感情と社会 34
個人主義
このテーマについて思いを巡らせると、ジェンダーとして男であることを他者から規定されてきたぼくが、「男らしさ」を告発するときよりも、もっと複雑な気分の悪さを感じます。
曲がりなりにも、人権思想がある程度一般化したと思われている社会に暮らしているぼくにとって、個を尊重すること、つまり個人主義という観念が、自分にとってとても基本的で大切だという思いがあります。ぼくは、自分の人権が侵害されることなど、考えただけでゾッとします。ただ、これからお話しするように、個人主義の成立もまた、人類がやっと到達し得た叡智のひとつだと言って無条件に喜んでいいものではなく、ほかのさまざまな観念装置と同じように、数多くの相反する利害が複雑に絡み合って、淘汰し合って、妥協し合って、欺き合って練り上がってきたものです。個人の人権の尊重が、まるで大手ハンバーガーチェーン店の看板のように当たり前の感覚になっている社会にあっても、人権などどこ吹く風という行政や政治の暴挙が横行していることを、冷静にそのまま眺めれば、「個人主義」もまた、美しい理想とは程遠い様々な利害と欲求とのごった煮であるさまが見えてきます。
歴史的な流れは、いつも複雑で猥雑です。
『監獄の誕生』という題名で出版されたフーコーの著作の原題では、この邦訳にあたるのは副題の方で、本来の題名は “Surveiller et Punir”、つまり監視することと処罰すること。フーコーが考えを巡らせたのは、近代化と共に進んできた、支配にとって重要な装置になっていった監視と処罰でした。そのひとつの具現化として、監獄という収監施設の誕生と発展を取り上げているわけです。支配装置が犯罪と定義していることに手を染めた者に対して、見せしめとして公開で刑罰を与える歴史が、広く世界中に長らくありました。公開処刑が当たり前の時代がずっと続いていました。日本では明治維新直前までこれが続いていたのですが、ヨーロッパでは、19世紀に入ってから収監、しかも人目につかない場所への収容という変貌を遂げていきます。
見せしめによって恐怖心を喚起するという方策は、次第に個々人をより効果的、効率的に管理するという行為に代わっていきます。
監視の効率化を目指して、最小人数の看守による多数の囚人の一括管理施設としてのパノプティコンを提唱したのが、社会の幸福の極大化を謳い、功利主義を推し進めたベンサムだったということがすでに、監視・管理と、個人主義の故郷の同質性、そしてことの複雑さを物語っています。パノプティコンは19世紀フランスで次々に建造され、日本でも網走刑務所にその姿を見ることができます。処罰が、社会からの排除から、個人の監視、管理、そして矯正へというプロセスに変化していったのが、18世紀後半からのヨーロッパの人間感でした。
パノプティコンが具現化したこの人間感が、個人というイメージの誕生、そして犯罪者とそうではない者、犯罪者資質の者とそうではない者、精神が異常な者とそうではない者、といった規範 norm のイメージの形成と同時期であったばかりでなく、同じ故郷を有していました。ベンサムが、刑務所はあくまでも「更正」のための場であって、処罰ではないと主張したことも、彼はとても「人道的」だったと、表面的な道徳感で納得してすまされるようなことではなく、じつはこの文脈から読み取るべきものです。
公開処罰という派手な演出によって支配装置を可感化することに代わって、権力は目立たないものになっていきます。フーコーの主眼が、監獄にではなく、それを変革させた監視と処罰にあったことを思い出してください。監視と処罰に大きく貢献したのは、すでにお話しした学校制度でもありますが、学校による人間(子ども)の規格化 normalisation、画一化が、支配装置という権力を、制度の影で不可視化する一方、学校の成員である子どもたちは、監視と制裁、規格化、そして等級化によって、一人一人が切り離され、個として可視化されていきます。フーコーは試験という、ぼくたちにはお馴染みの教育の風習に着目します。
「監視をおこなう階層秩序の諸技術と規格化をおこなう制裁の諸技術とを結び合わせるのが、試験である。それは規格化 normalisation の視線であり、資格付与と分類と処罰とを可能にする監視である。ある可視性をとおして個々人が差異をつけられ、また制裁を加えられるのだが、試験はそうした可視性を個々人にたいして設定するのである。」(『監獄の誕生』p.213)
監視と管理の効率化を図るために、こうして人間の集まりは、かつての税収確保のための集団(農民、商人など)としての扱いから、一人ひとりを切り離し、隔離していくという扱いに変貌を遂げていきます。
監視をされている人の前から姿をくらました支配装置を、フーコーは「disciplinaire 規律的/懲罰的/訓練的な」権力と呼びます。
「試験は、権力の行使にあたって可視性という経済策を転倒する。伝統的には権力とは、見られるもの、自分を見せるもの、自分を誇示するものであり、権力が自分の力を発揮するさいの動きに、逆説的にだが、その力の本源を見出すのである。その権力が行使される相手の人々は、闇の中にとどまるかのように人目につかなくてもよく、もっぱら彼らは自分たちに譲渡されるあの権力上の分前からしか、もしくは一時的にそこから入手する権力上の反映からしか、光を与えられてはいない。ところが規律・訓練 discipline 的な権力のほうは、自分を不可視にすることで、自らを行使するのであって、しかも反対に、自分が服従させる当の相手の者には、可視性の義務の原則を強制する。規律・訓練 discipline では、見られるべきものはこうした当の相手(sujet 部下であり、受験生である)のほうである。彼らに行使される権力の支配は、彼らを明るみに出すことで行使される。規律・訓練における個人を服従強制(臣民化、主体化でもある)の状態に保つのは、実は、たえず見られているという事態、つねに見られる可能性があるという事態である。」(『監獄の誕生』p.216)
懲罰を手段としながら「規律」を叩き込んでいくという、「訓練」的な、現代でも使われる意味では「軍事教練的な」監視システムは、監視する側、権力を行使する側がどんどん暗がりに姿を消していく一方で、監視される対象物 objet として、事例 cas としてばらばらにされます。個人が個人として、共同体内でのほかのつながりを断ち切られて切り出されるプロセスがここにあります。
「試験は、記録作成のすべての技術に守られ助けられることで、それぞれの個人を一つの《事例》に仕立てる。つまり、一つの認識にとってはひとつの客体を構成し、と同時に一つの権力にとっては一つの支配を構成する、そうした《事例》である。事例とはもはや、決疑論 casuistic や法律解釈学のなかでのように、或る行為を規定したり或る規則の適用を変更できたりする、一つの総体的な状況なのではない。事例とは、記述され評価され測定され他の個人と比較され、しかも個人性じたいにおいてそうされるような個人をさす。」(『監獄の誕生』p.220)
「規律・訓練的な制度のなかでは、個人化は《下降方向》である。つまり権力がいっそう匿名的でいっそう機能的になるにつれて、権力が行使される当の相手のほうは、いっそう明確に個人化される傾向をおびる。しかもその事態は、儀式によってよりも監視によってであり、記念のための物語によってよりも監察によってであり、さらには、《規格 norme》を関連枠としてもつ比較の尺度によってであって、先祖が誰であるかを目印にする家系図によってではなく、また、勲功によってよりも《逸脱》のいかんによってなのだ。規律・訓練の体系のなかでは、子供のほうが成人よりもいっそう個人化され、病者が健康人以上に、狂人および犯罪非行者が普通人ノルマール(つまり、規格に合致した人)および非=犯罪非行者よりも、いっそう個人化される。いずれにしてもそれぞれの前者の方向へ、われわれの文明〔社会〕では個人化のすべての機制が向けられているのである。しかも健康な、普通ノルマール normal の、法に叶った成人を個人化したい場合には、以後いつも、その成人にこう質問するのである、君にはまだどんな子供らしさが残っているか、きみはどんな秘密の狂気にとりつかれているか、きみはどんな根本的な犯罪をおかしたいか。分析の学であれ実践の学であれ、《心・精神 psycho》という語根をもつすべての学問(精神医学(プシキアトリー psychiatrie)や心理学(プシコロジー psychologie)など)は自分の立場を、個人化の処方式のこうした歴史上の反転のなかにもっている。個人性の形成にかんして歴史〔物語〕的=祭式的な機制から学問的=規律・訓練的な機制への移行がおこなわれた時期、規格的 normal なものが先祖伝来のものにとって替わって、尺度(測定でもある)が身分のかわりをし、しかも記念すべき人間(国王や武将など)の個人性にかわって計量可能な人間のそれを持ちこんだ時期、つまり、人間にかんする諸科学が存立可能になった時期とは、権力の新しい技術論、および身体にかんする別種の政治的解剖学が用いられた時期なのである。」(『監獄の誕生』pp.222-3)
この記述の中では、啓蒙主義と名づけられて、どちらかというと現代社会のある種の理想像の出発点を形成したと思われている19世紀以降のヨーロッパの歴史が、ちょっと違った風景で浮かび上がってきます。
18世紀中葉以降、学校制度が整備されていったことは以前にも触れました。それは、主として兵役の役に立つ人間を育成するための装置であることが明らかですが、さらにフーコーは、そこに個々人を切り離し、点検し、吟味し、誰が役に立ち、誰が害をもたらすのかを選り分ける(「成績評価」ですね)働きがあることを指摘しています。アリエスは、学校は子どもを子ども集団として社会から隔離して訓練する施設であることを指摘していましたが、その施設の中ではさらに集団は個(individuum, もうこれ以上切り分けることができないもの)にまで切り詰められて、目に見えない監視者によって管理、育成される様を描き出します。啓蒙主義を盲信する人であれば、学校とは人類の叡智を効果的に広めるための施設だとお考えでしょうけれど、そのイメージはあの、アウシュビッツの入り口に掲げられていたスローガンと同じ、空疎な嘘でしかありません。
学校におけるこの監視と育成の仕組みは、同時にまた医療機関でも並行して起きています。それはやはりフーコーの『狂気の歴史』で詳細に述べられていますが、兵士として、労働者として、納税者として「健常」である個を、そうではない個から選別するために、「健常 normal(規範的)」と「異常 anormal」という概念が生み出されます。「健常=規範的」の「規範」をそう規定するのは、もちろん、個の側ではなく、個を管理する側です。こうして精神医学(正しくは「精神病理」学)、そして心理学が、「規範」に沿って個を観察、分析して、「健常」かどうかを判定する仕組みとして急速に発展していきます。たしかに心理学は、人間の個性を、つまり個体の diversity を発見したとも言えますが、現在の心理学の大繁盛ぶりを見ても、心理学や精神病理学が、「健常=規範」から、「異常」をあぶり出して「治療する」、つまり「健常化=規格化」することに明け暮れていることがよくわかります。
啓蒙主義がヤヌスの顔を持っていることは、次のフーコーの enonce で明瞭に述べられています。
「権力の一望監視パノプティコン的な様式はーそれが位置する基本的で技術的な、目立たぬやり方で物理的な水準ではー、ある社会の法律=政治的な大構造の無媒介的な従属下にあるわけでも、その大構造の直接的な延長のなかにあるわけでもない。といってもしかし完全に独立してはいない。歴史的には、ブルジョアジーが18世紀に、政治上の支配階級になったその過程は、形式的には平等主義の、明瞭な、記号体系化された法律上の枠組の設定によって、しかも議会制ならびに代議制の体制の組織化をとおして庇護されてきた。しかし、規律・訓練のさまざまな装置の発展および一般化は、こうした過程の、他方の、暗闇の斜面を組立ててきたのだった。原理上は平等主義的な権利の体系を保証していた一般的な法律形態はその基礎では、規律・訓練が組立てる、本質的には不平等主義的で不均斉な、微視的ミクロ権力の例の体系によって、細々とした日常的で物理的な例の機構によって支えられていた。しかも、形式的には代議制度は、万人の意思が直接的にであれ間接的にであれ、中継の有無を別にして、統治権の基本段階を形づくるのを可能にする反面では、その基盤において規律・訓練のほうは、力と身体の服従を裏付けるのである。現実的で身体本位の規律・訓練は、形式的で法律中心の自由の下層土壌を成してきたわけである。契約が法ならびに政治権力の理念的基礎だと想定しえた反面では、一望監視方式が強制権の、普遍的に広まった技術方式を組立てていた。たえずその方式は、社会の法律的構造に深層部で働きかけつづけて、権力が自分に与えてきた形式上の〔法律的〕枠組に反して事実上の権力機構を機能させていた。自由〔の概念〕を発見した《啓蒙時代》は、規律・訓練をも考案したのだった。」(『監獄の誕生』pp.254-5)
近代はこうして近代以前の人間観を書き換えました。人間集団が、地縁共同体として、職業共同体として、血縁関係として、つまり集団におけるなんらかの「規範」として感じ取られる時代は終わり、個として扱われる時代に移り変わったのです。そして私たちはその只中にいます。
18世紀、啓蒙主義思想という玉虫色の看板に後押しされた「監視」「規律/訓練」の進展は、やがて社会の隅々にまで浸透していきました。こうして今や私たちは、「監視」「規律/訓練」「評価」「規範化」が当たり前に成り果てた、個人主義的な人権社会に暮らすことになっているのです。
「各所に存在する規律・訓練の装置に支えられ、監禁のあらゆる仕掛に拠っているこの規格化の権力は、現代社会の主要な諸機能の一つになっている。企画への合致ノルマリテの裁定者〔=裁判官〕が現代社会ではいたる所に存在するのだ。われわれが住む社会は教授=裁定者の、医師=裁定者の、教育家=裁定者の、《社会実業家》=裁定者の社会であって、みんなの者が規格的なるものノルマティフ normatif という普遍性を君臨させ、しかも各人は自分の持場に応じて身体・身振り・行動・行為・適性・成績をこの規格的なるものに従属させる。」(『監獄の誕生』pp.351-2)