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note18目:犬より猫が好きな私の理由

犬派? 猫派? と聞かれたら、迷うことなく猫派と口にする。


しかしわが家には猫ではなく犬がいる。
理由は旦那が犬派だからだ。


私は猫だろうと犬だろうと、正直お世話をちゃんとできる気がしない。
自分のことすらままならないのに、めんどうなどみられるはずがないのだ。

飼わなくてもいいとすら思っていたくらいなのに、旦那はどうしても犬を飼いたいと主張してきた。「私はめんどうみないから」という約束のもと、ワンコがわが家にやってきたのだ。

なぜ私が犬より猫がいいかというと、いちいちかまってあげなくてもいいという点がある。
ふらっと甘えたい時だけよってきて、ほとんどそっぽ向いている状態が心地いいのだ(実家では猫と犬を飼っていた)。

犬は基本かまってちゃん。ひっついてくるし、近くに来ただけで立ち上がり尻尾を振って、嬉しそうに見つめてくるのだ。

私にはそれが負担だった。

かまってあげたいというより、かまってあげないといけないように感じてしまうのだ。

当たり前だけど犬が悪いというお話ではなく、私のメンタルの問題になるのだ。


犬からの「かまって」「遊んで」「撫でて」という期待に満ちた目を向けられると、義務感にさいなまれる

もちろんいつもじゃない。

旦那が不在で、私とワンコが家にいる場合にこれがよく発動する。
リビングに私がお茶をくみに行く度に、ワンコは寝床から立ち上がり私の元によってくる。

その時の私の心境は「寝てていいのにー!」だ。

しっぽを左右にゆらし、頭を撫でようとする私の手をペロっと舐め、ゴロンと寝そべり腹を出してくる。
仕方なしに腹をさすると、今度はおもちゃを持って来て私のひざにぶつけてくる。

「遊んで」だ。


「あー、今忙しいんだよね」と去ろうとすると、心なしかさみしそうな目をしておもちゃをボトッと床に落とすのだ。

なんてあざとい!
なんてあさましい!


私はため息まじりでおもちゃの紐を素早く引っ張り上げると、嬉々として犬は飛び跳ねおもちゃに食いついてくる。
時間にして約一五分、本気の引っ張り合いが繰り広げられ、互いに呼吸がみだれたあたりでお開きとなる。

まだまだ遊びたいと純粋なまなこを背中に感じながらリビングを後にするのだが、「こうしてかまうから遊んでもらえる人認定されるんだよな」と思わずにはいられない。


だから苦手なのだ、犬は。
だから嫌なのだ、期待されるのは。


旦那がいないとわかっている日は気が重い。

もちろんかわいいし、大切だし大好きだと思っている。

だけどそれとこれとはまた別の問題なのだ。
かまってほしいの期待に応えるのがしんどい。

頼むからほっといてくれと、犬語が話せたら伝えたい。

犬好きの人はこの期待を負担だと思わず、喜びととらえているのだろうか。
「ほっとけばいいじゃん」と旦那は笑うが、ほっとけないから困ってるのだ。

こたえないといけないような強迫観念を覚えてしまうのは、私だけなのだろうか。

今一番のこの悩みに、助けを求めずにはいられない。

なぜなら今日と明日、旦那の帰りが遅いからだ。

手も顔もベロベロ舐めさせない私は、どうやってこの時間を凌げばいいのかと、頭を抱えている。

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