シンエヴァとゲンドウと私(※ネタバレ有)
シンエヴァ、皆様はご覧になっただろうか。
予め、これは考察noteではないという事をことわっておきたい。
あくまでも、私が今作を視聴したことで感じ、想ったことを書いていくものである事を念頭に置いて読み進んで頂きたい。
めちゃくちゃな持論を展開するつもりである。
その為には、多少のネタバレもあるけれど、多くは語らないように務めるものである。
さて、エヴァンゲリオンという作品は25年を通してついに神話となった。
この先どんな物語を作ろうにも、エヴァンゲリオンのエッセンスはどこかに存在することになるだろう。
それは、エヴァンゲリオンそのものも、聖書というある種の【神話】に擬えて作られてきたからだ。
多くの考察を読み、「ああ〜〜、なるほどーー」とストーリーの深さに目頭が熱くなる。
まぁ今回はそういった事に触れないのだが。
私が特に胸打たれたのは、父ゲンドウと息子シンジの関係性への解消である。
何年も会わず、父としての役割も果たさず、第3新東京市にシンジを呼び出したにも関わらず
「エヴァンゲリオンに乗らないのであれば、帰れ」
とまで言う暴挙。
いや、もう一言で言える。クソ親父か。
シンジはシンジでロクに向き合う事もチャンスも得ることが出来ずにいたが、
ついに
今作、シン・エヴァンゲリオンで、父親を越えるのである。
【越える】という一言では、つまりなんやねん、と思うこともあるだろうが、私が個人的に思う【越える】とは、【理解する】ことではないかと思っている。
人は共感はすれど、その人の痛みを経験し、理解することは出来ない。なぜならば、我々は個体で成立しているからだ。
二人で同じ人生を辿ることは出来ない。故に真に互いを理解することは出来ないのである。
この絶対的に共有できない一線を庵野監督は<ATフィールド>と名付けたのだと思う。
そしてエヴァ歴史を見ると、一度人々はLCLに還元され、遂に1つの存在となった瞬間があった。
けれど、これは【理解】でもないし【越える】では断じてないのだと思う。
あくまでも、個体を有しながら誰かを理解する事が【越える】ということだと考えるからだ。
そして、今作、シンジは父ゲンドウと【初めて会話をした】。
実は、ゲンドウはシンジと同じ痛みを持つ者だった事が分かる。
孤独や、人の暖かさ、他人と関わることへの恐怖、決して開かない心をゲンドウは持っていた。
そしてそれを押し開いた妻ユイの存在は、失って耐えられるものではなかったのだ。
何をしてでもユイに会う、連れ戻す、この手に。
シンジは、それを黙って聞いていた。
多感な思春期であれば、「僕の事も見てよ!!」と一言くらいあってもいいものを、シンジは静かにゲンドウの独白を聞いていたのである。
そして、遂にシンジは槍を手にする。
色んな物の犠牲の上に。
悲しむでもなく、その槍を受け取るのである。
ゲンドウはそれを見て「人の想いを受け止められるほどに…………それほどまでに、大人になったんだな、シンジ。」
と呟く。
シンジは、父ゲンドウと同じ痛みを抱えながら、それを乗り越え、行き着けなかった人との関係性を得た。
シンジは、誰よりもゲンドウを【理解した】のである。
そして大人になったことで、概念的な父と子という関係はここで解消されたのだと私は思った。
シンジは遂に、あんなに自分を高い所から見下ろしていた父親を【超えた】のである。
私の涙腺は大崩落を起こしていた。
何を隠そう、私はほぼ全く同じやり取りを実の父親としていたからだ。
シンエヴァ視聴2日前、私は遂に父親に自分が過去との決別を決心したことを話した。
(詳しくは、「私」という人間を参照プリーズ)
端的に言えば七年前に自殺した母親の骨を、生前の思い出の地ハワイへ散骨する手筈を整えている、
そして私は、埋められない過去の傷を埋めるために精神科に掛かり、治療することに向き合うということだ。
勿論こんなご時世、私がハワイに行くわけではないのだが、その為に多くの人が今動いてくれている、これをチャンスとし、私は最後の弔いをするのだと決意した。
シンジが最後、槍を手にして決断するように。
それを話し、私がどんな思いで今まで生きてきたのかを伝えた。
父親もまた、自分の苦しさを話し出した。
思いや痛み、身勝手さ、言い訳、沢山の言葉が私を囲むのが見えるようだった。
私もまた、今なら、言えるだろうと思った。
「分かってる。これはもう、二人で背負うものだよ。
私達は、全く同じ痛みを背負ってる。
そして、私はそれを乗り越えるために、病院に行くし、母親を弔う。」
娘として、それが出来る最善のことだと自信があった。
父親は、電話越しで呟いた。
「いつの間にか、大人になったんだな………。」
私は、この言葉を聞いて、やっと父を越えた気がした。
そして、父はこう続けた。
「父親として、今から何かできる事はないか?してほしいことはないか?」
私は考えた。
今まではそばにいて欲しかったし、辛い時には助けてほしかった。
子のためにいるのが、親だと思っていたから。
「ないよ。何もない。」
だけど、もう、私は大人になったから。
父の大きい手は必要ないのだ。
記憶にないが、昔おんぶしてもらった気がする、でもあの背中に私はもう収まらないのだ。
私達は、概念的ではあるがもう親子関係は解消された。
勿論変わらず父は、父だがそれに頼ることはないのだと思う。
私達は、ある一点のみだけど、誰よりも互いを、理解できる。
だけど歩む道は違うのだ。
私は、ずっと、誰かにとって自分は、不幸を撒き散らすものだと信じていた。
だけど、多くの誰かが、私の為に動いて助けようとしてくれる。
私は、その人達に対して「申し訳ない」「悪い事をした」と思う事は、もうしない。
シンジが、何かが吹っ切れたような、穏やかな目で色んな人の想いを抱えられるようになったように。
私もまた、誰かの想いを受け止めようと思う。
そして、自分はここに居ていいんだと思えるように、前を向いていくだろう。
いつか、父と母に「ありがとう」と言えるように。
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