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現代社会を生きるヒントは『ラヂオの時間』

三谷幸喜初の映画監督作『ラヂオの時間』(1997年)は、ラジオドラマの制作現場を舞台に、三谷幸喜脚本らしい会話劇が楽しめる。

『ラヂオの時間』に登場する人達は、それぞれの個性が誇張して描かれている。そうすることで笑いをもたらしている。ここでいう誇張された個性とは、ラジオドラマ制作現場における人材の特性と言い換えられる。

そのため『ラヂオの時間』は、仕事における人材の特性とは何かをわかりやすく知ることができる映画でもある。

『ラヂオの時間』における人材の特性

『ラヂオの時間』に登場する人物は、大別すると以下の3つに分けられる。

要求する人
布施明演じる編成部長。もしくは編成部長の先にいるスポンサー。

専門家
唐沢寿明演じるディレクターや鈴木京香演じる主婦兼脚本家。その他、俳優や音響技術者など。

調整する人
西村雅彦演じるプロデューサー。

「要求する人」は、本来、商品・サービスに対してお金を支払う顧客となる。

同じ社内であれば、営業やマーケティング担当が顧客つまり要求する人の代弁者という位置づけになる。直接もしくはリサーチ等で間接的に顧客の声を聞き、それらを「作る・売る」現場へ伝える。

『ラヂオの時間』で描かれるラジオのビジネスモデルはテレビと同じで、「視聴者」「放送局」「スポンサー」の三者によって成り立っている。この三者間のモデルにより、視聴者は無料で番組を見たり聴いたりすることが出来ている。

このビジネスモデルの中で、要求する人であるスポンサーの代弁者が、『ラヂオの時間』では布施明演じる編成部長になる。

ラジオ・テレビのビジネスモデル

これに対して、もっと原始的なビジネスモデルは、商品を作る人(メーカー)が、商品の購入者(カスタマー)から代金を受け取る形になる。

二者間のビジネスモデル

この場合、要求する人はシンプルにカスタマーということになる。

ラジオ・テレビのビジネスモデルは実際には広告代理店や制作会社などがおり、また現代のメーカーとカスタマーの場合、問屋や卸売業者、小売店などがいてもっと複雑だが、単純化するとこのようになる。

そしてどちらにおいても、要求する人の意見は大きな影響力を持っており、その影響下で、商品・サービスを作って売る現場は、「専門家」と「調整する人」が担うことになる。

専門家と調整する人

現代社会だと、分業化と専門化が進んでおり、ほとんどの商品・サービスは企業を通して専門家によって作られ、そして売られている

専門家が作った商品・サービスには値段がつけられ、逆に専門性が低い商品・サービスは淘汰されていく。

noteにしても、専門家が書く記事、もしくは専門性が高い記事は有料記事でも一定の需要があると思うが、そうではない場合、有料記事にしたとしても多くの需要があるとは思えない。

そのため個人としてみた場合、現代社会を生き抜く術は専門性を高めることといえる。どんなニッチな分野であっても専門性を高めれば、需要がどこかに必ずあるし、いつか大化けする可能性もある。

それは、特定分野の技術を持った技術者に限らない。特定分野に対して知識を深めることで知識の専門家になることもできる。

これに対して調整する人は、『ラヂオの時間』で西村雅彦演じるプロデューサーが俳優たちのケンカを仲裁するように、専門家同士もしくは要求する人と専門家をつなぐ役目を担う。

ゼネラリストとスペシャリスト

キャリア形成の上で、ゼネラリスト型を目指すのかスペシャリスト型を目指すのか、それはよく言及されることと思うし、給与や評価においてゼネラリストとスペシャリストを分けている企業もあると思う。

ここでいうスペシャリストは「専門家」に該当するし、ゼネラリストは「調整する人」となる。

ただ、キャリア面談等の場で時々見かけるのは「スペシャリストになれないから何となく消去法でゼネラリスト」という選択だが、実際はそういうことにはならない。ゼネラリストも、スペシャリストである必要があると思っている。何のスペシャリストかというと、コミュニケーションのスペシャリストである。

スポーツ中継におけるアナウンサーは、アナウンサー自身がそのスポーツの経験がなくても、例えばサッカー中継において「今、10番の選手がボールを蹴りました」だけではなく、10番の選手の名前、生い立ち、キャリア、得意なプレーなど専門的な知識をもってそれを視聴者に伝える。そうすることで、視聴者がわかりやすくサッカー観戦できるようにしている。

コミュニケーションのスペシャリストとはこういうことで、専門家同士もしくは要求する人と専門家、さらに社外のステークホルダーとの間をそれぞれに誤解なく情報伝達する役目を担っている。さらに情報伝達だけではなく、意見の衝突の際にはそれぞれの妥協点を探り仲裁も行う。

そのためには、幅広い知識と経験を持ち、理解力、応用力、さらに伝える力をはじめとしたコミュニケーション技術が必要とされる。

このように、現代社会において仕事をするということは、「専門家」も「調整する人」もスペシャリストであることが求められる。

スペシャリストではない生き方

「専門家」でも「調整する人」でもない人は、商品・サービスを作って売る過程におけるアシスタント、つまり補佐役(サポーター)となる。

キャリア面談の場においては、誰もが、今はサポーターだが将来スペシャリストを目指す、というわけではない。これからもサポーターであり続けることを求める人も多くいる。仕事への向き合い方は人それぞれであり、それは否定されることではないと思っている。

そういう意味で、『ラヂオの時間』を観て、自分は果たして『ラヂオの時間』でいうと誰になるのか。もしくは誰になろうとしているのか。それらを自問することは、何をするべきかの答えにつながり、現代社会を生きる上で自身にとってのヒントになると思う。

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