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2022年4月17日(日)|とつくにことば夢に見るかも
外国に留学にしてしばらくすると、その国のことばで夢を見るようになる、という話を聞いたことがある。日常的に外国語を使うようになったことで、夢のなかの言語もかわるということだろう。
昨晩、なぜか英語で夢をみた。
まだ僕は日本にいるし、日常会話も日本語でおこなっている。にもかかわらず、夢のなかで必死こいて英語をしゃべっていた。
地元に帰省して散歩をしていると、大はしゃぎしている男性の集団が目
2022年3月16日(水)|かかる世に影も変らず澄む月を
保元元年(1156年)、戦がおこった。その後の日本の歴史の流れを決定づけてしまうような戦であった。
「治天の君」たる皇位の継承をめぐり崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)が衝突。また藤原摂関家では「氏長者」の位をめぐり忠道(兄)と頼長(弟)が対立した。
崇徳は頼長と組み、後白河は忠道と結託。それぞれが平家や源氏ら武士団の力を借り、武力衝突へと発展していく。
平家は一丸となって戦いに臨んだ
2022年3月12日(土)|典型的な春の夜
深夜。そんなに寒くない。外に出てみた。なんならすこしあったかい。見上げると、霞がかった空に月がぼんやりと照っている。典型的な朧月。澄みわたった寒空にするどく輝く冬の月と同一事物だとは信じがたい。春の月はどうもさえない。
感覚由来の情報(=あたたかい夜)と視覚由来の情報(=空に照る朧月)がくみあわさり、全身全霊で「春の夜」を認識している。「めっちゃ春の夜やな〜」とつぶやかずにはいられない。つぶ
2022年3月10日(木)|教授
学部生時代・院生時代と大変お世話になった教授がご退官されるということで、最終講義に出席させていただいた。ほんとうに先生らしい最終講義で、その一貫したご姿勢にほれぼれとした。教授からは、テクストを精読することの大切さと面白さを教えていただいた。音韻に注目し、どんな音が繰り返し使われているか、またその音の多用によってどんな効果が意図されているかを分析したり、類義語・対義語との関係を念頭において読むこ
もっとみる2022年3月4日(金)|この時期
この時期になると、いつも決まって憂うつを経験する。この時期に過去の日記を振り返ると、まったく同じ日付に、まったく同じようなことを書いているということに毎年気づく。気だるく、いつも眠く、集中力もつづかない。「この時期」は、妙な魔力をもって襲いかかってくる。
「この時期」がなぜそれほどの力を持っているかを考えるに、どうも「年度の変わり目」という要因が大きく作用しているらしい。古い年度が終わりかけ
2022年2月18日(金)
大学時代に学んだ、タイプ(type)とトークン(token)の概念。これまでまったく理解できていなかったらしい。「へー、なんか重要そう」としか思っていなかった。なにがそんなに重要なのか、一切分かっていなかった。
しかし、英語における名詞の単複や、冠詞の有無など、タイプとトークンの区別を導入することで整理できる事柄がたくさんあるのではないか。より敷衍して言えば、複雑極まりない現実を秩序立てて整
2022年2月16日(水)|Liberating Liberty
大学時代にとてもお世話になった先輩と久しぶりにお会いし、ひと時をともに過ごさせていただいた。
僕から見れば、その先輩(Tさんと呼ばせていただこう)は自分らしく生きる道ーーいわゆる「自由」な生き方を追求し、また実践している。
このTさんの「自由」には、一つの大きな特徴がある。それは、Tさん自身が自由であると同時に、その自由は他者をも自由にする類の自由であるという点だ。これを名付けて lib
2022年1月26日(水)
とある人たちと一緒に、とある人のもとにおじゃました。後者のとある人にお話を伺った帰り道、前者のとある人たちと感想を分かち合った。そのなかで、とても重要な気づきを与えられた。神は、失敗をおかしつづける私たちを見捨てない。私たちのことを、なぜか決してあきらめない。きわめて不可思議と言わざるを得ないほど、私たちの全存在を握って手放さない。信仰とは、この神に、この神だけにすべての信頼を置くことである。こ
もっとみる2022年1月19日(水)
「夜型人間」というものがどのように定義されるかは知らないが、自分は「夜になると好奇心と希望が湧いてくる」という意味において夜型人間なのだろうと思う。
朝はまったくテンションが上がらない。昼は昼で眠い。夕方になってようやく、生きがいを感じるようになる。そして夜。何を勉強しようかどの本を読もうかと意欲に満ちる。
アイデアが湧くのも夜であることが多い(と言いつつ、次の日になって思い返してみると
2021年12月31日(金)|戦略的撤退
かなり久しぶりの帰省、実家に帰ってきた。
大晦日。どこへ出かけても、どの番組をつけても、「今年も今日で終わり」という事実(?)を突きつけられる。個人的には「煽(あお)られている」というのがもっとも正直な心情に近い。
「年惜しむ」ということばがある。「一年を振返って、去り行く年を惜しむこと。今年もいろいろなことがあった、という感慨が込められている」(参照:きごさい歳時記)の意で、〈冬〉の季
2021年12月28日(火)|先帝入水
『平家物語』「先帝入水」の段を読む。
二位尼(清盛の妻)が、自分の孫にあたる安徳帝を抱いて海へと身を投げる場面。二位尼が安徳帝に語りかけたとされる次のことばが有名であろう。
安徳帝が入水しなければならなくなった原因にたいする二位尼の説明について、写本間に異同があるらしい。以下、覚一本と延慶本との間の相違をまとめたもの。
① 覚一本(世間に流布した語り本系テクスト)
② 延慶本(最古の
2021年12月26日(日)
今日はとても充実した一日だった。以上。
というのは嘘で、充実していたと言うのであれば、どのように実が充ちていたのかその内容を詳述せねばなるまい。もちろんここでの「嘘」というのは「以上」という文言に対しててであり、「充実していた」にかかるものではない。人の優しさとあたたかさに触れた。その人たちが信仰のゆえに優しくまたあたたかいことを知り、その信仰の根拠であるところの神の優しさとあたたかさを知っ