのように、苛烈な非難と罰が与えられます。

早くから<文明化>をスローガンとして社会の成熟が始まっていたフランスでは、スポーツのこうした調教という機能に対立する身体観も同時に現れていました。
「スポーツの実践は、「子供たちに数年間の兵舎生活の準備をさせるあの忌まわしい活動」である体操の批判をとおして明確になっていった。
競技やその「自由な」動きについての論争は実のところ19世紀の半ばから体操についての見解を混乱させていた。(中略)競技はそれがもたらす快楽やくつろぎというテーマをめぐって、19世紀末に少しずつ重要性を獲得していった。(中略)、競技大会の進行や運営を行う「対等な人々」による諸団体が構成する機構は、確立された位階を持ち運営者と実践者のちがいをつねに強調する体操協会の機構とはまったく異なるものだった。1880年代の〔競技機構の〕当事者の一人は、数年後にその初期の運営方法についてきわめて簡潔に述べている。「1、協会やクラブに所属する競技者が基本となり、彼らがリーダーを選出する。2、クラブが選出したメンバーで構成される地方連盟や地方委員会を置く。[・・・]3、役員会あるいはクラブ委員会の代表者によって構成される理事会が中心的な権限を代表する」。言いかえれば、民主主義の基本原理である。」(コルバン編『身体の歴史』Ⅱ、pp.430-431)

この民主主義的なスポーツ観は、その後フランスでは大きな比重を占めるようになりました。ところが日本では、そうはいかなかったようです。
「心と体を一体ととらえ 」という言葉は、2012年に改定されるまで、ずっと体育の教育指導要領に残っていた文言。国家が何を目指しているかを物語る、とても興味深い道徳です。もう繰り返すまでもありませんが、道徳を支えているのは社会に浸透した感情以外の何物でもありません。その感情は、近代以降でははっきりと、国家と呼ばれる支配機構が、被支配民に共有させるルールとして、内面化、自己イメージとの同一化を果たさせようという<政策>の結果です。日本における「体育」が推進する道徳は、心も体も一体化して自我を失い、より大きな集団性、つまりは国家ですが、国家に奉仕するための感情として、みごとに受肉化されています。

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