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子供を勉強させたいけど...恐怖、ご褒美、関心、必要性のどれが一番効くのか考えてみた

こんにちは、語学の裏設定のゆうです。

子供がなかなか勉強してくれないというお悩みを持つ方への記事です。

ここ半年ほど、家庭教師として5歳と10歳の子供の教育に携わっているからこそ感じるのですが、子供はそう簡単には勉強してくれませんよね。引いてダメなら押してみる戦法であの手この手を試してみても苦労する...

そんな揉むに揉まれた体験の中で得られた知見をこのNoteにまとめてみました。

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1.恐怖で勉強させても伸びない

恐怖は人を行動に駆り立てる力を持ちます。

その力の威力はあまりにも大きいので、教育だけではなく至るところで使われています。例えば、商品宣伝で「これを使わないと痩せない!」とか「今すぐ買わないと損!」などの煽りから購入を狙うことがそれです。

恐怖で心を動乱させれば商品を買わせることができたり、子供にもとりあえず勉強という形式上の行動をとらせることはできますが、子供の教育にとっては利点よりも実害のほうが多いでしょう。なぜなら、子供は恐怖を前にして、勉強する素振りはするかもしれませんが、実質何も学ばないからです。

【恐怖による勉強の良いところ】
・着手させることはできる
【恐怖による勉強の悪いところ】
・勉強が嫌いになる
・好奇心が死ぬ


そもそも恐怖が効力を持つのは、恐怖心があまりにも大きいので、他の感情が抑圧されてしまうからです。言い方を変えれば、恐怖は心を麻痺させます。ゆえに、学びの原動力である好奇心も麻痺してしまうため、子供は次第に物事に関心を示さなくなってしまうでしょう。

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2.ご褒美で釣っても伸びない

ご褒美も人を行動的にします。

恐怖とは違って心を麻痺させること無く、行動に繋げられるため恐怖の利用よりはマシですが、やはり利点よりも弊害のほうが大きいです。ご褒美を手に入れるために進んで勉強してくれるようにはなるのですが...

【ご褒美による勉強の良いところ】
・進んで取り組むようにはなる
ご褒美による勉強の悪いところ】
・好奇心を満たすためには勉強しなくなる
・ご褒美がければ勉強しなくなる
・ご褒美のグレードを上げなければ勉強しなくなる

真に、人が学びたい!と思うのは、好奇心を満たしたいという純粋な欲求から来るものなのですが、ご褒美を与えることを習慣づけてしまうと、ご褒美を手に入れる欲求が学びの原動力にすり替わってしまいます。


想像してみて下さい。5歳程度の子供ならお菓子の1つや2つをチラつかせれば喜んで勉強しますが、10歳になるころにはもっと過大なご褒美をチラつかせないと動いてくれないでしょう。15歳になったら、もっと高額なご褒美が必要でしょう。悪循環に陥ります。


そして長期的に見て、潜在的に宜しくないのが、前述の「恐怖」と「ご褒美」の組み合わせでしょうか。

「勉強しないと、罰が待っている」+「でも勉強すれば、ご褒美が待っている」

勧善懲悪の基準が明確であるため、何をしたらダメで、何をしたら良いのかを叩き込むことができるこの方法は「躾をする」という別名を冠することが多いですが、

そのような子に自由な時間を好きなだけ与えてみたら何が起きるでしょうか?

自発的に勉強をするでしょうか?

きっとしません。

自由な時間を得るということは、「勉強しなければ罰、勉強すればご褒美」というシステムから抜け出せるというご褒美を手にすることを意味するため、勉強に戻ることはないでしょう。


人生は長いです。大人にって自由な時間を手にしたあと、尚且勉強を進んでする子を育て上げることが、子供の教育の1つの究極の目標であると思っています。

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3.作り物の関心を持たせても伸びない

少し小細工が得意な先生の常套手段でお馴染み「関心を持たせる」です。

少し言い方を変えれば、関心を持つように仕向けることになります。

「~って何でだろうね?何でそうなのか考えてご覧」と誘導することで、恐怖を利用したりご褒美で釣るよりは、よほどマシなやり方であることは間違いないです。世間では誘導が上手な先生が「良い先生」と呼ばれているようですが...

しかし善はたくさんありますが、最善は1つしかない...関心誘導することは最善だとは言えないでしょう。


【作り物の関心をもたせることの利点】
・その場は勉強してくれる
・一時的には自発的に勉強してくれる
【作り物の関心をもたせることの弊害】
・誘導しているのが見え見えで、子供が反抗してくる
・教師から自立して勉強しなくなる


子供は大人が思っているほど賢いものです。大人の思惑を敏感に察知します。見え透いたウソを疲れてウンザリするように、見え透いた関心誘導にもウンザリするものです。

もう1つの大きな問題は、誘導してくれる先生が居ないと勉強ができない子になってしまうことでしょうか。このへんは教える側の力量に依るのですが、誘導を通して自分で質問を生産する力を子供に与えることができるのなら、むしろ最善です。しかしそうではなく、教師が一方的に質問を与え、生徒が受動的に考えるループに陥ったら自ら問いを発する力は付かないでしょう。

つまり好奇心に筋肉がつかないことになります。

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4.必要性によってなら、学ぶ

人間、必要にならない限り学ばないものです。

大人の「勉強」の8割方がこれに該当します。大人になって「勉強するのが面白い」と言う人が居ますが、業務という避けられない必要性を通して色々知識を身に着けていく内に、学ぶ面白さを知った例です。

しかし必要性によって学ぶのも結局の所、「恐怖」がベースにあるに過ぎません。ただその恐怖がマイルドになったのと、先生や親が上から恐怖を与える代わりに、仕事上の必要性から知らないとヤバい・恥ずかしいなどの恐怖が湧き出るようになっただけでしょうか。また、これを知っておけば他の人より格上になれるという「マウント取りたい欲」がベースになる場合もあります。

と行ったことを考慮して、子供に必要性を与えることについて少々考えてみましょう。そもそも、子供は大人ほど多くを必要としないため、必要性で釣るのは非常に難しいです。無理やり作った必要性のことなら、前章の「作り物の関心」の域を出ません。テストで点を取る必要性がある、というのも結局恐怖だし、ご褒美を獲る必要性があるというのも結局は欲ベース。

子供が自分の夢を持ち叶えたいという必要性を、外部の操作無く感じているというレア場合のみ、必要性によるモチベアップができるのではないでしょうか。

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5.子供心を大人が壊さないことによって学ぶ

言い換えるなら、子供本来が持つ強烈な好奇心に必要性を加えることによって学ぶことを指します。

自らの好奇心が問いを発し、その問の答えを見つける必要性がその状況にある。

これが最善の学びではないか!?と思います。前章の最後で書いた、自らの心が夢を持ちそれを叶える必要性から学習に着手するというのも同じです。

好奇心を活かすことを考えるより、まず好奇心を殺さないことを考える。そうして好奇心の最低限の生命を保証してから、徐々に子供の好奇心に生命を吹き込んでいく。それが大きくなった頃には自分で問という果実を実らせるレベルになっているから、後は子供の方から質問してくるのを待ったら良い。それまでは、あまり教師は教えを施してはいけない。

と私は思うわけです。

つまり子供の周りの大人の役割はこうなるはずです。

・好奇心を殺さない。
・好奇心を刺激するが答えを与えない。
・子供の好奇心が自ら問いを発するまで見守る。

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おまけ:自らの好奇心が問いを発し、その問の答えを早急に見つける必要性がないのに学びたいと思うのであるなら、あなたは哲学者になれるでしょう。


昔書いた関連記事を1つ貼っておき、今日はここまで!


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