感情と社会 23

スポーツの感情

スポーツと暴力との直接的なつながりについて、今回は考えていきたいと思います。(2021年夏、ぼくたちの税金を惜しげもなく使って行われている「スポーツの祭典」の只中で、この節を書きました。)

すでに、<道徳>と呼ばれている、ぼくたちの心の中に内面化されたルールが、暴力を本質としているらしいことには、前の節で触れました。その詳しいお話は別の機会にちゃんとしたいと思いますが、そもそも<道徳>が暴力であるなら、「スポーツは暴力的なんだ!」と告発めいたことをするという<道徳心>をあらためて発揮するというのも、おかしな話ですね。まして、「どうやったらスポーツから暴力性を取り除くことができるのか?」「どのスポーツが暴力的ではないのか?」などと、これまた<道徳的に>考えるのは、的外れもいいところです。
ぼくが立ってみたい場所は、スポーツ「と」暴力、ではなく、スポーツ「は」暴力、という場所です。ぼくの心にもしっかりと巣食っている<道徳>に、できるかぎり邪魔されないように用心しながら、ぼくたちの日常的な感情とはまるで別の観点から、スポーツという暴力を考えていきます。

現代ではお馴染みのスポーツということばの起こりはイギリスだと言われています。古いフランス語のdesporter、楽しむ、気晴らしをする、という動詞から派生して、16世紀ごろにはすでに sport という単語が用いられていたようです。おおむね、身体を使ったゲーム全般を指すものだったので、すでにこの頃には、ぼくたちがスポーツと呼んでいるものと似たものを指していたと思われます。ただ、大衆的な娯楽になるにはそれから300年ほど時をすぎて、洗練され、文明化される必要がありました。ボクシングでの死亡は長らく当然のことと思われていました。とりわけイギリス各地の庶民の間で盛んだったフットボールの原型も、怪我を承知で行う乱闘のようなものだったことが推測できます。スクラム中に相手の目をえぐったり、指の骨を折ったという記録もかなり残っているようです。
エリアスも指摘しているように、スポーツが徐々に死や傷害を減らしていったというプロセスは、単に人類が温厚になっていったからというような単純なものではありません。支配階層が、臣下や庶民の、圧政に対するガス抜き、まさに「気晴らし」としての機能を持たせたことは見逃せませんし、またその「気晴らし」が暴動にまでエスカレートすることも回避せねばなりませんでした。庶民の上昇志向が、勝敗を決するという、スポーツにはつきものの競技性と関係していることも間違いありません。また、産業化が広まるにつれて、試合と賭け事とが密接に関係するようになったり、興行としての試合が娯楽産業として生まれたりなどの要因もあります。さらに19世紀に入ると、戦争スタイルが密集型の大規模兵団によるものに移行したこと(背後には国家主義の台頭があります)から、学童教育における、兵士としての身体と規律の訓練を目的とした「体育」の導入が加速します。そんなわけで、スポーツは、<文明化>のさまざまなプロセスの Verflechtung 編み合せそのものと言ってもいいでしょう。今日に至ってもなお、スポーツの定義は曖昧模糊としたままです。

この定義も領域も判然としないスポーツという営みから、ここでは3つの特徴を抽出して考えてみたいと思います。
 ⑴ 暴力行使(戦闘)への準備として
 ⑵ 身体的な暴力行使として
 ⑶ 心理的な暴力行使として(競合の合理化)

「14 「国体」ー支配観念の実体化」では、イギリスでは19世紀後半に、スポーツに関する独特の文化が生まれていたことに触れました。繰り返しながら簡単に要約をしておきます。
スポーツ協会の設立、とりわけラグビーフットボールのルールの「非暴力的な」改訂、また闘争や利潤追求と縁を切ろうとする「アマチュアリズム」の提唱などが、特にイギリスでは大きな潮流になっていました。20世紀に入って、ヨーロッパの絶対王政は次々に倒れていきました。そして、たとえば<体操>ではなく<スポーツ>という余暇活動に支えられた民主的な市民の生活が、フランスでも大きく現れていきます。イギリスでは、競技に参加する選手たちが「勝つ」ために事前に練習をすることは大きなひんしゅくを買う行為だったようです。クーベルタン男爵が思い描いていた<スポーツ>の祭典は、「アマチュアリズム」を実践していたイギリスのスポーツ文化に、大きな影響を受けて起案されました。とはいっても、1896年にアテネで開催されたオリンピックが、この理念に沿っていたという証拠は、ほぼ見当たりません。国家間の争いは当然のように行われていましたし、参加選手がアマチュアであるかどうかもほぼ不問だったために、職業的な選手や軍人の参加があったことは、間違いがないようです。
オリンピックがすでに次の大会から、賞金を付与したりし始めて、その美名に値しないものになっていき、それから国家主義などの政治闘争の道具に転落していったさまは、皆さんもよくご存知かと思いますから割愛します。

⑴ 暴力行使(戦闘)への準備としてのスポーツ

日本の「体育」という授業及び習慣が、直接暴力の源泉である様は、すでに「15 「体育」ー ルールの受肉」で詳しくお話をしました。この淵源が、ヨーロッパ、とりわけドイツ帝国とフランスにあることもお話ししましたが、もう一度、コルバンの記述を見ておきましょう。

「集団行動や団体活動をかつてなく促進し、教室の空間や時間にかつてなく適した新しい体操は、学校教育のあり得べき変革を暗に示している。その細分化の原則はひとつの教育法を方向づけ、組織した。「基礎的な運動の大部分を同時に実行させるようにするには、軍隊式の規律と指揮を確立することが不可欠だ」。生徒たちに与えらえる命令は動作がはっきり定められただけに、より規則正しいものとなり、プログラムは進行が次々に変化するだけに、より明確なものとなった。教室は幾何学的に構成された装置となり、その新たな活用方法を19世紀半ばの教育者たちは推し量った。「一斉に体育を行うことは生徒たちを黙らせるという利点だけでなく、つねに集中し、すぐに命令に従う習慣を身につけさせる利点がある。そうした習慣を生徒たちは教室ではすぐに忘れてしまうのだ」。学校がすぐに体育の実践を採用したわけではないが、少なくとも1830年代にはその内容によく通じていた。1833年のマデールの指導書はそれについて強調して言及しているし、1832年にジェランドが著した『初等教員標準講座』も同様で、「規則正しい行進」や「団体活動と完全なる調和のもとでのさまざまな展開」を忘れずに紹介している。」(コルバン編『身体の歴史』Ⅱ、p.384)

1871年に成立したドイツ帝国でも、体育という科目は集団行動、軍事行動の訓練としての位置づけがなされていました。ちょうどこの時期に、日本の学校制度が、ヨーロッパ(主にドイツとフランス)を手本としながら整備されていったわけです。1945年に至るまで、日本の体育教育は軍事行動の練習という位置づけと、それを正当化するための<道徳>の枠から出ることはありませんでした。
第2時世界大戦の終了後、ヨーロッパでは戦禍に対する忌避感からでしょう、軍事的な訓練と軍人的な<徳目>を行う体育はほぼ廃止されましたが、日本ではそうはいきませんでした。棒体操、集団での体操、騎馬戦、坊主刈り、競技会での宣誓、ある大学が有名にした集団行動など、数多くの戦前の慣行が手つかずに残った結果、体育は暴力の現場としての機能をそっくりそのまま、残すことになります。暴力による折檻に及ぶ教員や、いわゆる「生活指導」担当の教員に体育科の教員が多かったことを記憶している人も、かなりいるでしょう。
何度繰り返しても無駄ではないと思いますが、日本には、エリアスが指摘するような<文明化>プロセスという歴史はありませんでした。類似するものが見つかるにしても、やはりエリアスが指摘する通りで、ヨーロッパにおける<文明化>プロセスは、じつに様々な要因が、かなり必然的にだったり、全くの偶然からだったりしながら複雑に絡み合った、とても特異的、とても ethnic なものなので、日本にそれと同様のプロセスが、しかも数百年にわたって似たようなプロセスが起きたと考えるのは、無理です。
日本では明治維新以降、突然学校制度ができました。「体育」も突然出現した科目です。それは、取ってつけたように輸入されたドイツとフランスの「体操科目」と、江戸時代までは一般的だった(とはいえ一部の有閑武士階層と、それに憧れたもっと少数の有産町民階級だけですが)武芸訓練の奇妙な混合物で、しかもそれを支えていたのは、帝国主義的な政治体制を支えるための「徳育」だったわけです。(廃刀令が徹底するまで、街頭での武士同士の殺し合いや、武士階級以外の人々が武士に斬殺されるという光景が、日常的だったことを思い浮かべてください。刃傷沙汰は日常茶飯事でした。)
当然、「体育」は本質的に暴力の訓練科目として機能する運命にありました。すでに19世紀初頭にはヨーロッパ各地で始まっていた、スポーツの娯楽化、余暇を楽しむものとしての非暴力化への努力、競技における公平性や民主的運営への配慮などというさまざまな動向は、日本に流れ込むことはなかったのです。
<民主化>が行われた戦後にあっても、「体育」の民主化、非暴力化は進展しませんでした。背景には様々な理由が考えられるでしょう。朝鮮戦争に対する軍事的な緊張と軍事協力の必要性が迫っていたこと、戦前の政治体制がGHQによって再利用されたことなどは、その時の時事的な事情でしょうけれど、それにも増して日本では、スポーツ(娯楽、気晴らし)という概念がほぼ存在しておらず、したがってスポーツという<文化>概念を通しての日常生活の快感の増大、それを確保するための非暴力化の努力などの一切が、最初から欠けていたことが、おそらく最大の要因です。
現在でもなお、JOC会長によるハラスメントを始め、部活動や競技場面での暴力行使が後を絶たないのは、そもそも肉体を使うスポーツが暴力的なのだ、という単純な理由ではなく、むしろ「体育」が暴力の育成装置であるというところから発するものだということに由来しているのです。

⑵ 身体的な暴力行使として

競技になっているスポーツの多くは、暴力の象徴的な表現です。ボクシングはとてもわかりやすい例。相手を殴り、殴り倒します。興行として様式化されたプロレスはさらに、わざわざ流血を見せたり、反則による暴力性を演出するという、暴力を象徴的に昇華した後で、わざわざ模擬的に暴力を再表示するという、入り組んだ経路を歩んでいます。
かつての武器を<無害化>して使うフェンシングや剣道、かつての戦闘術や護身術をやはり<無害化>して行う柔道、レスリング、空手、合気道などは、暴力の象徴的な表現として非常に分かりやすい例です。
ボクシングをしたことがないぼくは、人を殴るという行為をきっとすぐにはできそうにありません。そうしようと思っても、どこかで力が抜けてしまうと思います。高校の体育でやらされた剣道では、ついにぼくは相手を竹刀で叩くことができないまま、剣道部員の相手に強烈な面を食らって意識を失いました。中国で、上官に命令された日本兵が、杭に縛りつけられた無抵抗の民間人に銃剣を突き刺すことが、ほとんど不可能だったという数多くの体験談を思い出します。そしてそれが最初からできた人がわずかながらいたこと、かなりの人たちが、だんだんとそれができるようになっていったこと。
小学校に入ったときに、体育の時間にはよくドッヂボールが行われていました。運動神経が鈍いぼくは常に標的。視線とは別の方向に強烈なボールを投げることができる相手の格好の餌食で、ぼくにとってはドッヂボールの時間は必ずやってくる打撃の痛みと、それを予感する恐怖の連続でしかありませんでした。ボールが顔面に当たって眼鏡を壊し、その破片で怪我をしたというのに、学校はそれをやりすごしたという新聞の投書を読んだこともあります。
歴史の展開と共に、おそらく世界のかなりの地域で、もともとは暴力と、また暴力行使で起きる心理的な緊張、高揚、快楽、そして弛緩という快感でしかなかった肉体的競技(古代ギリシアからローマ帝国に数多くの記録が残る競技が代表例です)が、徐々にその直接的な暴力性を減らす傾向にあることはきっと確かでしょう。ただ、肉体を行使するスポーツから、直接的な暴力が消え去っていることはありません。どの競技でも反則的な行為は起き得ます。実際数多く起きていますし、何よりもそれを防ぐために、どの競技にも必ず審判員がついています。審判員はルールの遵守を見守っているわけですが、その重要な機能はとりわけ、暴力行為の抑止です。スポーツは、古代の暴力行為の痕跡を残しているのではなく、本質的に暴力行為であることを、これほど明瞭に示している仕組みはありません。

⑶ 心理的な暴力行使として(競合の合理化)

対戦型のスポーツではなくても、一般的にスポーツは競合が当たり前です。より早く走る者が賞賛されて、より遅く走る者は屈辱を味わうか、競技会メンバーから外されるか、集団からは忘れ去られるという存在。悔しかったら練習してもっと早く走れるようになれ、と。
競争相手がいないスポーツというものは、ほぼ想定できません。これはすでにホイジンガが指摘する通りです。最近流行っている e-スポーツは、肉体の激突はありませんが、競争という特徴は遵守されています。
ホモ・サピエンスの文化的行為はほぼすべて<遊戯>という概念で総括できるという考えを示したホイジンガは、戦闘行為の遊戯性、また戦闘行為と競技との親和性を指摘した上で、<遊戯>と「勝つ」こととが緊密に結びついていることを、明瞭に述べています。
「遊戯と最も密接に結びついているのが、勝つという観念である。ただ、一人でする遊戯の場合は、遊戯目標を達成したことを勝ったとはいわない。この観念は、他人を相手として遊戯する時に初めて現われる。
勝つとはどういうことなのか。何が勝たれるのか。--------勝つということは、<遊戯の終わりにあたって、自分が優越者であることを証明してみせること>である。」(J.ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』中央公論社1971年版, p.96)
戦闘と競技と社会的優越者、このセットはすでに、従軍経験があったソクラテスが公人として認められていたこと、またプラトンが(諸説ありますが)レスリングの「勝者であるから」人格者であるという保証を受けていたことに、はっきりと見ることができます。エリアスがある箇所で指摘している(『スポーツと文明化』p.206)とおりで、古代ギリシアでは、身体的な優越は、そのまま人格的な評価と直結していました。コルバンらが編纂した『男らしさの歴史』には、このあたりの歴史がさらに詳しく紹介されています。
こうした文化空間、こうした<遊戯>空間で名声を得るのに手っ取り早いのは、肉体的競合です。ホイジンガが言う「優越者」は、古代ギリシアやローマにおいて、また中世の統治者のある時期までは、身体能力において「優越」していることが必須条件でした。その流れで、ホイジンガによる次の指摘を読むと、とても分かりやすいかと思います。
「実際問題としては、こうしてはっきり示された優越性の効力が押し広げられて、遊戯で勝った人が世上全般にわたって優れているというふうに誇張される傾向がままあるものだ。そうなると、これは何か、遊戯そのもので勝った以上に勝ったということになる。すなわち、勝者は尊敬を得、名誉を帯びるのである。そしていつもこの名誉と尊敬は、すぐさま勝者の属しているグループ、関係者の全体に及ぼされていく。」(J.ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』中央公論社1971年版, p.96)
競技の勝者であるプラトンは、彼の哲学が歴史に残る前提条件として、すでに競技者として人格的な栄誉を勝ち取っていたことが、最も簡単に納得できます。スポーツという遊戯での勝利は、誇張ではなく、勝者の人としての優位と直結していましたし、現在でもそれは(たとえば「スポーツマンシップ」という儀式化された倫理を軸として)競技者が社会的な名声と誹謗とにさらされていることから、決して廃れていないどころか、スポーツの中心的な機能であり続けています。メディアで有名になったスポーツ選手が政治家になるというのは、ある意味、とても当然のことなのです。

<遊戯>、それを行う集団内でしか通用しないルールがあり、そのルールを守らないと集団行動が円滑に進まない、とはいえそのルールの根拠は行動の運営から一歩外に出るとどこにも見当たらない、という定義をホイジンガが与えた、<文化>という営みの典型がまさに、競技としてのスポーツに具現されています。
「組織化された集団行動」(エリアス)であるスポーツは、「模倣的戦争」であり、ルールに基づいた一定の集団行動があり、勝者と敗者が生まれるという営みです。戦争という暴力との違いはといえば、そこに生み出される緊張は「楽しい」という感情であるという点だけ(エリアス/ダニング『スポーツと文明化』p.239)。

ただし、現在のぼくたちには残虐としか感じられない暴力を、心の底から楽しんでいた時代や地域があることは、忘れるわけにはいきません。ぼくたちは確実に、そうした感情の力線の延長線上にいるのです。
勝敗が決まる、つまり競合が起きるという集団は、たとえそこで肉体的な暴力が審判による監視によってかなり抑制されているにせよ、心理的な暴力の現場になることに変わりはありません。古代ギリシアの記録では、競技の敗者、あるいは敗れて命を失った者を貶めることはなかったようですが、そのような「倫理感」はここ二千年ほどの間に、遠い過去の見知らぬ土地のものとなりました。ぼくたちが体験する競技では、勝者は賞賛され、栄誉と、場合によっては巨額の富を与えられ、人格の模範にまで登りつめたりします。勝利できなかった者は儀礼的に賞賛を受けるものの、やがては忘れ去られていく運命にあります。敗者が味わうのは、屈辱感や「克己心」、あるいは自己正当化による自己像の美化(自分を褒めてあげたい)などでしょうか。

競争について、ダニングはこんな指摘をしています。
「[文明化が進んで分業による相互依存が複雑に進展している]社会は極めて競争的である。なぜなら、複雑な分業によって、業績のイデオロギーや、役割が帰属よりもむしろ業績を基盤にして割り当てられる傾向が発生するからである。競争の激化は、社会的諸関係における敵対意識や攻撃性をもたらす。がしかし、物理的暴力を行使する権利の独占を国家が効果的に主張するにつれて、それは公然と、かつ直接的に示される暴力行為というかたちで表されはしない。そのような社会で発生する支配的な基準は、暴力は間違っていると宣言することによって、同じ方向に作用する。また、そのような基準が社会化の過程で内面化されるにしたがって、男女ともに、暴力行為に従事したり、それを直接見たりすることに関して嫌悪感の限界値は低くなる。
しかし、そのような社会の支配的傾向が暴力抑制の比較的高度で効果的なレベルに向かう一方、競争の圧力は、相互依存の長い連鎖と社会化の相関的パターンによって、人々は将来を見通し、即時的な満足を延期し、目標達成の合理的手段を使わざるをえなくなるという事実が加わり、一般の市民が、特殊な社会状況、とりわけ犯罪、スポーツ、さらにそれよりもやや少ない程度で子供の社会化や教育において、暴力を計画的、手段的に使う類似的傾向が生じることを示してくれる。」(エリアス/ダニング『スポーツと文明化』p.349-50)

翻訳がよくないですね、とても難解な文章なので、噛み砕きながら考えていきましょう。
資本主義の発展に応じて産業化が進むと、ぼくたちもよく知っている、一人一人の職業分担がとても狭くて、分業化が激しくなった世の中になっていきます。おかげで、ぼくたちはもう単独では社会生活が営めないほどに、相互依存的になっています。当然、相互監視も苛烈になっていきます。支配層は、国家という仕組みを作り上げてその支配を堅固なものにするために、暴力行使をもっぱら国家の行為だということにして、徐々にぼくたち被支配民から個人的な暴力行使の権利を奪っていきました。そうした「法治国家」にいるぼくたちは、個人による直接的な暴力をふるうことにも、それを目撃することにも、相当のためらいを覚えるようになっています。
分業化による社会システムは、「生産性の向上」という営利の追求を<倫理>条項にしました。そのために、分業の各分野を負わされているぼくたち労働者は、お互いに競い合い、それが組織によって評価されてランキングされる(営利という観点を感じ取れるよう、それは報酬の多寡で表現されます)という仕組みに巻き込まれていきます。「生産効率」「人間力」。それはまさに、他者を蹴落として自分が這い上がるという、競合の現場です。そこで血が流れたり、骨が折れたりすることはまずありませんが、依然としてそこは、他者の生活そのものをないがしろにする(落伍者が出る、自殺者が出るなど)という、凄まじい暴力が働いている場所です。
支配層が作り出したルールの内面化による個々人の<道徳化>は、暴力を心から追放したわけではなく、心の中の暴力性を覆い隠しただけでした。それが意識化されるか否かには個人差がありますが、まさにスポーツや教育現場での、ルールに則った暴力行使、指導という名目での暴力行使、「教育的」で「人権に配慮した」「抑制的な」指導としての、心理的な暴力行使に、覆い隠された心、直接的な暴力など行なっていないのだと感じている心は、逃げ場、言い訳を見出しています。こうした逃げ場がまさに暴力への欲求の代償的な昇華の現場であるということを、ぼくたちが日頃ほとんど意識化できないのは、ぼくたちが労働を提供している社会の仕組みそのものが、すでに競合を本質としてしまっていて、競合そのものがあまりにも日常化したせいで、競合が暴力の行使であることに、もはやまったく気がつかなくなってしまっているからなのです。
こうした考察の流れで、ダニングはスポーツを、ホイジンガの考えを用いて「文明化された遊戯的闘争」という概念にまとめます。それは、競合、金銭的報酬、名誉といった、非肉体的な暴力が解き放たれる仕組みです。

<文明化>、産業化、それに伴う倫理の変化、国家体制の整備、こうした要因が複合的に絡み合って、あまりにも直接的な暴力を、ぼくたちはおそらく忌み嫌うようになりました。このプロセスと歩調を合わせて、スポーツという暴力の象徴的な表現(のように振る舞ってはいますがじつは暴力そのもの)の場所が現れ、それは勢いを増しています。
日本だけを観察すると、ヨーロッパで起きたような複合的な歩みのすべてが起きたわけではありませんから、いえ、むしろそれだけに、日本におけるスポーツの暴力性は、ヨーロッパに比べるととても強大であからさまです。

補遺

2022年、北京オリンピックでは、ワリエワさんのドーピング疑惑をめぐる騒ぎが起きました。事件の一連の経過、マスコミの行動、次々と下される裁定の、どれをとってもちぐはぐなことだらけのこの事件は、スポーツがどうしようもなく抱えている政治性と暴力性を、見事に描き出しているように思えます。あるいは、このちぐはぐさが、ぼくたちがスポーツが抱えている複雑な事態から目を逸らそうとしている、あるいはそれに気がつかない、というところに発していることを、示しているとも言えます。
ワリエワさんは15歳。はっきりとした判断力があって、自分の行為を自分で引き受けることができるような心は、まだまだ持っていないでしょう。ぼくも、彼女を責め立てることには、まさに直接的な暴力行使を感じます。それはそのとおりなのですが、そもそもワリエワさんはスポーツ選手です。スポーツがすでに暴力装置です。さらに彼女は、国際的な競技大会という、国家的な暴力装置に巻き込まれています。事件に対する向き合い方の奇妙さは、そういう編み合せに関心を持たない、あるいは意識できないことに起因しているのでしょう。細菌もウィルスも知らなかった頃の人たちの感染対策と同じです。
国家による覇権、つまり他の国家や領土の征服はもはや激しい非難を浴びるという感情が共有され始めている時代です。でも、国家と覇権というイメージは、いまだに支配層にとってとてもしっくりとくる感情(イメージ)。オリンピックが戯画的なまでに示しているのは、覇権という欲求が屈折して形式化した、スポーツによる競争に勝つという代償行動です。世界規模の競技大会では、勝った選手やチームの国旗を掲揚して、国歌を演奏するのがごく普通の習わしになっています。国旗を掲げてウィニングランをする選手もいます。こうした場では、選手たちは「国家」そのものを体現していますし、誰もそれを疑うことがありません。スポーツがなんであるかを、実によく表している光景です。
ワリエワさんは、北京に出かける前、スケート選手たちの中心に立って、プーチン大統領に対して、国威を発揚するために頑張るというメッセージを発していました。本人がそう心の底から望んでいたかどうかは、どうでもいいことです。どうしようもなく動いているシステムの流れに沿っただけのこと。スポーツは国家事業であり、それはまさしく、現代における覇権の姿です。

次は、スポーツを通して見えてくる近代社会の暴力性が、それとは気がつかれないまま、スポーツを含めたさまざまな活動現場で何を引き起こしているのかを、考えてみたいです。


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