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本当にいいものをつくりたい。

心を動かすものを。
熱狂するものを。
対話をもたらすものを。
言葉より先に涙が溢れてしまうものを。
自然と笑顔になれるものを。
本物を。

私が手掛けたい「手紙」の世界は、

人間関係やお仕事を円滑にする目的で
“うまくやる”ための how to でもなく、

あっという間に”消費されてしまう”ような
流行り物でもなく、

気づいたら

その澄みきった世界観に没入し、
自分との対話が自然と生まれ、
強く優しく心が突き動かされるもの。

それでいて、

心の鎧をすべておろせるような、温かさを感じるもの。

そこには、自然、愛、ユーモアが流れ、

その先で、世界中が熱狂し、100年後もたしかに在るものを作りたい。

「手紙」という文化は、
私が何もしなくても、きっと残っていくだろう。

「手紙を書く人口を増やす」という活動も、
私以外に、もっと適任がいるだろう。

でも、「手紙」がもつ本質的な価値に焦点をあて、
今の時代に本当に大切な「心」を伝えることは、私だからこそできる視点があるはずだ。

昔の人は、書くことでしか伝えられなった。
一通の手紙で、自分のことをすべて表現しなければならなかった。
ときに、誰かの生死にまつわるものもあったかもしれない。

一見、「手紙」というと、古くさいもの、時代遅れなものと捉えられることも多いのかもしれない。

けれど、

そんな風に、すべてを懸けて、心を尽くして書かれた言葉は、

ボタン一つで送信できて、
ボタン一つでなかったことにもできてしまう現代の言葉たちに対して、

本当に劣っているんだろうか。

それ以上に、遥かに美しいものではないだろうか。

文章が整っている、
文字がきれい、

そんな次元ではなく、

純粋に相手に想像力を働かせ、
自分自身と対話し、
一文字ずつ集中して文字を紡ぐこと、

そのことが持つ価値は、とてつもなく大きく、
今の私たちに足りないことなのではないだろうか。

おそらく私が進もうとしている道は、
少しの工夫で解決できる問題ではない。

なにかの技術を習得したり、
なにかの知識を勉強をしたり、

「こうすればこうなる」という正解があるわけでもない。

でも、私は信じている。

道端の小さな花から、大きく広がる空まで、
生まれたての赤ちゃんから、「老い」や「死」と真剣に対峙しているご老人まで、
自分の故郷から、地球の裏側まで、

ただただ真摯に目を向けて、

とにかく足を動かし、たくさんの景色を見る。
とにかく頭を動かし、「考えること」「対話すること」を放棄しない。
とにかく心を動かし、あらゆる経験を血肉にする。

そんな生き方を続けた先に、

本物の言葉を紡ぐことのできる人に
なれるのではないか、ということを。

本物の熱狂を生み出すことができる人に
なれるのではないか、ということを。

本物の感動を残すことができる人に
なれるのではないか、ということを。

正直、「何者?」「何をしているの?」という一言で答えなければならない状況下に直面するたびに、悔しい。

私は一体何をしているのだろう…。と漠然とした大きな不安も襲ってくる。

でもきっと、本当に世界に光をもたらすことができるなにかを生み出す過程は、一筋縄ではいかないはずだ。

世の中にないものを生み出そうともがいている最中に、簡単に理解される方が面白くないものをつくってしまっている危険があるのかもしれない。

好きなことを仕事にすることは、楽しいことばかりではないのかもしれないけれど、どんなときも本気でいられることは、本当に美しいことなのかもしれない。

私は生きていたい、

優しい気持ちで素直にいられる優しい世界に。
想像力とユーモアに溢れた世界に。

だから、私はこれからも夢を叶えるために、
全身全霊で命を燃やして生きていく。

「私は手紙で人を笑顔にしたい」

2024.08.06 手紙のヒト akina|手紙書道家


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