竜崎大輝

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竜崎大輝

物書き。ちょっと辛辣なエッセイを書いてます。X(Twitter)⇒「https://twitter.com/ddd__web」ブログ⇒「https://zinsei-hack.com

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  • ぜひ読んでほしいエッセイまとめ

    人気のあるエッセイ、個人的に読んでほしいエッセイを抜粋しています。

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竜崎大輝のプロフィール

はじめまして。竜崎大輝です。 この記事では、自分のことについてザックリと自己紹介していきます。 竜崎大輝についてまずはじめに、「竜崎大輝」という名前はペンネームであって実名ではありません。 実名を公表しない理由については特に理由はありませんが、このご時世、SNSやネット上で安易に本名をさらけ出すのはそれなりにリスクがあると考えています。もちろん、犯罪歴などがあるという意味でもありません。 ザックリとした簡単なプロフィールは以下のとおり。 ・本業:フリーランスライター

    • 捨てる勇気が人生を変える。手放さなければ新しいものは入ってこない。

      人生において何かを手放すことは大切だ。 人は生きていればさまざまなものを手にする。 友達や恋人、家族といった人間関係をはじめ、仕事やお金、地位や権力、車やブランド品、さらには見栄やプライド、欲求や欲望といったものもそうだ。 意識して何かを手放そうとしなければ、生きているうちに色々なものを抱え込み、いつの間にか人生がいっぱいいっぱいになってしまう。 何か新しいことをはじめたり、生活の中に変化をもたらすためには、今まで抱えていたものを手放す必要がある。 コップの中に新しい水

      • 現代の仕事論~自分らしく生きるための仕事の選び方と働き方~

        プロローグ 仕事を愛するには私たちは人生の多くの時間を仕事に費やしている。 睡眠時間を除けば、おそらくほとんどの人は1日の中で仕事をしている時間が一番長いだろう。多くの企業の雇用形態では、8時間労働+1時間の休憩が一般的であり、残業を除けば毎日9時間は仕事という営みに時間を拘束されていることになる。 私たちは小中高と学校を卒業し、就職活動をしたのちに「会社」と呼ばれる場所へ毎日通勤することになり、そこで上司から与えられた仕事を毎日淡々とこなしてお給料を貰っている。 学校

        • 人生は執着するものが多いほど生きづらくなる。

          数年前にモノを捨てる断捨離がブームとなったが、捨てるものは何もモノだけに限ったことではない。モノを捨てれば自分が住んでいる空間が広くなり、気持ち的にも身軽になったような気になる。 だが、本当に必要な断捨離は「執着」の断捨離なのではないかと思う。 執着とは何かしらの物事にとらわれ、心がその物事から離れられない状態のことを指す。よく執着と依存を間違って考えている人もいるが、依存はそれがないと生きていられないような状態、それに頼って生きているような状態のことである。 執着はあ

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        • ぜひ読んでほしいエッセイまとめ
          21本

        記事

          愛情は自分で満たすものであり、喜びや幸せも自分で生み出すもの。

          以前、自立についての記事を書いたことがあったが、最近は「精神的自立」についてよく考えている。 精神的自立とは、経済的な自立とは違い、お金があれば果たされるものではない。 たとえお金があったとしても、他人に依存している状態であれば、本当の意味で人間的に自立しているとは言えない。 精神的な自立とは人間関係の自立とも言い換えることができ、他人に過度に依存したり執着しない状態のことを指す。 実際、精神的な自立をは果たすことはとても難しい。 経済的な自立の場合は一人で生活できるお金

          愛情は自分で満たすものであり、喜びや幸せも自分で生み出すもの。

          自然体でいることの難しさ。人は他人の言動から自由にはなれない。

          常に自然体でいられれば楽なのだろうと思うけれど、なかなかそうはいられないのが人生である。 自然体というのはありのままの自分でいるということであり、何も着飾らず見栄もプライドも捨て、他人の目から自由になって素の自分でいるということだ。 「何も気にせずそのままの自分でいればいい」というのは簡単だが、実際に自然体のままで生きることは難しい。 口ではありのままの自分でいると言っていても、自分でも気づかないうちに他人に気を遣ったり、世間の目や他人の言動を気にしている人も多い。 お

          自然体でいることの難しさ。人は他人の言動から自由にはなれない。

          【大晦日】2023年振り返り&2024年の目標と抱負。

          さて、今年も残りわずかとなり、毎年恒例の大晦日振り返り日記を書いている。 先日はクリスマスなどのイベント事にはあまり興味がないと言ったが、大晦日などの年末の雰囲気は好きだ。 とはいっても、友達とバカ騒ぎするわけでもなく、実家に帰省するわけでもなく、一人で一年の終わりをしみじみと実感しながら年越しするのが毎年お決まりとなっている。 大晦日は一年の振り返りをするには最高のタイミングであり、来年は何を頑張ろうか、何をやろうか、どう生きようかと一年を振り返りながら大雑把に計画する

          【大晦日】2023年振り返り&2024年の目標と抱負。

          仕事と家族、友達と恋愛、お金と愛はどちらが大切なのか?

          大抵のものは、どちらが大切なのか決められないことばかりである。 仕事と家族、友情と愛情、恋愛と友達、愛とお金、健康と仕事など。 人は何かしらの選択を迫られたとき、どちらを大切にするべきかで悩むことがよくある。 よくドラマや映画などで見る「私と仕事どっちが大切なのよ!」問題である。 だが、そもそも「〇〇と〇〇のどちらが大切か?」という問い自体、ナンセンスである。 というのもの、人生の時期によって優先すべきものや大切なものは常に変わるからだ。 たとえば、10代の頃は友達や恋愛

          仕事と家族、友達と恋愛、お金と愛はどちらが大切なのか?

          クリスマスを「楽しまなきゃいけない」と思わされていないか?

          今年もいよいよクリスマスを迎え、一年が終わろうとしている。 街中にはカップルの幸せそうな姿が溢れ、お母さんは子どものためにクリスマスケーキを取りにいき、大人は有馬記念のテレビを見て興奮している。 さて、私は昔からクリスマスなどのイベント事には興味がなく、いつもと変わらない日常を送っている。 彼女がいるときはケンタッキーだのケーキだのと、形式的にクリスマスを楽しんだりはするが、一人のときはクリスマスだろうがなんだろうが、毎月来る単なる24日と25日という感覚で生きている。

          クリスマスを「楽しまなきゃいけない」と思わされていないか?

          人はみんな他人に影響され、他人を模範しながら生きている。

          人間が持つ欲望は他人から伝わってくるものであり、特定の事柄に対して欲望を抱いているわけではない、という説がある。 簡単に言うと、人は他人が欲しがっているものを自分も欲しがるということだ。 これはルネ・ジラールの「ミネシス(模範)理論」というものであり、ジラールは人間の欲望は模範的なもので、他人から影響を受けていると言う。 私たちは欲望は自然に湧いてくるものと思っているが、実際には人間の欲望はそうした自律的なものではなく、他人の欲望に由来している。 つまり、他人が何かを欲望し

          人はみんな他人に影響され、他人を模範しながら生きている。

          自分の思い通りにならないことは放っておけ。

          人生には自分の思い通りになるものとならないものがある。 たとえば、自分の言動や考え方、努力や決断、態度や感情などは自分の力でどうにでもできるものだ。 一方で、過去や天気、渋滞や社会、世間のニュースや他人の言動といったものは自分ではどうすることもできない。 よく言われるように、人生を心地よく生きるためには自分の思い通りになるものだけに集中し、思い通りにならないものは放っておくのが最適解である。 自分ではどうしようもできないことに右往左往し、不安を恐怖を抱くのは時間の無駄で

          自分の思い通りにならないことは放っておけ。

          存在意義(レゾンデートル)がない人生ほど味気ないものはない。

          自分なりの存在意義(レゾンデートル)を持つことはとても大切なことだと思う。存在意義は生きる意味とも言い換えられるが、自分なりの存在意義がないと生きていてもどこか空虚で楽しくない。 どんなことに存在意義を感じるかどうかは人それぞれである。仕事に自分の存在意義を感じる人もいれば、家族や友達、恋人といった人間関係に自分の存在意義を感じる人もいる。ほかにも、ゲームや音楽、筋トレやお酒などの趣味や娯楽に対して存在意義を感じる人もいる。 私は仕事に存在意義を感じるタイプではなく、そこ

          存在意義(レゾンデートル)がない人生ほど味気ないものはない。

          過去と後悔を受け入れ、自己受容しながら生きていく。

          よく「過去に捉われるな。これからの未来が大事だ」みたいなことを耳にする。言っていることはわかるのだが、人の感情はそう簡単に割り切れるものではないんだよなぁといつも思う。 過去はすでに過ぎたことであり、変えようとしても変えることはできない、後悔しても意味はないので考えるだけ無駄。でも未来はこれからの自分の行動次第で変えられるものであり、未来が良くなるか悪くなるかは自分次第。というのが通説である。 まさしくその通りだと思うし、過去に捉われている人を見ると「なんでそんなに後悔ば

          過去と後悔を受け入れ、自己受容しながら生きていく。

          お金は幸せや喜びそのものではなく、幸せや喜びのための手段。

          昔から物欲が全然なく、とくにこれといって欲しいと思うものがなかった。それは大人になってからさらに加速し、社会人になって自分をお金を稼ぐようになっても、欲しいと思うものや買いたいと思うものがあまりない。 そもそも基本的に貧乏体質なので、お金を使うことに対してストレスを感じてしまうのも、物欲がない原因のひとつである。 数万円の買い物をするとなると数時間は悩んでしまうし、「それは本当に自分の人生に必要なのか?」を何度も自問自答し、自分の中での審査を超えたものだけ買うようになって

          お金は幸せや喜びそのものではなく、幸せや喜びのための手段。

          結局のところ、体力があれば人生のたいていの問題は何とかなる。

          最近とくに実感するのだが、生きていく上でもっとも大切なのは体力なのではないかと思う。 もちろん、仕事やお金、健康や人間関係といったものも人生において大切ではあるのだが、これらすべては体力があってこそ生かされるものである。体力がなければ働いてお金を稼ぐことができず、健康維持ができなくなって人間関係を楽しむこともできなくなる。 ここで言っている体力というのはマラソンを走ったりする持久力的なもののことではなく、人生に対する体力とでも言うべきものである。言い換えると、行動力や好奇

          結局のところ、体力があれば人生のたいていの問題は何とかなる。

          プライドではなく「覚悟」を持つということ。

          歳を重ねていくと、プライドだけが高くなっていくタイプの人がいる。 10代や20代のときの考えや価値観は、そのときには有用で役立つものであったかもしれないが、30代や40代、あるいは50代になっても昔のままの考えや価値観を持っていると、仕事や恋愛、人間関係などがうまくいかなくなるケースも多い。 私は同年代の友達や知り合いはいなく、ほとんどが年上の人たちである。同じ30代でも歳が離れていて、40代や50代の友達もいる。幅広い年代の人と話ができるのは視野が広がるのでとても良いこ

          プライドではなく「覚悟」を持つということ。