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夢の引越し便 #4-③

僕は日曜日を迎えるまで、心が落ち着かないままだった。ほぼ眠れず、何をしてもヒトミの事を考えてしまっていた。茹でたパスタは茹で過ぎになり、大学に行っても講義は耳に入らず、借りたビデオは話の筋を理解するのに3回も頭から見直さなくてはならなかった。

ヒトミに会ったら何から話そうか。
僕達で共有した時間はどんなものだったか。
客観的に見ても2人は同じ意志を持っていたのか。
考えれば考えるほど記憶に自信がなくなり、それらは全て僕が作り上げた幻想のように思えてきた。

「あなたと寝なくてはならないようなの。」

聞き間違えていなければ、ヒトミはそう言った。
僕には理解できない発想だった。
いったいどこに別れた男と寝なくてはならない女がいるのだろうか?
ヒトミが数年考え抜いて選んだとされる、その強制的で受動的な言葉を、僕は何度も何度も一文字ずつ分解して咀嚼して想像して分析してみたが、神の啓示以外に理解できる答えは出て来なかった。

僕は気持ちを切り替えるためにマユミを思い出した。それはマユミに対してとても失礼な事なのだろうと感じたが、ふと頭に思い浮かべた人物が映画俳優でも友達でもなく、マユミだった。

彼女とはその後全く連絡が取れなくなっていて、ヒトミからの手紙を読んでから気にかけなくなってしまっていた。
彼女は今どうしているだろうか? 

僕はマユミにもう一度会いたくなった。
それは彼女が持っていた夢が何だったのかを知りたいという気持ちと、夢を預けるという純粋さの根拠に興味があったからだ。

僕は今一度マユミの電話番号をダイヤルした。
二度コール音がして電話が繋がった。

「・・・」
反応が無いのだが電話口の先に空間がある気配がした。人の気配なのかわからないが、空気がある気がした。そのまま留守電の電子音が鳴るのかと思ったが、聞こえては来なかった。
沈黙に耐えきれず、僕から切り出した。

「マユミさんですか?」

反応がない。僕は目をつぶり、耳に意識を集中して繋がった相手先の音をかすかでも拾おうとした。しかし、何かが動く音すら聞こえなかった。それでもそこに何かがあることは感じ取れた。何かと繋がっている感覚だった。

「聞こえていますか?」

次に発した僕の声は、ほんの少しだけ遅れて僕の鼓膜を振動させた。僕の声が相手の電話機を通じて反響しているのだということに気づいた。

なぜか電話を切る気になれなかった。
マユミが何かの理由で話せないが電話を取ったのではないかと考えた。
しかし、電話口の先には人の存在を感じ取れなかった。

「聞こえていたら、何か音を・・・。」

僕の声は数秒遅れて僕の耳に届いた。不自然な反響だった。
耳に届いた僕の声は精気を欠いていた。僕は音への集中を解き、目を開いたが、そこは僕の部屋ではなく、真っ暗な闇だった。もう一度目を閉じてまた開いても変化はなく、そこはただの「暗闇」だった。

「困った。」という言葉が漏れた。今度はしばらく経ってから「困った。」と聞こえた。
僕は全身から感じる痒みを抑えながら、額の上の部分だけを掻き毟った。痒みは収まらなかった。次第に体が震えだした。まったく寒くないのにガタガタと肩の辺りから震えが全身に伝わっていった。

僕は混乱していた。何をしていたのかをもう一度思い返す。
そうだ。マユミに電話を入れたはずだった。通話は始まったのに声が聞こえてこなかったのだった。僕の声が反響した。目を閉じて、目を開いたら暗闇だった。何も見えなかった。
一体どうしたんだろう。首を上下左右に動かしながら光を探したが、そこは濃度すらない、ただただ黒い闇だった。

僕はしばらく考え、自分が視覚を失ったのだということを理解した。
呼吸を整えようとしたが、体の震えとともに乱れる一方だった。

徐々に耳鳴りの音が大きくなった。高音の電子音が断続的に聞こえ、ジジジジジという蝉の鳴き声のような騒音も耳を圧迫してきた。

やがてゴソッという音とともに、僕は視覚に続いて聴覚を遮断された。
確かめるために声を出す必要はなかった。空間を把握できなくなったからだ。空間というものは耳で空気の動きを感じて認識していたのだということを知った。
僕は手に持っていた受話器を電話機があるであろう場所に置き、両手を組んで左親指の爪を右親指のはらで擦った。何度も何度も擦り、恐怖から逃れようとした。荒れた呼吸を落ち着けようとした。しかし、自分の意志ではどうにもならず、ただ震えだけが激しくなり、呼吸すらどうなっているかを感じ取れない状態になっていた。

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