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東大卒キャリア官僚からニートになった話
はじめに
はじめに申し上げておきますと、この記事には有益な情報はまるでありません。当然です、僕は今絶賛ニート中であり、収入も全くなく、貯金はすぐに底を尽きるような状況です。どちらかというと、有益な情報を求めているのは僕の方です。
ただ、僕と同じように、人生の目的を見失って、所謂「学歴やキャリア」というしがらみから解放されたいと思っている人の励みになればとおもっています。
それに、東大卒キャリア官僚の所謂「エリート」が道をはずすというのは、なかなかいい気味です。
僕について
僕の現在の肩書きは「ニート」ということになります。
働きもせず、やることといえば、家事くらいです。
社会にぶら下がる完全なお荷物と思われても仕方がないでしょう。
僕は、理系単科大学を卒業し、所謂学歴ロンダで東大の大学院へ入学しました。そして、就職活動には悉く失敗。たまたま拾ってくれた官庁に総合職技官として入省しました。
拾ってくれた職場には恩義しかありませんが、他の受験者からみたうちの省庁は、「超不人気官庁の端っこ部署」です。
そして、新卒採用お定まりの「職場とのミスマッチ」によって体調を崩し、2年で退職しました。
例に漏れず、僕の所属していた部署も残業がデフォのブラック環境でした。しかし、退職の原因の一側面は、僕がその環境についていけなかったからという話であり、退職の責任が全て職場にあるなどとは当然言うことはできません。
職場がブラックであることと、自分の能力が足りていないことは表裏一体です。現に、一緒に働いていた上司や同僚は、粉骨砕身で国を支え続けています。
現在は、貯金を食い潰しながらYoutubeなんかやったりしています。
Noteもお金がなくてはじめました。全記事無料で公開する予定ですが、お金をくれると喜びます。
しかし、税金で大学に通い、税金でご飯を食べさせてもらっていたにも関わらず、ご奉公を投げ出すような人間に果たしてお金は必要なのでしょうか?
河川敷で夕陽を眺めていればいいのではないでしょうか?
なぜ官僚になったのか?
国家公務員になろうと思った理由は、日本を支えたいと思ったからです。
しかしこれは、本質的な回答ではありません。
「最も大切な共同体たる国家を支える官僚になれば、僕にも生きている意味があるだろう」そう思ったからです。有り体に言えば、「やりたいこともないし、官僚になってみんなにちやほやされて〜(笑)」ということです。
つまり、解決したい社会課題も、それを支える信念もありませんでした。
大学生の僕の頭を支配していたのは、「僕はなぜ生きているのか」「誰かに必要とされたい」そんな言葉です。高学歴で社会的インパクトのある仕事をしなければ僕は僕の価値を証明できない。そう本気で信じ込んでいました。
大金を稼ぐ経営者の父と、僕より賢い兄に対するコンプレックスや、学歴やキャリアという権威が重んじられる家風もその価値観に拍車をかけました。
そうして、僕は僕が本当にしたいことについて深く考えもせず、周りの評価だけを気にして、国家公務員をめざしました。
それはとても簡単なことでした。
官僚目指して東大で研究をしていると言うと、家族や世間は、学歴、キャリアをもってして僕を立派だと評価してくれます。無責任にも僕の人生にお墨付きを与えてくれるのです。だから僕は勉強は大好きでしたし、試験勉強は僕を安心させました。
なぜなら、そうしているうちは、自分の人生について選択を迫られたり、幸福について疑問を抱く必要がないからです。
お前は何者だ?
当然ですが、僕の考え方は袋小路に陥ります。
就職活動がうまくいかなかったのです。
多くの新卒就活では、人となりが評価の対象となり、ポテンシャルによって採用が決定します。僕が行き詰まったのは、志望動機です。
僕の志望動機に他人を説得できるほどの信念がないのです。
そりゃそんなものないのですから当然といえます。
なぜその府省・会社に入りたいのか、自分でも分かりません。
社会貢献ができるから、と言ってみても、大体の仕事がそうじゃないかと言われれば反論できません。「御省・御社のネームバリューで世間様から立派だと思われたいからです!」というのが本音でしたが、そんな歪んだ動機が認められないことは、僕にも分かりました。
お前は何者だ?
僕は問われ続けました。しかし、答えることができません。
歪んだ世界観の中で生きてきた僕は、僕自身を何一つ分かっていなかったということにようやく気づくのでした。
結果、何十社も受けた民間は全滅しました。
僕が必要のない人間であることを、それらの会社は決定したのです。
そして、奇跡的に一つの省庁から内定をいただき、そこへ入省しました。
官僚をやめる
官僚としての人生をスタートさせたときには、「他人に生きることを肯定してほしい」という脅迫的な価値観が間違っていることを完全に理解していました。
僕はなにがしたいんだ?
その答えを出すことができないまま働き続け、もう限界だと思ったとき、体が動かなくなっていました。
そして、退職しました。
それは一つには、「職場とのミスマッチ」と言ったり、もしくは「ブラックな労働環境」と言ったり、「僕の能力不足」と言ったりすることもできます。
しかし、根本的な誤りは「人生への当事者意識の欠如」にありました。
じゃあ結局なにがしたいの?
何がしたいのか。
僕は30歳手前にもなって未だに答えを出すことができません。
人間は目的を持って生まれてくるわけではありません。人間の専売特許を奪い続けるAIとはこの点で一線を画しています。元々、何者でもないのです。
神はいません。神が僕を定義してくれることはありません。家族や社会だって神ではありません。
他人はレッテルを貼ってきます。無能、有能、クズ、立派、それは一面的な僕の姿でしかありません。
僕が何者であるかを決めるのは他人だけではありません。僕だって、僕を決めてもいいのです。
僕が何をするかを決めるのは、僕しかいません。
今は、できることを少しずつしていくしかないかなと思っています。
なので、今の肩書きは「ニート」です。
さいごに
この話には、一部虚構が含まれています。
僕の考え方や記事の大筋に嘘はありません。
この下には何もありません。
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