laut-yuri

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・CADオペレーター ・ヨガインストラクター ・体感アナトミートレーナー [心と身体のことについて知るのが好き] 臆病な私。 +社会性に欠けている。 +概念や習性が、どうも人と違う 人生半分過ぎて、生き辛らかったのだと初めて知った。さあ、どうする?!

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  • 散文

    臆病で、社会性だけでなく、そもそもが色々とズレている。 そんなことを齢50で知った人間が、その生き辛さの元になっている思考や感覚のクセ、感じてること、見られたくない脳内などを思いつくままに書く散文とします。

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    色。形。模様。不思議。心が惹かれたものをたちです。 気に入ってもらえたら嬉しいです。 サポートして頂けたらもっと嬉しいです♡

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知らずに影響を受けているもの

わたしたちが生きている世界はたくさんの言葉に満ちていて、 言葉を使って名前を付けたことで、それまでこの世界には存在しなかった物、出来事、感情などを、生きる世界に浮き上がらせて存在しているとしてきた。 存在させたからには、その後は「ある」ものとして周知されていく。 言語化というのは、かなりの威力ですね^^; 人は言語化されたものと肉眼に頼って生きていて、それらから得るものに多大に影響される。 でも影響を受けているそれらというのは、 実のところこの世全ての5%にも満たなく

    • 言葉が境界をつくっている

      その人の概念からの分別による言葉が境界を作る なんとなく自分が感じていたことが上手に言語化されていて ですよねと思った。 名前を付けることで切り分けられているというこの世。 何もないところに名前や言葉を当てはめることで線が引かれるなと思ってたわけです。 何もないというのは、あるんだけどないとされるもので、「ない」というのは存在しないということと同義で… 人類が言葉を持ち、今に至るまで、その「ない」とされていたものから言葉を使うことで「ない」世界から急に浮き彫りにされ

      • 思いからかき消す

        なにかをやってみたいと思ったとき 思いからかき消すことはありませんか。 無理だなと思いなおしてやめる。 その無理だなの中は色々だと思うのだけど 私の場合は、 失敗したときのみっともなさだったり 過去の経験と照らし合わせていたり 世間様に通用する理由がないだったり そんな感じです。 やってみたいことが 小さなことでも 勇気がいるような大きなことでもです。 失敗するのって恥ずかしい。 誰も見ちゃいないのに、わたしのことをじっと見ているそんな暇な人などいないのに。恥の感情

        • おんがえし

          傷つける言葉だとわかってるのに口からでた言葉。 あるいは、傷つけるつもりなんてちっともなくて ただイライラしていてぶつけた言葉。 傷つけたこと 悲しませたことも 結局は受け入れ、許してくれている あなたたち。 今の自分はすっかり大人になり、あの頃のあなたたちより遥かに年上になっている。 こんなに時間が過ぎなきゃ気付けない。 いや、時折、胸がくーっと苦しくなってきた。 自分の言動と、それを受けたあなたたちの戸惑い、残念そうな表情 強さなのか、取り繕いなのか、優しさ

        知らずに影響を受けているもの

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        記事

          降り注ぐ光の粒を見上げる

          晴れ雨。 日の光があたってキラキラと輝き、空高くから無数に降りそそぐ。 降り注ぐとは、まさにこういう光景なのだと思った。 日曜は畑の日。 ぽつぽつと大きな合間で雨が降り始めたけど 日差しが元気で、手を休めるほどでもないので畑仕事を続ける。 そのうちに わーっと降り出して、 ふと空を見上げたら...輝いて降り注ぐ雨粒があまりに綺麗で見惚れた。 しばらくして雨足しが強くなり、少し離れた倉庫の軒下へ行くことに。 脚が悪い父のために、折り畳みのイスを抱えて、父の歩幅に合わ

          降り注ぐ光の粒を見上げる

          何にどう使うか

          夜中に山道を車で走っていて ふとコンビニの明るい看板に出くわすと、なんだかほっとして、ありがたい。 おかげでトイレも済ませることができて、明るい店内で飲み物も買える。 ほっとするのは、そこに安全だとか、人との関りだとか、そんなものを感じ取っているからなのだけど。 暗い場所での明かりは、ほんとうにありがたい。 少し停電しただけで、ものすごく不便だし、夜には不安になる。 で、この看板って、とてもありがたいのけど、 都心に限らず、過剰すぎるんじゃないかと思う。 明るくて綺麗で

          何にどう使うか

          一生懸命に生き、命を全うしたい

          少し投稿があきました。 何をしていたかというと、特別何も変わったことはしていません。 ただ、すこうし私生活が忙しく書こうとしなかっただけです。 そう、わたしはずっと変わりません。 ものごとが続かないのです。 毎日という習慣づけが当たり前になるまで続けたことがない。 そして、このすこうしの期間に自分自身に怒りがうっすらあると気づきました。 何に怒っているのか? まだ掴みかねているけれど、ほんとうはわかっている。 自分自身に怒っているのだ。 なにかに追い立てられるように何

          一生懸命に生き、命を全うしたい

          滞りを流すためのオーバーホール

          台風が近くを通り過ぎて行きました。 雨風の被害が甚大な地域の方々を思うと、自然への逆らえない恐ろしさに身体がぎゅっとなる私です。 昨夜は夜遅くに安定剤を飲みました。 数年前に私は、豪雨の音が恐ろしくなり発狂したことがあるので、雨が強くなりそうな時は気休めだけれど安定剤を飲むんです。 昨日のうちに職場には休むかもしれないと伝え、目が覚めた時に起きるとしました。 朝、目覚る。 窓越しに見る風景が、台風のわりと静かめだったので、窓を開けてみる。 その瞬間... ふうぁぁ~!

          滞りを流すためのオーバーホール

          忘れてた夏の夜の出来事

          夜、窓を半分ほど開けて車を走らせていた。 あれは夏だったと思う。 住宅地を抜け、外の明かりは街灯くらいしかないような道。 山道に差し掛かるところで信号待ちをしていた。 ふと、左から視線を感じて反射的にそちらに顔を向けるけど何もない...。気のせいかと思って前を向きかけた時、わたしはギュッと固まった。 窓ガラスの端っこに、夢見る少女のポーズで 私をじっと見ているカマキリがいたのだ。 びっくりした。 この天使よりもっと首をかしげて… 上手にガラスの端っこを利用して肘をひ

          忘れてた夏の夜の出来事

          こんな臆病者の私だけれど生きている間に出来るようになりたいことがある

          先日、本当に人を助けるとはこういうことなんじゃないかと話していた、とある人の言葉の中に、私が苦しかった時に喉から手が出る程欲しかったものが言語化されていて、これだ!と思った。 助けを求めて心細く頼りなく過ごしていたあの時に、救われたいと心から願ったし、支えて欲しいと思った。 けれど、じゃあどうして貰いたいのか?と聞かれても、どうして貰いたいのかわからなかったんですよね。言葉に出来なかった。 そんなだから余計に苦しかったのだと思う。 自分をよく知り、言語化できないと、悲しい

          こんな臆病者の私だけれど生きている間に出来るようになりたいことがある

          一体、何を足りないとし得ようとしているのか

          TV番組の山の中にポツンとある一軒家に暮らす人を見て、私は寂しくないのかなとつい思う。 自分をそこに映し出して、寂しいに違いないと思ってしまう。 そこに住む人の実際を私には知ることは出来ないけれど、テレビというものから見えているものだけならば、一人で住まわれている人たちは口を揃えて「楽しい」「満足している」と言い、寂しくなさそうに見える。 こんなに寂しがるのは私だけなのか? いやまて、山の奥とはいえ、色んな人が訪れ、私なんかより遥かに多くの人と会い話し、心を通わせているの

          一体、何を足りないとし得ようとしているのか

          ずっと何かを言葉にしていて煩い=思考

          一人で例えば片づけをしていたり、歩いているとか、買い物など様々な場面で、ふと改めて自分の脳内に目を向けると、ずっとおしゃべりしていることに気付く。 頭の中は、もうほんとうにずっと何かを言葉にしていて煩い。 今日は、なんだったか忘れたけれど、何か黄色いものを手にとった時に 「黄色が特別好きってわけじゃないんだけどね」って頭の中で言葉にされていた。 それに気づいて思った、好きってわけじゃないって、誰に何に言い訳してるんだろうって。 どうもわたしは頭の中で誰に問われるわけで

          ずっと何かを言葉にしていて煩い=思考

          欲張るを可視化してみたらどうなのだろうか

          自分の中の欲張るってなんだろう。 欲張るのはいけないことだと教え込まれた。 恥ずかしいことだと叩き込まれた。 じゃあその欲張るを可視化してみたらどうなのだろうか。 己が思う欲張ると、それ以外の人間の数だけの欲張るを比較したときに、自分の欲張るの基準は他者と同じなのだろうか。 たとえば 彼はいるけれど他にも自分を満たす男が欲しい あと少し稼げるようになりたい もう1つ飴玉が欲しい。etc その飴玉は1粒10円なのか、500円なのか、1万円なのか。 ここで自分を振り返り

          欲張るを可視化してみたらどうなのだろうか

          未だに自分がなんなのかわからなくて、みっともなく自分探しをしている。

          どこかに潜んでいるのは、寝て起きて食事をし歯を磨き、排せつするという繰り返しだけが自分の人生ではないと思っていること。 これをここに文字にすると、背中が重くなる。格好悪い。 こんなに現実を見れずに、逃げ回っている自分が恥ずかしい。 そう感じながら、目を塞ぎ、なんとか明るいものが見えないかと指の隙間から覗いてみても、現実を受け止めていないのだから、どれも2次元のもので手に取ることも消し去ることもできない。 だったら、こんなどうしようもないつまらない人として、クソがつくバカを

          未だに自分がなんなのかわからなくて、みっともなく自分探しをしている。

          どこを見てるのか

          起きてもないことに不安になってる。傷ついてる。 どこを見てるのか。 ご飯を食べながら、髪を洗いながら、散歩しながら、、、見ているのは今以外のどこか。 今、白米口に入れたよ。 今、シャンプーつけたよ。 今、右足前に出したよ。緑がきれいだよ。 まったくいとも簡単に違うところを見ている自分に呆れる。 それでいいから これでおっけーだから 何にも間違ってないから 早くここに戻っておいで。 yuriyumiko

          どこを見てるのか

          ぬいぐるみ、情緒不安定、涙

          100円ショップに寄った。 ふと目に入ったクマのぬいぐるみ、550円。 今は100円ショップに100円以上のものがたくさん置いてあってうっかりすると高いものを買ってしまう。 そのクマは真っ黒の目と鼻の位置が絶妙なバランスで、うるうると見上げる感じで可愛らしい。 立ち止まり、ぬいぐるみの手足を少し撫でてみた。 絶妙な黒の配分、純粋無垢に見えたその顔をしばらく見つめていたら、胸がなんでかきゅっとなりはじめ、鼻の奥がツーンとし始めた。 ああ、もしかしたら私は、今とても孤独を感

          ぬいぐるみ、情緒不安定、涙