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檸檬読書日記 スプラウト観察日記。 1月6日-1月12日

2月6日(月)

かいわれ大根と空芯菜の種でスプラウトを育ててみる。
1日目

楽しみ。
でも上手くでるだろうか。種が結構古いやつだから、少し不安。


ジェヨン『書籍修繕という仕事』を読み始める。
書籍修繕を仕事にする著者の、これまで手がけてきた修繕をまとめたエッセイ。

書籍修繕は傷んだ本を修繕する。
わたしは傷んだ本の記憶を観察し、破損した本の形態と意味を収集する。

書籍修繕は技術者だ。同時に観察者であり、収集家でもある。わたしは本に刻まれた時間の痕跡を、思い出の濃度を、破損の形態を丁寧に観察し、収集する。本を修繕するというのは、その本が生まれてきた生の物語に耳を傾け、それを尊重することだ。

始まりから面白そう。読むのが楽しみだ。



2月7日(火)

今日は檸檬カット屋さん営業。
祖父と父の髪を切る。ただ本業でも、習った訳でもないから、自己流のなんちゃってカット。
出来はいつもまあまあだけど、結構喜んでくれる。

それに祖父も父も母も自分のもカットしてるから、わりと営業日が多く、少しずつ腕が上がってるような!(気がしているだけかも)
お値段は安いのか高いのか、微妙な500円!今回で1000円をゲットしてしまった!何の本を買おうかな、わくわく。


安東量子『スティーブ&ボニー 砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』を読み終わる。

絶叫のようなスピーチと満場の拍手をもって、会議は終わった。
(略)
そして今回、ここで目にした熱狂もどこまでも一方通行で、無自覚な尊大さと敵意に満ちていた。何に対する敵意なのだろう? 彼らが何を憎んでいるのかは、私にはわからない。(略)
原子力をめぐって長年交わされてきた一方通行の演説に慣れきった彼らか、この先、相互理解のために歩み寄ることがあるとは考えがたい。だが、それでいて、私たちは微笑みを交わし合い、力強く握手をしたりもする。(略)
いずれせよ、私たちはこの先もわかりあうことはないだろう。わかりあえないなかで、それでも、言葉を交わすことをやめない。それは、希望のような絶望であると同時に、絶望のような希望なのかもしれない。

この本を読む前、自分は原子力のことをあまり知らなかった。
少し接点のようなものはあるのに、今まで関心をしめしてなかった。
だけどやっぱり知らなくてはいけない気がして、読んでみたが、少し想像とは違った。
昔の現状というより、今の現状や認識がメインにだった。

それでも、読んでよかったと思えた。
この本で1番分かったことは、認識がそれぞれで違うということだ。
自分のような一般人や、技術者や科学者、そして上の人、それぞれに原子力についての考えが違うということ。
デメリットやメリットについて、全く捉え方が違うんだなと思った。技術者などは勿論メリットを、民間人はデメリットを重視しているようで…。そして、お互いに譲らない。
だからこそ著者も、わかりあえることはないと言っているのだが…。うーむ、この世の中は本当に難しい…。

自分は原子力をまだまだ全然知らない。だから賛成も反対も言えない。
ただ、それでも言えるのは、もし原子力を維持するのに、そして構成されている物質に、何か捨てられないものや、自然にかえせないものが1つでもあるならば、メリットデメリットがどうであれ、作らない方がいいんじゃないかなと思う。

この世は全て借り物だと思う。
地球も自然も自分自身さえも、全部。
もし自分が貸した本が、ボロボロになって返ってきたら、とても悲しい。
それと同じで、この世界をゴミだらけにしても、自然をボロボロ汚してしまってもいけない気がする。
そうでなくても、いつまでも自然に満ちた世の中であってほしい。そう願ってやまない。
だから、捨てられないものはやめてほしいなあ。
なんて、思ったり。

ジェヨン『書籍修繕という仕事』を読む。

大人もそうだが、子どもは読みたくない本や関心のない本には手が伸びないものだ。一方で、好きな本は何度も何度も繰り返し読む。だからわたしは、(略)破損を「愛」と呼びたい。まず、紙が茶色く変色するほど長いあいだ忘れずに大切にしてきた愛、背が外れてあちこち破れるほど何度も読んでいた愛、そこらじゅうに落書きするほどいつも手元に置いていた愛、そして、きっと好きなお菓子を食べながらだったからいっそう楽しい読書の時間になったであろう、そういう愛だ。

綺麗なまま、保存して大切にするのは勿論愛だけれど、破損も汚れも愛と捉えるとは、新鮮だった。
でも、確かにそれも本に対しての「愛」なのかもしれない。素敵な考え方だなあ。



2月8日(水)

スプラウト観察日記3日目。

出た!良かったー。なかなかに愛いな。


村山由佳『ある愛の寓話』を読み始める。
様々な「愛」をテーマにした、短編集。
最初の話から、凄く興味を惹かれた。
ある女性が語っていく形式で話が進んでいくのだが、途中からあれ?もしかして…となって、最後の最後で、愛の深さに胸を突かれた。

ねえ、先生。
今日の空も、ほんとうに綺麗ですね。

最後のこの言葉に、心が震えずにはいられなかった。
もう最高でした。


ジェヨン『書籍修繕という仕事』を読む。

破れた紙をつなぎ合わせたり、崩れた背をもとに戻したり、なくなったピースを埋めたりしながら、本が失っていた記憶を取り戻してやる。そして新たな表紙や支え、ケースを作ることで、本の新たな時間を約束してやる。(略)そうしていると、人間の人生のように本にも一冊一冊それぞれの「本生」があるのだと感じられる。

「本生」か、素敵な言葉だなあ。
誰かに読まれ誰かに大切にされ、壊れても修繕されることで、本は生を辿っていくのかもしれない。喋らなくても、人生が分かるような、生きている証になるのかもしれないな。



2月9日(木)

マイケル・ローゼン『悲しい本』を読む。
愛する者を亡くしてしまった男の、ちょっと切ない話。絵本。

タイトルが『悲しい本』というだけあって、終始悲しくて、切なかった。
だけどただ悲しみを表現しているだけでなく、悲しい時はめいいっぱい悲しんでいいんだよと、示されているじゃないかと思えた。
無理するのではなく、内に押し込むのではなく、吐き出す。
押し込んでしまっては、辛いだけだけど、悲しむことで、その人との悲しいだけでない楽しかった思い出も、思い出すことができる。
それは次第に大きくなって、悲しみの先に、ロウソクの火が灯されたように、出口を見つけることができるのかもしれない。

そう思わされた、本だった。
絵本だけれど、とても考えさせられる、悲しみをもっている人にこそ読んでほしい本だった。


ジェヨン『書籍修繕という仕事』を読む。
よく、貴重本を触れ際に、白い手袋をしているのを見かけるけれど、あれは実際のところ大きな間違いで、寧ろしてはいけないものらしい。びっくり。
骨董や絵画は分からないまでも、本は寧ろ手袋をしてしまうと傷んでしまうのだとか。知らなかった。

でも、白手袋だけでなくても、間違いないと思っていた認識や常識が本当は違っていたというのは、他にもたくさんあるんだろうなあ。
そういうのが知れるから、本はやっぱり楽しい。



2月10日(金)

ジェヨン『書籍修繕という仕事』を読み終わる。
うーむ、なかなか興味深かった。
最初、書籍修繕というのは図書館や美術館にある貴重な本だけのものかと思っていたけれど、普通の本でも書籍修繕がされているんだと、純粋に驚いた。

けれど図書館や貴重な本でなくても、それぞれに大切な本があって、これから先も読むために修繕する、それが凄く素敵だなと感じた。
修繕は、元の形に戻すのではなく、原型から少し離れて新しくカバーを変えたりもするらしい。つまりその人だけの本が出来上がるということ。
自分だけの、たった一冊の本。本好きにとっては羨ましいかぎり。

この本では、修繕の仕方は勿論、たくさんの修繕された本の思い出が書かれていて、とても読み応えあった。本好きならきっと興味を惹かれる本だと思う。


若松英輔『考える教室 大人のための哲学入門』を読み終える。

『幸福論』の著者であるアランは、与えられた幸福というものは存在しないと書いています。真の幸福と呼び得るものは、自分の「手」で見つけ出さなくてはならないというのです。

「考える」ということに、考えさせられた本だった。
この本はどこの箇所も素晴らしくて、本当は全部載せたいくらいだった。載せてはいないけど、労働についても書かれていて、その箇所も凄く興味深くて面白かった。
哲学といっても、優しく語られていて、とても読みやすい。入門に最適な本だと思うから、色んな人によんでもらいたい作品だった。

それにしても、若松さんの何が良いって、やっぱり文章だよなと思う。(スルスルっと入ってくるような、丁寧な感じの文章)
自分もこんな風に書けたらいいのだけれど…。これから真似してみようかな。
でも穂村弘さんの文章も憧れてるんだよな…。(今の自分の文章は、ちょこっと穂村さんを意識している。全く似ても似つかないけど…)
うーん、でも今更だしこのままでいいか。



2月11日(土)

柿内正午『プルーストを読む生活』を読む。

その夜から奥さんはずっと『たすかる料理』をくすくす笑いながら読んでいて、気に入った箇所を読んで聞かせてくれもした。布団に入ってからも読んでいて、好きな人が本読む姿は本当にいいなあ!と僕は思った。やっぱり楽しく読んでいる人のそばでする読書はとてもいい。

きっと最高だろうなあ。素敵。


海野弘『366日物語のある絵画』を見る。
エレノア・フォーテスキュー=ブリックデール
「6月の死」

私は死ぬ、来年また咲くために
(略)アドニスは花の化身であり、彼の死は地中に帰り、翌年また甦って咲くための犠牲なのだ。

この絵では、空間のほとんどに黄色い花が咲き乱れていて、左下の端の方に羽を生やした少年が横たわっている。
それがなんとも神秘的で、その少年が花の栄養になっているという事実と相まって、美しさを倍増させている気がする。
個人的に凄い好きな絵だった。


若松英輔『はじめての利他学』を読み始める。
引き続きの若松さん。

これまでのように個々別々に生きる道に戻るのではなく、私たちがもう一度、他者とともに生きるために「つながり」を持続的に深めるには何が必要なのか。
この問題を解く鍵語として考えてみたいのが、本書の主題である「利他」なのです。

読むのが楽しみだ。



2月12日(日)

村山由佳『ある愛の寓話』を読み終わる。
愛って様々だよなあと感じた。
どれも良かったけど、やっぱり最初の話「晴れた空の下」が良かったな。


スプラウト観察日記7日目。

むむ。ちょっと雲行きが怪しくなってきたぞ…。育ちがあまりよろしくない…。これは…。
そして来週に続く。


それにしても、今回も今回とて長くなってしまった…。
こんな長いのを見てもらえるのだろうかと毎回思うけど、仏のような人はいるもので。有難いです。
そうやって甘えて、また長くなってしまう。
日記なのだから、毎日がいいのだろうけど…。うーむ。書くのが遅いから、ちょっときつい。

少し様子を見ようかな。
そもそもこうやってダラダラと書いているから、長くなってしまうんだけど…。
反省。次週からもう少し短くしよう。(とはいいつつ、また甘えて長くなるんだろうな)


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