2022年2月14日(月)|安徳帝潜幸ノ地
安徳天皇御陵跡地(兵庫県能勢町)に行ってきた。
『平家物語』では、壇ノ浦の戦いにて母・二位尼に抱かれて海に沈んだことになっている幼帝。
ちなみに一部引用すると、以下のように記されている。書き手(語り手?)フルパワーの一段。
安徳帝は、公式には山口県下関市にある赤間神宮(もとは阿弥陀寺)にまつられており、一般人立入禁止の陵墓が現存している。
しかし実は、石見(島根)→ 伯耆(鳥取)→但馬(兵庫)と流れ、最終的に摂津国能勢に “潜幸” した、と語る史料があるとのこと。
その史料とは、お供のひとり藤原経房が残した『経房遺書』というもの。
1817年、能勢の地に住む辻勘兵衛という人の家の屋根葺き替えのさい、棟木に吊るした竹筒から発見されたそう。この遺書が書かれたのは1217年と考えられている(ちなみに壇ノ浦の戦いは1185年)。
その後、岩崎神社の社殿下から「養和元年」(1181年)の銘が刻まれた経筒・鏡・合子などの遺品が出土し、御陵跡地としての存在が確認されるようになったとのこと。
興味深い歴史。何はともあれ、ひさしぶりの田舎はとてもよかった。
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