石原次郎

大学生の頃から46年間、ずっと大学にいました。 ドイツ文化を専攻した学生時代から、文化…

石原次郎

大学生の頃から46年間、ずっと大学にいました。 ドイツ文化を専攻した学生時代から、文化全般を貫いている情動や感情に関心が移り、情動、感覚、大脳情報処理、身体、心性の歴史へと関心が広がりました。自由教育を貫きました。 「感じる」ワークショップ BUNTE KISTE を主宰。

最近の記事

感情と社会 34

個人主義 このテーマについて思いを巡らせると、ジェンダーとして男であることを他者から規定されてきたぼくが、「男らしさ」を告発するときよりも、もっと複雑な気分の悪さを感じます。 曲がりなりにも、人権思想がある程度一般化したと思われている社会に暮らしているぼくにとって、個を尊重すること、つまり個人主義という観念が、自分にとってとても基本的で大切だという思いがあります。ぼくは、自分の人権が侵害されることなど、考えただけでゾッとします。ただ、これからお話しするように、個人主義の成立

    • 感情と社会 33

      政治家 自己疎外を被った人は、自己イメージを内側から、内発的に作る機会を奪われています。 そういう心の人は、なんとかして自分を保つために、自己のイメージを作る材料を、絶えず外部から取り込む以外にありません。そしてそのイメージが、自分を保つのに十分かどうかを知る手段は、自分が他者よりも強いか、自分が他者よりもより高い位置にいるか、より良い評価を受けているか、より得をする集団に属しているか、などの尺度によってだけ測られます。これが、人間社会の至る所に見られる、ヒエラルヒーを作ら

      • 感情と社会 32

        知覚の歴史 知覚にも歴史があります。感覚を意識的にテーマ化するのは、とても困難です。そういう習慣をぼくたちは身につけてきませんでしたから、あるいは身につけないように訓練されてきましたから、知覚が歴史的に変化するなんて、と、意外に思う人も多いのではないかと思います。さらには、知覚とは、生物が生得的に持っている<能力>だから、歴史、ましてや文化概念としての歴史とは関係がないんじゃないかと、そう思うこともあるかもしれません。フーコーの言説 discours、あるいはその堆積物であ

        • 感情と社会 31

          遊戯と暴力性——ホモ・ルーデンス 「23 スポーツの感情」ですでに、文化を遊戯という視点から考察したホイジンガに触れました。名著の呼び声は今でも高いのですが、その指摘の重要性が必ずしも十分には理解されていない、ヨハン・ホイジンガのこの『ホモ・ルーデンス』を、感情という観点から、しっかりと考えてみたいと思います。 スポーツの節ですでに、ホイジンガが「勝つ」という動機と、その達成から得られる充足感という情動を指摘していたことには触れました。彼もまた、文化、あるいはより大きなイメ

        感情と社会 34

          感情と社会 30

          情緒の操作 「コカコーラをたくさん飲んでも、若くも健康的にもアスリート的にもならない。むしろ肥満や糖尿病にかかる可能性が高まるだけだ。それでも何十年もの間、コカコーラは若さ、健康、そしてスポーツと結びつけるために何十億ドルもの投資をしてきた。そして何十億もの人が無意識にこの結びつきを信じている。」(Twitter ユヴァル・ノア・ハラリbot 2020.10.20) コカコーラは健康を増進しない。当たり前のことですが、コカコーラの販売促進のために、この会社は自社製品を身体

          感情と社会 30

          感情と社会 29

          暴力の諸相 ⑹ 情動に対する嫌悪 情動そのものがあまり喜ばしくないという感情は、それ自体が捻じ曲がって矛盾だらけなのですが、情動全般を毛嫌いするという情動は、ずいぶん昔にすでに生まれていたようです。それは、この前の節でテーマにした、「男らしさ」と時期的にも一致しているようですし、「男らしさ」が自己抑制、つまり情動を制御、抑圧することをその徳 virtue の中核にしているところからして、同じ根を持っているとも思われます。 ギリシア古代にすでにアリストテレスが、人間が備える

          感情と社会 29

          感情と社会 28

          暴力の諸相 ⑸ 男・らしさ このテーマをめぐって思いを巡らすことは、少なくともぼくにとっては、困難を極めます。生物として、ぼくたちは生殖という機能を持っていますから、ぼくたちが sex、sexuality、gender などと名づけている何かに、すでにぼくは身体的に、またsocial に、あるいは civilize されて、もう巻き込まれてしまっています。ぼくは、1人称として「ぼく」を使っています。ぼくは男子トイレに入り、男湯に浸かり、男子更衣室を使い、学校時代には学生服を

          感情と社会 28

          感情と社会 27

          暴力の諸相 ⑷「知識」 コロナ禍以来、たくさんの「知識人」「有識者」「学識経験者」がメディアを賑わせていますが、そのほとんどの人々が、この状況に対してかなり無力であったり、あるいは明らかに間違いであろう「知見」の喧伝に執心しているという印象を持っている人は、少なくないのではないかと思います。ワクチンの開発とその効果に覚えるもどかしさやデータの不透明さ、また、各国や地域ごとに違う対策の、どう見ても必ずしも科学的とは言い切れなそうなまちまちさ。 こんな状況は、「知」という、ho

          感情と社会 27

          感情と社会 26

          暴力の諸相⑶「心」の対象化 Objectivation 兵士というメンタリティー、やがては「知的」産業を支える<人材>のメンタリティーを査定するための知能指数という尺度は、特に20世紀のアメリカで猛威を奮いましたが、やはりアメリカで、前世紀の終盤から、これに代わる(というよりも、知能指数が差別的だという批判をかわすために用意された、別種の差別といった方が実態に近そうです)「心の知能指数 Emotional Intelligence Quotient、略して EI あるいは俗

          感情と社会 26

          感情と社会 25

          暴力の諸相 ⑵教育 「教育」が公的な機関として整備されていくのは、<近代>の進展と、つまり加速度を増していく<文明化>のプロセスと並行しています。この時代空間で、アリエスの『子どもの誕生』が詳細に伝えているように、かつては<小さな大人>としか見なされていなかった<子ども>が、徐々に<子ども>という、<大人>とは違う集団として知覚されるようになり、この区別された集団をどう扱うかが、大きな関心を集めるようになっていきました。 この経緯からじつに単純なことがわかります。<大人>と

          感情と社会 25

          感情と社会 24

          暴力の諸相 ⑴スポーツと「国家」 ここからは6回にわたって、暴力性という感情に焦点を当てて、6つの観点からそれを考えてみたいと思います。 前の節で、ホイジンガとダニングを引用しながら、スポーツが勝つことを目的とした遊戯的闘争であり、勝者の社会的な地位が向上して、人格的な評価までもが高まるというさまを、描き出しました。 おかしな話です。どうして人よりも異様に早く走れる人が、どうして人並外れて早く泳げる人が、どうして腕力が尋常ではない強さの人が、どうして人の頭部を確実に殴るの

          感情と社会 24

          感情と社会 23

          スポーツの感情 スポーツと暴力との直接的なつながりについて、今回は考えていきたいと思います。(2021年夏、ぼくたちの税金を惜しげもなく使って行われている「スポーツの祭典」の只中で、この節を書きました。) すでに、<道徳>と呼ばれている、ぼくたちの心の中に内面化されたルールが、暴力を本質としているらしいことには、前の節で触れました。その詳しいお話は別の機会にちゃんとしたいと思いますが、そもそも<道徳>が暴力であるなら、「スポーツは暴力的なんだ!」と告発めいたことをするとい

          感情と社会 23

          感情と社会 22

          暴力性と自己疎外 暴力性、残虐さ、これが、他者を支配したい、操作したい、滅ぼしたいという心であることを、ずっとお話ししてきました。 そして、この心が、周囲に対する際限のない不安と恐怖から発しているらしいことも、お話ししてきました。 この心がどういう経緯で形成されて、どんなふうに暴力と(つまり政治的な行動と)結びつくのかを、いったん箇条書きにしてまとめておきたいと思います。 ・想像上の他者からの攻撃、それに対する防御、被害を受けたと感じての報復、排除 ・これを常に包み込んで

          感情と社会 22

          感情と社会 21

          暴力という感情から見える景色 前節で眺めたホモ・サピエンスの心の景色から、あらためてぼくたちを取り巻いている、ぼくたちを貫いている、ぼくたちの主要な心を規定している、社会、そして、社会を、いつでも、自分たちの都合に合わせてまとめ上げてようとしている支配機構を見つめてみます。 2013年、ニュージーランドのウィリアムソン議員は、ある法案の成立後のスピーチで有名になりました。同性婚への賛成を訴える彼は、こう訴えていました。 「私たちがやろうとしていることは、愛し合う2人の結婚

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          感情と社会 20

          暴力が止まない現実をどう感じ取るか ニューヨーク・タイムズでベストセラーと報じられて、ビル・ゲイツも「永遠の一冊」という賛辞を送っている、スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』では、カントやエリアスを援用しながら、人類が<文明化>と<民主化>のプロセスを進んでいるおかげで、暴力(とはいえピンカーの言う暴力は殺害という物理的にわかりやすいものに限られています)が近代以降確実に減少しているのだ、と、たくさんの統計データを示しながら主張しています。 エリアスの著書を、こんな風に

          感情と社会 20

          感情と社会 19

          「社会」という言葉 感染症の騒動が始まって間もなく、ソーシャル・ディスタンス (英語圏では social distancing) という言葉がよく使われるようになりました。これを日本語に訳すのは(社会学がもともとかなり厳格な意味で使っていたせいなのかもしれませんが)落着きが悪かったんでしょうか、「社会的距離」という訳語は好まれることがなかったようです。 一方、日本でも耳にする social dance ということばがあります。これは「社交ダンス」と訳されています。同じ so

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