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夢の引越し便

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大学時代に作った作文をリライトしました。
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#ファーストデートの思い出

夢の引越し便 #3-③

夢の引越し便 #3-③

僕は帰宅後すぐにインスタントコーヒーを淹れ、焼き魚の匂いが家中に充満する中、空腹感を抑えて自分の部屋に引っ込んだ。音楽をかけようか悩んだが、それよりヒトミの手紙が気になったので、ベッドに寝転び、カバンから手紙を取り出した。その手紙は恐らく授業中に急いで書かれたようで、粗雑にひし形に折られていて、文体は走り書きで、青色のペンがところどころ滲んだり、文字の訂正が×印で入っていたりしていた。

「今日、

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夢の引越し便 #3-④

夢の引越し便 #3-④

翌日、約束通りヒトミはシオリを図書館に連れてきて僕を紹介した。僕はシオリを見つめ、首を斜め前に下げて挨拶をした。シオリは僕の顔を見ることなく深々と頭を下げた。そこからは前日僕がイメージしたものとはまったく異なる展開になった。ヒトミはシオリを置いてそそくさと図書館へ行ってしまい、僕と二人っきりになったシオリは一切自分から何かを語ろうとはしなかったからだ。新緑に包まれて爽やかな風が吹く公園のベンチにも

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夢の引越し便 #3-⑤

夢の引越し便 #3-⑤

僕とヒトミはその日の帰り道、もう一か所寄り道をし、初めてキスをした。
場所は陸上競技場の観覧スタンドに入るための階段脇だった。あたりは暗く、小雨が降りだしていて、運動をしている人間はだれもいなかった。街灯がうっすらと差し込んでいて、近くのジュースの自動販売機がウーとかゴーッとかガーッといった騒音を2分おきくらいに変化させて存在を主張していた。
僕たちはヘッドフォンステレオでイヤホンを一つずつ分けて

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夢の引越し便 #3-⑥

夢の引越し便 #3-⑥

それから3か月ほど、僕とヒトミは土日を除いた放課後の全てをほぼ一緒に過ごした。図書館で勉強をしたり、公園でシオリを含めた友人たちと無駄話をしたり、手紙のやりとりをしたり、たまに僕の自宅に訪れ、音楽を聴いたり、雑誌を読んだり、一緒に勉強したりした。それぞれ自宅に帰った後もこっそり家を抜け出して近所で落ち合って散歩をしたこともあった。土日は自宅から電話のやりとりもした。楽しい話題もあったが別れ話をする

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夢の引越し便 #4-①

夢の引越し便 #4-①

多摩川の土手はいつもより冷ややかで、僕はTシャツとジーンズだけで来たことを後悔した。川は昨日まで降り続いた雨の影響でたっぷりと土砂を含み、勢いよく流れていた。風もそれに合わせて急ぎ足で山側から海へ向かって吹いていた。
「お昼までには海に着きたいね。」レジャーに向かう家族のように心地よく進んでいるようだった。

大きくため息をついてみても状況も心境も変わることはなかった。もう、あれから4年も経ってい

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夢の引越し便 #4-②

夢の引越し便 #4-②

その声はまるで氷の魔女の吐息を全身に浴びたかのような寒々しい震えと怯えを感じさせるものだった。
電話口の先にはカチカチと歯の鳴る音がうっすらと聞こえた。寒い場所にいるのだろうか? まだ秋だ。そんなはずはないと思いながら、僕は声すら出せなかった。少し間が空いて今度は遥か遠い場所にいるような距離感でヒトミは口を開いた。

「元気でしたか?」

「それなりにはね。」

4年経ってようやく出てきた僕の言葉

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夢の引越し便 #4-③

夢の引越し便 #4-③

僕は日曜日を迎えるまで、心が落ち着かないままだった。ほぼ眠れず、何をしてもヒトミの事を考えてしまっていた。茹でたパスタは茹で過ぎになり、大学に行っても講義は耳に入らず、借りたビデオは話の筋を理解するのに3回も頭から見直さなくてはならなかった。

ヒトミに会ったら何から話そうか。
僕達で共有した時間はどんなものだったか。
客観的に見ても2人は同じ意志を持っていたのか。
考えれば考えるほど記憶に自信が

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夢の引越し便 #4-④

夢の引越し便 #4-④

視覚と聴覚を失った僕は、虚無と焦燥を感じていた。それらは今まで体験してきたものとは比べ物にならないものだった。虚無感は風船のように無を漂う孤独で、焦燥は見識のない異質な生物に突然変異させられたような特別な不安を抱かせるものだった。僕は僕では無くなっていることを認識し、何を目的に存在しているのかを感じ取れなくなっていた。
凍るような寒さを感じているにも関わらず、汗は止まらなかった。膿を潰したような嫌

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