檸檬読書日記 自然先輩に学ぶ。 3月20日-3月27日
3月20日(月)
ひこ・田中『あした、弁当を作る。』を読み終わる。
『ぼくは本を読んでいる。』や『レッツ』シリーズを読んだ時も思ったが、この人はとても疑問を大切にする人なのではないかと思った。
本の中では、母親が自分のために弁当をつくることや世話を焼くという、変な話普通のこと、だと思えることに主人公は疑問を抱く。
けれどよく考えれば、普通のことでもなく、家庭によっても違う。当然というわけでもない。
けれど主人公の家庭では、それが当たり前になっている母親や父親の言動や行動から、疑問を持ち、自ら弁当を作り始めることで答えを見つけようとする。そんな姿に、考えさせられるものがあった。
主人公は最初、何故母親や父親にモヤモヤするのか、はっきりとは分からない。
それは時に誰もが悩んだり疑問に思う問題だったりもして、何だか読んでいて一緒に悩んで考えているのうな感覚になった。
何が正しいのか、こんなこと思ってしまうの自分はわがままで、いけないことなのか、主人公は悩んで悩んで、そして考える。
考えることで少しずつ自分の答えを見つけ、成長していく。
この本は、子供を持つ親や子供、主人公と同じ中学生、高校生や大学生、大人で、捉え方や考え方が違ってくるのではないかなと思った。
自分は、主人公が抱えるものは反抗期とは少し違って、成長期なんじゃないかなと感じた。
反抗期は、何でもかんでも反発する、という感じがするけど、この主人公はちゃんと向き合って受け止めようとしている。
やはり、何だか嫌だなと終わらせるのではなく、それならなんで嫌なのか考えるのが大事なんだろうなあ。
そう、思わされ作品だった。
3月21日(火)
今日はどうも頭の調子が悪かった。(いや、基本的に良くはないけど、いつも以上に)
何度も聞いたり見たりしているから知っているはずなのに、思い出すのに時間がかかった。
それが3回くらいあって、1回は焦って心臓が止まるかと思った。すぐに冷静になったけど、この緩急は心臓に悪そう。
前日に少し頭使いすぎたかな…。
今日は頭休ませよ。
澤口たまみ『自然をこんなふうに見てごらん 宮澤賢治のことば』を読み始める。
宮澤賢治のことばと共に、生き生きとした自然の写真を見る本。
今は映えスポットとかで、遠くに行って撮影したりするけれど、手軽で身近で最も映えるものは「空」なんじゃないかなと思う。
空は見る度に違って、面白い。それに季節によっては青が凄く透明になったり、雲は目に吸い込んでいくように白くて、綺麗だったりする。
だからたまにはお金をかけずに、空を見たり足元を見たりしてみてもいいんじゃないかな、なんて思ったり。
3月22日(水)
澤口たまみ『自然をこんなふうに見てごらん 宮澤賢治のことば』を読み終わる。
素朴な写真と共に添えられた宮澤賢治の言葉や、作者の言葉に、自然の尊さをしみじみと感じる作品だった。
1番身近なのに、忙しなく日々を過ごしていくと、忘れがちになってしまう。自然の大切さや、素晴らしさを再認識させられた気がする。
でもやはり忘れてはいけないし、忘れてしまうほど身近だからこそ、生きていく上で必要なものなのかもしれない。
3月23日(木)
ひえー、皆が浮き足立って見ていない、あまり注目しないと思って、進めてしまったよ。恐ろしいな…。
国民の中で困っている人は、数え切れないくらいいるのに…。自国で復興できていないところは、たくさんあるのに…。
その行方が食べ物だとかならいいけど、きっと…。
それにしても、脱税や窃盗で得たお金は、往々にして紙切れのように使いがちだけれど、やはり自分のものではないお金は、簡単に使えてしまうんだろうか。
もしこれが自分の元から出るお金だったなら、どうするんだろう。
どうするか見てみたいなあ。
マイケル・モーパーゴ『パフィン島の灯台守』を読む。児童書。
少年が乗る船が嵐で沈んでしまう。その時助けてくれたのがパフィン島で灯台守をするベンジャミンという寡黙な男。
少年はお世話になったベンジャミンのことや島のことを忘れられず、彼からもらった1枚の絵を大切にしていた。
学校を卒業した後、少年はパフィン島に向かい、ベンジャミンと再会し…。
という話で、人や動物の繋がりや平和、短く絵の多いカラフルな作品ながらも、重く考えさせられる本だった。
自然の中で、自然と共存することが、本当の平和なのかもしれない。(自然中心で考えたら、もしかしたら争いもなくなるかも、なんて思ったり)
そもそも自然の方が先輩で、自分たちは後から来た後輩なのだから、目上のものは敬わなければなあ。
3月24日(金)
内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』を読む。
「自然を前に、人間も動物もない。」
「命は同等で、生きる場所に境はない。」
「運命共同体なのだ。」
本当にそうだよなあ。
人や動物がいなければ、自然は栄えない。けれど自然がなければ、人も動物も栄えないし、生きてはいけない。自然に生かされ生かしている。
だからこそ運命共同体で、だからこそ自然を大切にしていかなくては駄目なんだろうなあ。
最近よく、木が伐採されるのを見かける。
ずっと見てきただけに、無くなるのを見るのは凄く悲しい。
それに大きな木が密集してただけに、余計に悲しい。
伐採するのは簡単であっという間だけれど、木をここまで育てるには、1年や2年では無理なのに…。
本当に壊すのは簡単なんだよなあ…。
木を切ってまでできるのはきっと家だろうけど、でも人が減る中、これ以上家は必要なのだろうか。今ある家を大切に受け継いでいくのでは駄目なのかなあ…。うーむ。
昔の木の家とか、凄く素敵だと思うんだけどなあ…。
自分もいつか、古民家みたいな木の家を、前の形を生かすようにして手を加えて、住むのが目標。
それで目の前が畑で、果物なんかの木がたくさんあったら最高だな。
考えるだけでわくわくする。
あまりお金に余裕があるわけじゃないから、考えるだけで終わりそうだけど…。
頑張ろ。
3月26日(土)
内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』を読む。
建物や美術、服や伝統品などで、その国を知ることができるけど、1番見えてくるのは、もしかしたら料理なのかもしれない。
どんな食材を使い、どんな行程で作っていくのか、道具は何かで、暮らしが見えてくる気がする。
同じ国でも、地域によって全く違ったりする。だから旅をして、その地域の食べ物を食べるのは面白いのかもしれないな。
中見真理「ジーン・シャープ 独裁体制から民主主義へ」を読み終わる。
んー、本当に考えさせられる本だった。
結局、自分で考えて行動し、見極めることが大事なんだろうな。
一瞬の「楽」より、長期的な苦痛を避けるために。
この本を読んでいると、本当に民主主義は実現するのだろうかと不思議に思う。(自分の知識が浅くて知らないだけで、もしかしたらあるかもだけど…)
日本は民主主義に思われがちだけれど、外国の人が日本に来ると、社会主義で驚くらしい。前まで民主主義なのかなと思っていただけに、知った時はショックだった。
けれどよくよく考えてみたら、国民が反対しても受け入れず、国民の合意なくお金がばんばん使われてしまうのだから、民主主義ではないよなあ…。
そもそも民主主義って何だろう?
国民全員で全ての物事を決められること?
でも反対に、全部国民に合意を求めたら長くなってなかなか進まない。
多数決だと、少数派は?という問題が起きそうだし…。
だからこそ強力なリーダーシップが求められるのか。でも強力すぎると…。
うーん、難しい。なんだか分からなすぎて、頭がパンクしそう。
どんな主義でも、問題はありそうだな。それなら今までにない、新たな道を見つけられないものかなあ。それか、今までにあるものの良いとこ取りとか?
んー、何にしても自分はあまりにも知識がなさすぎるな。もっと調べて勉強しよ。
3月27日(日)
この時期は、花が豊富だから嬉しい。
それにしても、植物って立派だよなあ。
土からにょきにょき育って、綺麗な花を咲かせて、散ったと思ったら実をつけて、あっという間に枯れてなくなって、かと思えば零れた種からまた芽を出して…。
生まれてはなくなって、生まれてはなくなっての繰り返し。なくなっても、ずっと生き続けている。
本当に不思議で、素晴らしい。
でも、上から人が植物を見るように、地球から人よりも大きなものが見たら、人も植物も同じ存在に見えるのだろうか。
ただ植物とは違うのは、植物は生まれた時から終わる場所が決まっていて、踏まれそうになっても動けないけど、人は危ないと思ったら避けることができる。人は思考があって、それにのっとって動くことができる、ということかもしれない。
なんて、思ったり。
どちらにしても、生命とは素晴らしいものであることには変わりなさそうだな。
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