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夢の引越し便 #3-④

翌日、約束通りヒトミはシオリを図書館に連れてきて僕を紹介した。僕はシオリを見つめ、首を斜め前に下げて挨拶をした。シオリは僕の顔を見ることなく深々と頭を下げた。そこからは前日僕がイメージしたものとはまったく異なる展開になった。ヒトミはシオリを置いてそそくさと図書館へ行ってしまい、僕と二人っきりになったシオリは一切自分から何かを語ろうとはしなかったからだ。新緑に包まれて爽やかな風が吹く公園のベンチにも関わらず、そこはまるで無実の少女を無理やり押し込めた取調室のような重い空気で、僕が取り調べを始めないと何も物事は進展しないような雰囲気になっていた。

「えーっと。同じ中学校なんだってね?気づかなかったよ。」
出来る限り差しさわりのない取り調べをしなければと思い、僕はゆっくりと話し始めた。恥ずかしくさせないように彼女を見ることなく、図書館の方向を見ながら、答えを急がない会話を始めたつもりだった。ただ横に座ったシオリの顔はすでに真っ赤に染まっていた。

僕たち以外にも男子高と女子高の生徒が何人も駐輪場に自転車を停め、図書館に向かう姿が見えた。僕はなぜ今、この子と話しをしなくてはならないのだろうかという答えのない自問自答を始めようとした時、ようやくシオリの意識は3年前まで遡ったようだった。

「・・・。はい。先輩は有名でしたけど、私は1年生の途中で引越しをしてきて、誰からも気づかれないくらい静かに3年間を過ごしました。」
「有名なんかじゃないよ。生徒会には入ったけど、内申書良くするために何回か壇上に登っただけだし、ずっとテニスに打ち込んでいた気がする。」
「はい。テニス部の女の子から、たくさん先輩の情報が入ってきていました。どこに住んでいるとか、朝何時にあそこを通るとか、手首を骨折して団体戦のメンバーから外れてしまったとか、どんな性格だとか。先輩覚えてないですか?先輩が中学3年生の時のバレンタイン、私の友達が先輩にチョコレートを渡しにいった時、横にいたのが私です。」
「あ、覚えてるような、覚えてないような。暗くて寒かった記憶しかない。」
「先輩なぜか、わざわざ手袋とってからチョコもらってたんですよ。」
「それは覚えていない…。」
「その仕草とか、その子がずっと私に刷り込んできた先輩の良いところとかが私にも伝染ってしまって、先輩が卒業するまで1か月間、私はそのチョコを渡した女の子と先輩の取り合いをしていたんです。どっちが卒業式に告白しに行くかを賭けて。」
「・・・。そんなこと知らなかったよ。」
「はい。私がその子を納得させたのに告白しに行けなかったからです。」
「なぜ?」
「わかりません。行けなかっただけです。」
「ふーん。そしてそのまま僕は男だらけの牢獄へ…。」
「ははは。楽しかったですか?この2年間は。」
「うん。何なんだろうね。全然楽しくないかな。横に競い合うライバルがいるのに、みんな見向きもしないで参考書見てる。中学の時は学年で何番だとか気にしてたけど、今は志望校合格するための自分の偏差値としか向き合ってないよね。先生が急に変わってもまったく違和感なく授業が進む気がする。それについていけなくなっちゃったかな。もう学年で後ろから数えたほうが早い順位まで落ちこぼれちゃったよ。」
「そうなんですね。先輩はどこの大学行くんですか?」
「まだ決めていないけど、国立はもう無理かな。県内のあそこへ行っても文系は教員の道しかないし。自分は向いてないよ、教師なんて大変な職業は。」
「東京…。行くんですか?」
「うん、そうしたいかな。」
「また離れてしまいますね。」
「え?」
「いえ、出会ってもすぐに離れていく。2つ上の先輩っていつもそうなりますね。」
「そっか、中学も高校も2才違いだとそうなるね。でもほら、大学へ行くと、3年生で1年生だから、2年一緒になる。」
「先輩が4年制大学へ行って、私が短大だと一緒に社会に出れるのか。」
「短大行きたいの?」
「まだ分かりません。何がやりたいかもまったく。」
「そのうち見つかるよ。」
「はい。見つかるといいなと思います。」

シオリの言葉尻に合わせて緑がそよいだ。語尾を薄めるように風が吹いて、上手く聞き取れなかった。もしかしたら違うことを言っていたのかもしれない。

「先輩、ヒトミからどんな風に聞いてます?」
「ん?今日のコト?」
「はい。」
僕はあまり間をあけず、シンプルにありのままを伝えることにした。
「そのまま伝えると、クラスメイトで中学時代からあなたのことを好きな子に出会った。紹介したい。なんなら付き合ってほしい。あの子と私は大切な友達になる気がするの。だって。」

シオリはより一層顔を赤らめ、下を向いた。
「いえ、ヒトミちゃん、それは言い過ぎです。先輩とヒトミちゃん付き合っているのにそんなつもりありません。」
「ん?」
「私は先輩をもっと知りたいだけで、グループに入れてほしいだけです。図書館にも通いたいし。」
「あー、全然嬉しいよ。今日はみんな帰っちゃったけど、いつも5、6人はいるよ。男の子も。」
「はい。私、もっとたくさん色々しゃべれるようになりたいんです。」
「うん。思っていることをそのまま話したらいい。みんないいやつだよ。」
「ありがとうございます。先輩ってやっぱり聞き上手ですね。」
「ん?そうかな?」
「先輩の前では自然と言葉がでてくるんです。湧き上がるように自然と。」
「なんでだろうね?」
「それはわかりません。先輩のパーソナリティというか、温かみというか。なんでしょうね?」
「はて、さて、そろそろ勉強しましょうかね。行く?図書館へ?」
「はい!」

僕たちは公園のベンチを後にし、池に掛かった橋を渡り図書館に向かった。
学習室は図書館の2階にあり、らせん状の階段を上るとそこは高校生しかいないたまり場になっていた。僕は学習室を利用する同級生になぜ自宅で勉強しないのかを尋ねたことがある。自宅では誘惑が多く、もしくは兄弟がうるさくて勉強に集中できないというのが概ねの回答だった。僕は真逆だった。勉強をするには自宅の自分の部屋が一番はかどったし、隣人の弾くピアノは勉強には最適なBGMだったし、横で勉強をしている姿を見てしまったら気が散って勉強をする気にはならなかった。むしろ図書館で勉強している人間を横目で見て、その時間をもっと有意義な使い方をして思い出を作りたいと考えてしまっていた。

「ヒトミいましたよ。あそこです。」
「ほんとだ。」
「呼んできますね。」
「うん。」

シオリはヒトミを呼びに学習室に入り、僕はそこから少し離れた雑誌置き場から映画雑誌を広げ、リヴァー・フェニックスの追悼記事を読んだ。誰しもが彼の無限の可能性を惜しんでいた。音楽雑誌も同様に自殺したばかりのカート・コバーンの喪失感に浸っていた。映画も音楽もドラッグに塗れ、そして未来への不信に溢れ、新たな救世主を待ちわびているように感じた。

「ちゃんと話聞けた?」
ヒトミが僕の読んでいる雑誌をのぞき込みながら言った。
「どうだろう?君が言っていたこととだいぶ話が違っていたけれど。」
「そう?まぁ仲良くしてよ。きっと何かが生まれるよ。」
「はぁ。好きにしておくれ。」
「私たちもう少し勉強していくから、先に帰っていいよ。今日は手紙書いてないんだ。ごめん。」
「もう少し雑誌読んでる。終わるまで待つよ。」
「そう? じゃあ、あとでね。」

僕はしばらくカート・コバーンの双極性障害について詳しく記事を読み込んだ。抑うつと躁病と、それらの症状のない寛解期を循環すると聞いただけで頭がおかしくなりそうだった。遺伝的要素が強く、一生付き合う病気であること。自殺率が高いこと。芸術性・創造性との関連もあり、ニーチェやヘミングウェイなども双極性障害だったという。結びはカートの死はやむをえない理由だったのだと書いていた。僕はそれを読んで、羨ましさと恐ろしさと不快な感情を同時に味わった。その後、ほんの僅かの時間で僕は自身の疑問符に対してこう結論づけた。「それは病名という枠組みでしか語れない浅知恵だ」と。彼らはそのような病名でカテゴライズされるのではなく、作品や思想や愛する物事をただ素直に表現し承認されたいだけなのではないだろうかと。双極性障害と診断された人間は既に人間ではないような見方をするメディアに強烈な嫌悪感を抱いた。そしてきっとこれから売名目的で双極性障害や鬱病を名乗る人間や、病名を聞いて安心する人間や、その診断を安易にする医者が多くなるだろうと思った。「ああ、風邪ですね。流行ってますよ。」といった具合に。意図せず道を細くされ、今まで知らなかった枠組みに埋め込まれ、それは果たして彼らのためになる方法なのだろうか?僕は深く大きく息を吸い込んで吐き出した。そして、病名すら患者に知らせず治療する医者を想像した。「ちょっと具合が悪かったので、チューニングしておきましたよ。またおいでなさい。『普通』に戻してさしあげますよ。『普通』にね。」


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