見出し画像

車窓

夏季休暇で、カザフスタンとウズベキスタンへ一人旅に出た。キルギスへGWに行ってからずっと、中央アジアの他の国々へはどのように土地が、人々がつながっているのか知りたかった。
心や土地の隔たり、人の往来における流動性、混沌、そして文化の溶け合いをこの目で見たかった。教科書に載っている歴史とは別の個々人の物語が確かに存在することを、中央アジアで実感できるのではないか、とも思った。

調べていくにつれ、カザフスタンからウズベキスタンへは列車で移動できることがわかったときに、その場で航空券と列車のチケットを買った。ゆっくりと走る列車の窓から、その土地の色や風の移り変わりを見られる、陸路での国境間移動。

最近、「思い出と音楽があれば生きていける」と知人に言ったことがあって、
それはおそらく間違っていなかったのだと、帰ってきた今も信じられている。列車の四角い額の中から広がってゆく緑と砂漠を見ながら、自分の出会ったいくつもの土地を、人を、草花を、動物を思い出した。私の皮膚の奥の方からにじんでくるそれらの記憶は、熟した桃のように甘く、少し寂しい匂いがしていた。そしてその記憶の中にはいつも音楽があった。想起される特定の曲やメロディーもそうだけれど、それだけではなくて風や葉のこすれる音、鳥の鳴き声、馬が駆け出すときの大地の響きも、音楽だった。

列車の車輪がゴトンゴトンと動く音は移り行くひとびとの鼓動だった
窓から入ってくる風が流れる中で交わされる乗客の会話は、タルチョに書かれる祈りの言葉だった
同じボックス席に座っていたカザフ人がチャイをふるまってくれる時の、カタカタと茶器が触れ合う音は、存在するということを祝福する鐘の音だった

ウズベキスタンのテルメズからサマルカンドへゆく寝台列車へ乗るために駅へ向かう、午後3時。一日の最高気温に到達するに近い時間帯だ。射すように照り付ける日の光に目を細めながら列車に乗り込む。まだ出発時間まで余裕があり乗客もまばらにしかいなかったため、少し遠くの窓際の席に座って外を眺めたり、列車内の写真を撮ったりした。
「どこから来たの?」
と車掌の男性が話しかけてきた。
「日本からカザフスタンに飛行機で来て、カザフスタンからタシュケント、テルメズへは列車で来た」と(片言のロシア語とウズベク語を混ぜながら)答えた。その後は家族や仕事、今まで行った国などについて少しおしゃべりをした。
やっぱり、ロシア語とウズベク語、カザフ語をもっと勉強してから来ればよかった。現地人同士で話している会話や、自分に話しかけてくれるそれぞれの人の言葉を見よう見まねで真似しながら少しだけ単語やフレーズを覚えてみたけれど、本当に聞きたいことは何も話せなかった。ウズベキスタンでは想定より英語が通じなかったこともあるけれど、きっと英語が通じても現地の言葉で話せなければ、出会うひとに対して本当の本当に知りたいことなど何も聞けない、語り合うことができないのではないかと考え、悲しくなった。
ただ、彼らと交わす会話の中で真似をしながら覚えた言葉は、その時いた土地やその場所の匂い、彼らの表情、そして空気の色とつながっていると実感できたものだと思っている。自分にしか聞こえないくらいの声で、ウズベク語やカザフ語の単語をつぶやく度に、私はあの時揺られていた列車の中に吹き込む砂やバザールに漂う桃の香り、彼らと一緒に飲み交わしたチャイの温かさや味を、そして出会った人の優しいまなざしを思い出す。まるで熟した桃を食べたときのように、寂しさがじわりと、広がってゆく。

ただただ、少し硬くあまり座り心地がよいとはいえないソファに座り、列車のゴトゴトという絶え間ない音をどこか遠くの場所で鳴っているかのように感じながら、車窓から見える果てしない荒野、砂漠を眺めていた。
時折川が流れていたり、木々が生えて緑がみずみずしく輝いたりしていたけれども、ほとんどずっと目の前には寂寞が広がっているように感じた。
もう長い間列車の中にいるような気もしたし、このまま降りる場所に着かなければいいのに、とも思った。
夜に飲み込まれつつ名残惜しそうに傾いてゆく夕日は、あっという間に砂丘に入って消えてしまった。



いいなと思ったら応援しよう!