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文明そして人間の交差する街

悠久の歴史の彼方へ心を連れて行ってくれる、思い出しては愛を感じて涙する、そんな旅ができるなんて思ってもみなかった。

2022年7月、2年ぶりの海外ひとり旅に行った。目的地に選んだのは、トルコ。イスタンブールでブルーモスク(スルタンアフメトモスク)やアヤソフィアを見たかったのと、インターネットで探していたときに、メソポタミア文明の栄えた地域の一つであるというところに惹かれたマルディンという、南東アナトリアの都市に興味を持ったからである。

1番、印象に残っているのがマルディンなので、まずマルディンから話していきたいなあと。

6:45イスタンブール発のフライトで、8:30過ぎにマルディンの空港に着いた。
移動手段はおそらくタクシーだろうなあと、その辺の運転手に声をかけ、タクシーを走らせてもらった。イスタンブールとは少し違う匂いだ。
乾いた土っぽさを感じたのと、それとは対照的に爽やかな空気がタクシーの窓から入ってくるのがとても新鮮で、なんだかまた全然違う土地に来たなあと思ったことが記憶に残っている。

3世紀に開かれたマルディンは、もともとはシリア正教が主な宗教で、キリスト教系の建物が多い。市街地から少し離れると、メソポタミア平原が広がっており、さらにその向こうへ目を向けると、そこはもうシリアなのだ。

少しの事前情報だけで来てしまったため、タクシーの運転手に「修道院とかに行きたいのだけど、、、」とだけ言って走らせてもらっていた。彼は「最初にカースィミーイェ神学校に行ってみよう」と言って連れて行ってくれた。
3つあるドームの形が独特で、内部は美しい文様が彫られたアーチ状の柱や天井が印象的だった。美しくカーブを描くアーチ、イスラム文様の芸術的な壁、そして黄金色に輝いているようにも見える砂づくりの外観・内観。

心をあっという間に持っていかれて、私はしばしの間その場にたたずんだり、かと思えば時折動き回ってカメラのシャッターを切っていた。その間ずっとタクシーの運転手は私を待ってくれていた。あまり長いしたら待たせてしまうだろうか…と思い、「まだもう少しいても大丈夫?」と聞くと、
「私のことは気にしないで、ゆっくり楽しんでいってくれたらいいから」と穏やかな笑顔で言ってくれた。

ひとしきり神学校の美しさを目に焼き付けた後、タクシーに戻った。
「次はズィンジリエ神学校に行ってみようか」
そういって運転手はまたタクシーを走らせて連れて行ってくれた。

彼はKemarという名前だった。
「Yuri、トルコはどう?疲れてない?」と、気遣ってくれ、控えめでありつつもあたたかい優しさをくれる人だと感じた。おそらく私がその辺の若者よりも幼く見えていたからだと思うのだが、相手を尊重してあたたかく迎え入れてくれるのはマルディンの人々のとても素敵なところだと、すごく思った。

ズィンジリエ神学校は、マルディンの街並みの上部に位置しており、
屋上に上がるとドーム越しからマルディンの街並み全体とメソポタミア平原が見渡せる。神学校の内部は、とても精緻で美しいレリーフ装飾が施されており、息をのむような荘厳さが漂う。内部の廊下や各部屋は窓が少なくひんやりとしていて、少し埃っぽい匂いが鼻をかすめた。経年と歴史の彼方へと自分を連れて行ってくれるのはこういった匂いもそうなのだと、小窓から差し込む日の光を見て思った。
屋上へ上がったときに目に入った街並みとメソポタミア平原に圧倒され、
照りつける日差しとじりじり焼ける肌の感触も飛んでしまうくらいずっと目に映る景色を見続けていた。世界の文化が交差する場所に今自分がいること、当時のメソポタミア文明を作り上げてきた人々の暮らしや、その後の激動の歴史の中で生き抜いてきた人々の人生が確かにあったこと、肌に当たっているこのやわらかい風がきっと数千年前も吹いていたこと。
今こうして文章として書いている間も、目を閉じると、その時の何とも言い難いじわじわと自分の中で上がってくる熱でじーんとしてしまうくらい、
あの場所はロマンあふれる美しい場所だった。

神学校を出るとすぐそばが旧市街の中心地につながっていて、そこはまるで中世にタイムスリップしたかのようなエキゾチックな光景が広がっていた。
砂づくりの建物が黄金色に輝いていた。日の光に当たるブドウの葉がきらめいていて、そよぐ葉の音さえもゆっくり流れているような気がした。
木漏れ日に目を少し細めながら、この街のやさしさを体全体で感じた。
自分がどこかとてつもなく遠くに来てしまったような、でも地続きでシリアにつながる方向を見ると、ここは確かに世界の一部で、誰しもがいつかたどり着けるような場所であることを実感した。マルディンで生きている人の近くへ、少しだけ来られた気もして、うれしかった。

次はマルディンの旧市街で食べたランチと、その後ひょんなことからKemarの家へ泊めてもらうことになった話。彼らが一緒に過ごしてくれたことは、私がそれだけでまた生きていけると今も思い続けてるくらい、忘れられない。

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