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旅のことを中心に、つらつら書いてみています。 すきなもの---#シーシャ#インドカレー…

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旅のことを中心に、つらつら書いてみています。 すきなもの---#シーシャ#インドカレー#タイ料理#日本酒#一人旅#音楽#絵画#写真#映画

最近の記事

さびしい旅

目を閉じると、木漏れ日のようにきらめいてはうつろいゆく旅の記憶が自分の中を通り過ぎていく。 砂埃の舞う中で風を受け止めている、土と草のにおいのする山道をただ歩いている、クラクションの鳴り響く喧騒の中をさまよっている、いくつもの峠を越えて朝方やっと宿にたどり着く。 どの時も、さびしさを抱きしめていると実感する。 基本的に「旅」というものをするときは一人でいくことがほとんどだ。その上、特に目的や意図的にこれをしようといった目標のようなものを持たずに、その時その時で自分の気の向

    • 指からこぼれる葡萄の粒

      一緒に食べた葡萄が、まるで優しさのようで、 その優しさがあまりにも多すぎて、指からこぼれ落ちてしまうほどだ。眩しくて、みずみずしくて、思い出すたびにその葡萄の光が空に浮かぶ星空のように瞼の裏で降り注いでいく。 ダラ遺跡から車で30分ほどで、Kemarの家族の住む家に着いた。子供達がベランダから手を振ってくれた。家の中へ入ると、Kemarの妹とお母さんがチャイとパンを差し出してくれた。無邪気に、珍しい日本人が来たとはしゃぐ子供達と対照的に、彼女達の目の奥には戸惑いが滲んでいた

      • 緑の香りが鼻を掠める、黄金色の寂寞を優しさが包む

        トルコの南東部、マルディンに来て半日が過ぎた。お昼ご飯を食べよう、とKemarが言ったので、レストランへ向かった。マルディンの旧市街は、どこを見ても黄金色に輝いていた。砂造りの建物が通りの向こうまで連なっている。時折見られる、建物の屋根に広がっている葡萄の葉は日の光に照らされて宝石のように眩しかった。知らなかった場所に来た、それは寂しいことではなかった。人々が歩いている、それぞれの店番の人と話す声が聞こえる、建造物や向こうに見える山の美しさが心を揺らす、乾いた土の匂いが自分を

        • 文明そして人間の交差する街

          悠久の歴史の彼方へ心を連れて行ってくれる、思い出しては愛を感じて涙する、そんな旅ができるなんて思ってもみなかった。 2022年7月、2年ぶりの海外ひとり旅に行った。目的地に選んだのは、トルコ。イスタンブールでブルーモスク(スルタンアフメトモスク)やアヤソフィアを見たかったのと、インターネットで探していたときに、メソポタミア文明の栄えた地域の一つであるというところに惹かれたマルディンという、南東アナトリアの都市に興味を持ったからである。 1番、印象に残っているのがマルディン

        さびしい旅

          空白に重ねる花びらと逃避

          もう、二年が経ってしまった。どうあがいてももう戻ることができないと分かっていても、うまく自分を慣れさせようとしたし、結局うまくいかずに挫けたり、心が折れたりした。コロナ禍で、失ったものなんて数えきれないほどあると思う。好きな人を抱きしめること、会いたいと思う時にすぐに会いにいくこと、家族とお話しする時間、外国への旅、友達とした旅行に行こうと言う約束、自分のために、自分だけを大切にするひととき、逃げたい時に逃げていけた場所。 私は特に、自分を取り巻くこの状況から逃げたい、ただ

          空白に重ねる花びらと逃避

          三月、淡雪と散る

          今日は寒いから気をつけてね。 無理しないでね。 と、声をかけてくれるたびに優しさに触れて、通り過ぎる道の桜の花びらがたまらなく麗しく見えて、白と桃色が胸に滲んでいく気持ちになる。 恋とか愛とか、そんなのいつか消えていくんでしょう、何にも心を動かされない方がよっぽどマシだ。結局いつか傷ついたり傷つけたりして後悔して、でも戻るのこともないのなら、別に深く関わらない方がずっと楽だ。と最近はずっと思っていたのだけど、わたしの心の中の揺れ動きや、(かなり)めんどくさいさまざまな拗

          三月、淡雪と散る

          音の無い夜の静けさを

          髪をたなびかせる風が暖かく優しくなってきた。春の匂いが鼻の奥をツンとさせる。喪失を意識させる季節が、今年もやって来ている。 新しい季節の始まる予感が体を巡ってゆくけれど、それはすぐにさようならという言葉でかき消されてしまう気がする。また明日、という言葉で会えていた人の記憶もだんだん消えていってしまうのだろうか。 どうしても視界が霞んでしまう、別離と邂逅の間で揺れている波が寄せては引いていくのを感じて、悲しいような嬉しいような戸惑いにも似た気持ちが右往左往している。 永遠

          音の無い夜の静けさを

          1人、生暖かく燻る線で

          どこへ散ってゆくのか、その行方を追う視線の行き場がない。何度も季節が移ろいゆく時間の中でどこにへも行けず、灰色の壁にもたれかかりたたずむ。うまく言葉も出せないまま、寂寞の砂漠で砂を手に取っても、指の隙間から溢れて落ちてしまって。 焦点の定まらない視点、 私を私なるものにさせるもの、 水彩絵の具で黄色く集めた花束、 探しても探しても虚空の中で風がただ揺れるだけだ。 途切れていく記憶の断片が、かろうじて私の中で溶けていく。落ちた涙が貴方に落ちて滲んでいく。貴方に染み込ん

          1人、生暖かく燻る線で

          2月、冬の光、花の旋律

          朝、息を吸って吐くと白い痕が風になってすうっと消えていく。目を閉じると銀世界にいるような静けさと、外の通りを行き交う車や人々の喧騒が混ざり合って、また、1日が始まっていく、と感じさせる。 目を閉じると、飛行機で十数時間かけて行った、天空の城のようなあの月世界で感じた広さを感じる。行ったら、きっと帰っては来れないような、肌に触れゆく風の柔らかさが瞼の裏をすり抜けていく。 目を開けると、黄金色の光がわたしを照らしている。眩しすぎて、眩しすぎて、わたしには、もったいないと思う。

          2月、冬の光、花の旋律

          全て砂塵になって仕舞えば良いと思う、そういう夜

          疲れた、と、つぶやく声さえ宙に消えて地に落ちてしまう。手で落とさないように捉えようとしてもその力も消えて抜けて徒労感でいっぱいになる。 どれだけ美しい花を、絵を、写真を部屋に飾って日々に彩りを加えたとして、結局それすら意味がないように思えてくる時がある。 自分という存在が何に還元できているのか、そう考えている間にも時間は過ぎて行くし、夜が来るまでどうやって生きる気力を保っていったらいいのかわからず、そうやって考えること自体に対する力も、部屋の蛍光灯の光に吸い取られてゆくよ

          全て砂塵になって仕舞えば良いと思う、そういう夜

          最果て2 Istaravshan

          以前書いたホジャンドからイスタラフシャンでの 旅の記録の続きを書きたいと思います。 --------------- 相乗りタクシーで人数が集まるまで待っていた時に、乗り込んできた彼女。大学生でホジャンドとイスタラフシャンを毎日相乗りタクシーで行き来しているという。タジク語が分からなくてどうしようと思っていると、それを察してか、英語で話しかけてくれた。 「どこから来たの?」 「日本から来て、モンゴルに留学しに来ていて、休みに入ったからタジキスタンに旅行しに来たよ。」

          最果て2 Istaravshan

          限りなく透明に近い

          湿った風に震えていた。絶え間ない木々の間を通って木漏れ日の少し陰った光に目を細めていると、 「どうしたの?」と彼女は聞いてきた。 私は、少し間をおいてから「あー、もうすぐ秋がくるのかなあと思って。」と答えた。 「そうかもしれないね。だんだん、刺すような日差しは感じなくなったもんね。少し、寂しい気もする。」 「このまま置いていかれるのかなあ、って不安になるんだよね。夏って、唯一終わるって表現されるじゃない。自分以外はすべて風にさらわれて行って、自分だけそのままの状態で残

          限りなく透明に近い

          最果て Khujand-Istaravshan

          私の旅の断章。今までずっと心にしまっていた。差し出された愛が溢れないように。ふと、元気だろうかと思い出していたので、言語化してみようと思った。 約四年前にタジキスタンに行った時のこと。ホジャンドという都市から首都ドゥシャンベに行こうと思ったが、飛行機に乗るお金がなくて、乗合タクシーで向かっていた。その途中で、イスタラフシャンという場所で一泊することにした。 ホジャンドやイスタラフシャンは、アレキサンダー大王が最後にたどり着いた場所に当たると言われており、東方最果ての地とも

          最果て Khujand-Istaravshan

          ある詩人が旅の中で聞いた音の色を

          これは、河を目指して息も絶え絶えの中歩いて力尽きた人々への鎮魂歌。生を祝福する賛美。私たちの、ありのままの美しさを讃えるためのプレリュード。死を、生命の強さを、脆さを悼む葬列。救いたくても救えなかったと嘆くあなたへ手向ける花束。 灰色。それは燃えて尽きた肉体の代わりに現れたあなたの魂の色。 赤色。それはあなたが愛する人のために流した血の色。地面に滴るその音は、私にはもう聞こえない。 青色。それはあなたの中にある波の静けさ。波のゆったりした動きに合わせて踊る、あなたの影。

          ある詩人が旅の中で聞いた音の色を

          色褪せた先

          愛は祈りのようなもの 遠くで、どこかで誰かに差し出している 何年も前に少しだけ逢えたそれだけの人だとしても、季節が変わってもう覚えてなかったとしても、ふと思い出す記憶を花束にして、贈りたい 祈りは強さで意志であるということを、鮮やかさの失われた記憶の中で噛み締めていたい 枯れてゆく鮮明さを、朧げながら覚えている道を、もう一度歩いて出逢ってきた数々の愛する人と視線を交わしたい 美しい山々を、果てることのない大地の鼓動を、活気で満ちる市場を、永遠に続く荒野を、風に靡くタ

          色褪せた先

          きらめく碧とうつくしさ

          ひとりで、淡路島に行った。 初めて乗った電動自転車で、海沿いを走り、山を2つも越えて南あわじ市の市街地を抜けて洲本温泉に戻ったのだけど、初めての経験に目をずっときらきらさせた。 洲本温泉の宿を出発して、目的地を決めないまま海沿いをひたすら走っていくと、左手にずっと続く海に、太陽の光が映って碧い宝石がきらめいているようだった。 いままで、海は悲しさやどうにもならない鬱々とした気持ちを洗い流して慰めてくれるという存在だったけれど、今回私が見た海は、時に胸が抉られるような事や

          きらめく碧とうつくしさ