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「怒る」ときは“ふむふむ”=自愛 の話をする木曜(日報20190509)

ピンポーン。日報です。今日のひとことは「ふむふむ」。

今日のタスク

・【業務】編集:記事1と2 工程1(ロングゆえ時間がかかるそして残業)
・【瞑想】デスク前に置いてあるカード(自分に最も良く馴染む言葉が書いてある)を見て深呼吸するだけ
・【なる】潜在意識でいう「なる」で過ごす
→最近「なる」を理解したというか、気付いたら「なって」いた。なるほど「なる」はこういうことかと体感できたのだ。また「なる」を永続する方法も腹に落ちつつある。今日はなぜかこれに比重を置いていた。

昨日に比べて今日は進捗が遅いぞー。むむむ。

「怒る」ときは“ふむふむ”

昨日、森を見るつまり引いて見ることで「怒る」からヒントが得られると書いた。今日も同じように森を見ることをするのだけど、方向性が違う。

さて、「怒る」ときあなたはどうなっている?きっと「もう!こんなことあったの!」とか「ありえないよー」と気がたかぶっていると思うのだけど。

そんな風に怒っているときちょっと試して欲しいことがある。怒っている自分はそのままにしつつ、その自分を眺めるもう一人の自分をつくりだすのね。そして怒っている自分と眺める自分とで対話するの。

・何があったの?
・何に腹を立てたの?
・何がつらいの?

友達と話すように、怒っている自分のいろいろなことをじっくり聞いていく。怒っている自分は、隠し事をせず眺める自分に対して正直に胸の内を話す。

難しかったら、一旦「怒っている自分として」何かに書き出し、それを「眺める自分」として読むでもいいかも。ワンクッション挟むと正直に話せるし、読むほうも理解しやすい。

これは「自愛」の一つ。自愛というのは文字通り「自分を愛する」こと。それはつまり自分を受け入れて許すこと。

転がる毛糸玉

自愛はすべてにおける最初の一歩。フタをしたりガマンしたりではぐねぐねこじらせやすいし、ガスがたまって爆発しちゃうことも。

じゃここで、毛糸玉を1つ床に転がしたと想像してみて。1つだったら、糸をたぐり寄せていけばすぐ元通りになるよね。

でも何個も何個も毛糸玉を転がしたら?いろいろな糸が絡み合ってしまうよね。ほどいてそれぞれまとめるのにとーっても時間がかかるのは、容易に想像できるでしょう?これがフタをしたりガマンしたりで起きちゃうこと。

自愛は心に転がる毛糸玉を減らす方法。毛糸玉が転がることはあっても、自愛をするうちに数が減るようになるから、落ち着いてたぐり寄せていける。同時に「毛糸玉だって転がるときはあるよねー」「たぐり寄せるのも楽しいねー」と思えるようになってくる。

「怒っている自分」をそのまま、つまり単体にせず、「怒っている自分」を“ふむふむ”と自分が聞いて受け入れることで、自愛になっていく。

そうして今日も私は自愛をして、昨日のお話のように「ヒント」を見つけるのであった。

……さ、今日の進捗が非常に遅いので残業頑張っちゃうよ。

それでは今日もみなさんお疲れさまでした。そして最後までお読みいただき、ありがとうございました!また明日ねー!

生きてるだけで偉業だよ。