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人生は執着するものが多いほど生きづらくなる。

数年前にモノを捨てる断捨離がブームとなったが、捨てるものは何もモノだけに限ったことではない。モノを捨てれば自分が住んでいる空間が広くなり、気持ち的にも身軽になったような気になる。

だが、本当に必要な断捨離は「執着」の断捨離なのではないかと思う。

執着とは何かしらの物事にとらわれ、心がその物事から離れられない状態のことを指す。よく執着と依存を間違って考えている人もいるが、依存はそれがないと生きていられないような状態、それに頼って生きているような状態のことである。

執着はあくまで特定の物事にこだわっている、離れられない状態であるのに対し、依存はそれがないと自分の人生に関わるような状態だ。重症度で言えば、執着よりも依存のほうが問題だと言える。

しかし、このエッセイではあくまで執着に絞って考えていきたい。執着は依存よりも日常的に見られる症状であり、モノや人に溢れる現代においては、強い執着を持っていることで生きづらさを感じている人が多いと思うからだ。そしてなによりも、私が執着に縛られているからでもある。

さて、日常的に見られる執着について考えてみると、まず思い浮かぶのは欲求や欲望に対する執着である。

欲求とは人間が持つ性質のことであり、欲望とは何かを欲しがることである。前者は主に食欲や睡眠欲、性欲や承認欲求といったものがあり、これらの欲求は人間である限り誰もが持っているものだ。

だが、人間に元から備わっている性質だからといって、それに執着すると良くないことが起こる。

食欲に執着し、食べることに夢中になると体はどんどん太っていき、病気になるリスクも増してしまう。

性欲に執着し、不特定多数の人と性行為をすることばかりに執着すると、人間関係がうまくいかなくなるなどのトラブルも起こる。

承認欲求に執着すると、他人から認められない、必要とされないことで自分の価値が感じられず、他人の評価で一喜一憂し自己肯定感が下がってしまう。

欲求に執着すると、それを満たすことで頭がいっぱいになり、それ以外のことが考えられなくなる。あるいは、欲求が満たされないことで不満を抱え、精神的にもストレスを感じてしまう。

欲求は人間に備わっている性質なので完全に消すことはできないが、だからといってそれを満たすことに執着してしまうと、いつまで経っても欲求の奴隷から逃れることはできない。

欲求はほどほどに満たすのが一番であり、過剰に満たそうと執着すると不幸になる。

これは欲望に関しても同じことが言える。モノに溢れた現代では街を歩いていても、スマホを見ていても常に消費者として何かを欲しがらされる。

企業のマーケティング努力によって、本当はそれほど欲しいと思っていないものでも、それを手に入れれば幸せになれると思い込まされ、際限なく欲望を掻き立てられる。

そうして気づいたときには欲望に執着するようになり、何かを買わずにはいられなくなっていく。幸せはお金で何かを買うこと、手に入れることにすり替わっていき、欲望の奴隷として生きていくことになる。

何かに執着すると、それが自分の生活に必要不可欠だと思い込み、それを捨て去るのが難しくなっていく。執着すればするほど執着心はどんどん強くなっていき、中には依存に進化することもある。

タバコやアルコール、ギャンブルや恋人といった依存症の多くは、はじめは小さな執着からはじまり、執着の芽が育つことで「それがないと生きていけない」という依存状態になってしまうのだ。

こうした執着から逃れるには、執着を断捨離するしかない。

つまり、手放すのだ。

特定のことに固執することなく、すべてを流れるがままにしておく。自然と満たされる欲求と欲望だけを満たし、外の世界にあるものに執着しないようにする。

執着から解放されると、心は一気に軽くなる。モノの断捨離は身体的な自由だが、執着の断捨離は心の自由、精神的な自由をもたらしてくれる。

何かを好きになることがダメなのではなく、過剰に欲しがったり望んだりするのが良くないのだ。執着は心を乱し、本当に自分が望んでいるものから目を逸らさせる。

人が執着していることのほとんどは大した意味があるものではなく、「必要だ」と思われされているものである。そんなものはさっさと手放して楽になったほうがいい。

と、まぁ偉そうなことを言っておきながら、私も執着に縛られている生きている。特に自分の生活に対する執着は人一倍強く、ルーティンを乱されるのが何よりも嫌なのだ。

だが、こんな執着を持っていても物事が自分の思い通りにいくわけではない。逆にうまくいかないことのほうが多く、その度に心が乱され、憂鬱な気分になるだけである。

執着を完全に捨て去るのは難しいかもしれない。しかし、普段の生活の中で「あ、今自分は執着しているな」と自覚するように意識することで、少しずつ執着から解放されていく。

精神的な自由への道はまだまだ遠い。だが、努力するだけの価値はあると思う。


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